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積 緋露雪
積 緋露雪
novelistID. 70534
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審問官第一章「喫茶店迄」

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 それにしても、この眼前に拡がる瞼裡の渦巻く闇の虚空は一体何なのであらうか。 
――中有。 
 とはいへ、其処が中有とは今もつて信じ難く、そして私は懐疑の眼でしかその渦巻く虚空を見られずにゐたが、しかも《眼球体》となつて瞼裡の渦巻く闇の虚空に《存在》するこの私の状態は、さて、一体何なのであらうか……。
 唯、《眼球体》の私は自在であつた。例へてみれば、そのAuroraの如き月光の残像の中に飛び込めば其処は眩いばかりの光しか見えない《陽》の世界であり、一度月光の残像から飛び出ると、其処は彼の人の闇の中に消え入りさうな体軀が闇の虚空にぽつねんと浮かび上がるのが見える《陰》の世界であつた。そして、《眼球体》の私は多分月光の残像の中では陽中の陰となり、月光の残像から飛び出ると《眼球体》の私は陰中の陽となり、其処は陰陽魚太極図そつくりの構図に違ひないとしか思へなかつたのであつた。 
――――ううううああああああああ~~。。
 相変はらず彼の人は声為らざる声を発し続けたままであつた。 
――――ううううああああああああ~~。。
――もしや、この眼前に見えてしまふ全く面識のない赤の他人の彼の人は……、もしかすると、《死》といふ、多分、恍惚に違ひないその全きな恍惚の中に陶酔してゐるのかもしれぬ……。 
 と、何故かといふ理由もなく、さう私は自然と納得してゐる己を見出してはにたりと自嘲しつつ、《眼球体》と化した私は、眼前に横たはる彼の人をまじまじと凝視したのであつた。否、実のところ、さう思はずにはゐられなかつたのである。これは実際のところ私の願望の反映に過ぎぬのかもしれぬが、しかし、生き《もの》が死すれば、 
――皆善し! 
 として、自殺を除いて全ての死した《もの》が恍惚の陶酔の中になければならないとしか、私にはその当時思へなかつたのであつた。 
――――ううううああああああああ~~。。
 この絶えず彼の人から発せられてゐる音為らざる苦悶の呻き声は、もしかすると歓喜の絶頂の中で輻射されてゐる、誠に誠に慈悲深き盧(る)遮那(しやな)の輝きにも似た歓喜の雄叫びなのかもしれぬと思へなくもないのである。否、寧ろさう考へたほうが自然なやうな気がするのであつた。
 自殺を除いて死すもの全て、
――――ううううああああああああ~~。。
 と、此の世の摂理たるハイゼンベルクの不確性原理から解放され、此の世からおさらばした故の完全なる《一》、否、それはもしかすると色即是空たる《空》、若しくは《無》、若しくは《無限》たる己を己に見出し、歓喜の雄叫びを上げて、《吾》が生と死に祝杯を捧げてゐるに違ひない。生きてゐる間は生老病死に苛まれ、底無く出口無き苦悶の中でもがき苦しみ、やつとの事で未完の生を繋いで来たに違ひない生者達は、死してやつと安寧を手にするに違ひないのだ。ところでそれはまた死の瞬間の刹那の事でしかなく、その後の中有を経て極楽浄土へ至るこれまた空前絶後の苦悶の道程を歩一歩と這ひ蹲る(つくば)が如くに前進しなければならないのかもしれない来世といふ《未来》に向かふ、巨大な巨大な巨大な苦難の果てといふ事からも一瞬、解放されてゐるに違ひない……。と、不意に《眼球体》と化してゐた私は吾の自意識と合一してしまひ、私はゆつくりと瞼を開けてしまつたのであつた。然しながら、その時、私は雪の相貌を全く見向きもせずに、天空で皓皓と青白き淡き輝きを放つ満月を暫く凝視するしか為す術がなかつたのであつた。この一連の動作は全く無意識でした事であつた。ところが、瞼を開けても最早私の視界から彼の人の明滅する体軀の輪郭は去る事がなく、満月の輝きの中でも明瞭に見えてしまふのであつた。 
――ふう~う。 
 と、私は煙草を一服し、月に向かつて何故か煙草の煙を吐き出したのであつた。煙草の煙で更に淡い輝きになつた月は、それはそれで何とも名状し難い風情があつた。と、不意に私の胸奥でぼそつと呟くものがあつた。 
――月とすつぽん。 
 私はその呟きを合図に、それ迄の時間の移ろひを断ち切るやうにMemo帳を取り出し、雪と再び筆談を始めたのであつた。 
――つまり、自由を追い求めるならば、つまり、月とすつぽん程の、つまり、激烈な貧富の格差は、つまり、《多様性》の、つまり、現れとして、つまり、吾吾は、つまり、それを甘受しなければならないと思ふが、つまり、君はどう思ふ? 
 と、全く脈絡もなく視界の彼の人を抛り出してとつさに雪に書いて見せたのであつた。満月の月光の下ではMemo帳に書いた文字ははつきりと見えるのである。すると雪は美しく微笑んで、しかし、何やら思案するやうに、 
――う~む。難しい問題ね。あなたの言ふ通りなのは間違いないわ。しかしね、社会の底辺に追ひやられた人人はその《多様性》といふ《自由》を持ち堪へられないわ……、多分ね。でも……、残酷な言ひ方かもしれないけれども《自由》を尊ぶならばあなたの言ふ月とすつぽん程の格差といふ《多様性》は受け入れるしかないわね……。 
 と、切り出したのであつた。 
――――ううううああああああああ~~。。
――ふう~う。 
 と、私は煙草を一服すると、その吸ひ殻を携帯灰皿にぽいつと投げ入れたのであつた。 
――つまり、《自由》に身を委ねると、つまり、現状は、つまり、嘗ての、つまりね、Pyramid(ピラミつド)型の階級社会にすら程遠い、つまり、一握りの大富豪と、つまり、殆ど全ての貧乏人の、つまり、大地に屹立した、つまり、峻険なる山のやうな、つまり、階級社会となるのは必然だと思ふかい? 
――そうね、《自由》の下ならば一世代位の期間はさういふ階級社会が続くと思ふけれども、でも……、峻険な山が風化するやうに、Pyramid型の階級社会もまた長期に亙る《自然》の近似に過ぎぬのならば、多分、三世代の間位に峻厳な山からPyramid型へと階級の形が移行する筈よ、多分ね、うふ。 
 と、雪は私との筆談が楽しいのか愛らしい微笑みを浮かべ、次に何を私が書くのか興味津津で私の手のPen先を凝視するのであつた。 
――すると、つまり、さうすると現在貧乏人は、つまり、一生貧乏人かい? 
――……さうね。一握りの《成功者》を除くと殆ど全ての貧乏人は貧乏人の儘一生を終へるわね……残念ながら……。士農工商のやうなPyramid型の或る種平安な階級社会が《自然》に形作られるには最低三世代は掛かる筈よ。だつて、例へば士農工商の工の貧乏人が《職人》といふ他者と取り換へ不能な一(ひと)廉(かど)の人間になるには、最低三世代のそれはそれは血の滲むやうな大変な苦労が必要だわ……。 
――それぢやね、つまり、市民といへば聞こえは良いが、つまり、単刀直入に言つて市民といふ貧乏人は、つまり、士農工商のいづれかの階級の、例へば工の《職人》に、つまり、三世代掛かつてなるんだね?