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積 緋露雪
積 緋露雪
novelistID. 70534
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審問官第一章「喫茶店迄」

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 ねえ、君。人間とは《存在》といふ魔物に囚はれる虜囚たる事を宿命付けられた哀れな生き《もの》だね。もし仮に正覚もせずに《存在》に無頓着なそれこそ能天気な輩がゐたら、さういふ輩には哀れな微笑みを送つてやるしかないね。何故つて、さういふ輩は既に自身を馬鹿者として積極的に肯定した阿呆に違ひないからさ。先づ、自身の《存在》を全肯定出来る事自体が馬鹿の証さ。そいつ等の話を聞いてごらん。薄つぺらな内容に終始して、そのくせ小心者ときたならば、もう目も当てられないね。そういふ輩は愚劣極まりなく醜悪さ。私はそいつ等の放つ悪臭――勿論、これは幻臭だがね――に耐へられず、いつも反吐を吐いてゐたがね。 
 ねえ、君、そもそも《存在》とは何ぞや? 何時も、さう、睡眠中に夢を見てゐる時さへ、自身の《存在》に懐疑の眼を向けざるを得ぬ《吾》といふ《存在》はそもそも何ぞや? 吾と己に《ずれ》が生じる故に《存在》といふ変容体に《吾》が身を置けるその因になつてゐるのは当然として、さて、其処に介在する《時間》といふこれまた魔物の流れに取り残され、絶えず《現在》に身を置かざるを得ぬこの《吾》とはそもそも何ぞや? つまりは、身体の細胞Level(レベル)で考へてみると、身体を形成してゐる数十兆もの細胞群は、分裂、増殖、そしてApoptosis(アポトーシス)、つまり、自死を繰り返して何とか《吾》を存続させてゐるが、この絶えず変容する《吾》は、過去の《吾》に未練たらたらで現在の変容する未完の《吾》をどうあつても《吾》として受け入れなければならぬ宿命を背負つてゐて、もしもそれを拒否したならば《吾》は死ねない細胞たる癌細胞化するしかない哀れな《存在》でしかない……。するとだ、生物は絶えず不死たる癌細胞への憧憬を抱いてゐて、不死たる《吾》でありたいと心奥では渇望してゐるに違ひないのさ。へつ、もしかすると己を《高等動物》と平気で看做すこの人類は、一度その《存在》を断念してぬめぬめした《もの》に変態した海鼠(なまこ)の如き原形をとどめぬ《もの》が、そのまま抛つておくと再び《時間》が経つにつれて元の海鼠へと再び再生する、そんな《存在》を理想の《存在》、つまりは神と看做しているのかもしれぬね。近代迄は人間は神に為るといふそんな傲岸不遜な考へを断念し、また、ひた隠して来たが、現代に至つてはその恥知らずな神たらうとする邪悪な欲望を隠しもしない侮蔑すべき《存在》に為り下がつてしまつたが、しかし、それが《存在》の癌化に過ぎない事が次第に明らかになるにつれ、人間は現在無明の真つ只中に抛り出されて、唯漫然と生きてゐる――それでも「私は懸命に生きてゐる」と猛り狂う輩もあらうが、それは馬鹿のする事さ――その結果、現世利益が至上命題の如く欲望の赴くままに生き、そして漫然と死すのみの無機物――ねえ、君、無機物さへも己の消滅にぢつと堪へながら自身を我慢しながら《存在》してゐるに違ひないと思ふだらう――以下の生き物でしかない……。その挙句が過去への憧憬となつて未来は全く人間の思考の埒外に置かれる事になつてしまつたが、さて、其処で現在を見渡したところ現在が最早どん詰まりにある事に気付いて慌てて未来に思いを馳せてみると、へつ、人類は絶滅するしかない事が鮮明になつてゐて、さてさて、困つた事に往生際が極めて悪いこの人類といふ《存在》は、現在、滅亡に恐れをなして右往左往してゐるのが現状さ。 
 自同律の不快。人類は先づ生の根源たるこの自同律の不快に立ち戻つて、パスカルの言ふ通り、激烈なる自己憎悪から出直さなければならないと思ふが、君はどう思ふ? 
 倒木更新。未だ出現せざる未来人を出現させる為にも、現在生きてゐる者は必ず死ななければならぬ事を自覚して倹(つま)しく生きるのが当然だらう。へつ。文明の進歩なんぞ糞喰らへ、だ。人類は、人力以上の力で作つた《もの》は全て人の手に負へぬまやかし《もの》である事に早く気付くべきさ……。へつ。ねえ、君。一例だが、科学技術が現在のやうに発展した現代最高の文明の粋(すい)を結集して、果たして、茅葺屋根の古民家以上に自然に馴染んだ家を、つまり、朽ちるにつれてきちんと自然に帰る外ない家が作れると思ふかい? 無理だらう……へつ。

…………
…………
 
 その時《眼球体》と化した私の意識は中有の中に飛び出し、私の瞼裡に仄かに輝き浮かぶ、誰とも知れぬ赤の他人の彼の人の顔貌を凝視したが、すると彼の人は消え入りさうな自身の横たはる身体を私の眼前に現したのであつた……。
――しゆぱつ。 
 雪がもう一本煙草に火を点けたやうだ。 
――はあ~あ、美味しい。 
 私は雪のその心地良ささうな微笑んだ顔が見たくて《眼球体》の吾から瞬時に私に戻り、ゆつくりと瞼を開け、雪の顔を見たのであつた。 
――うふ。私ももう一本吸つちやつた。あ~あ、何て美味しいのかしら。……どう? 死者の旅立ちは。 
 私はおどけた顔をして首を横に振つて見せた。 
――そう。三途の川を越えた者皆、その道程は艱難辛苦に違ひないと思ふけど……そして彼岸からその先の極楽迄の道のりが辛いのは簡単に想像出来るけど……実際……さうなのね? 
 私は雪の問ひに軽く頷き、煙草を美味さうに喫む雪の満足げな顔につい見蕩れてしまふのであつたが、その雪の顔は美しく、窈窕(えうてう)といふ言葉がぴつたりと来るのである。その顔の輪郭が絶妙で、これまた満月の月光に映えるのであつた。 
 そして、私は、雪の美貌を映す満月の光に誘はれるやうに、南天へ昇り行く仄かに蒼白いその慈愛と神秘に満ちた月光を網膜に焼き付けるやうに、満月を凝視し続けたのであつた。 
――科学的には太陽光の反射光に過ぎないこの月光といふものの神秘性は……生き《もの》全てに最早そのやうにしか感じられないやうに天稟として「先験的」に具へられてしまつた《もの》なのかもしれぬ……。 
――ふう~う。 
 私は煙草を身体全体にその紫煙が行き渡るやうに深深とした呼吸で喫みながら暫く月光を凝視した後に、再びゆるりと瞼を閉ぢたのであつた……。 
 その網膜に焼き付けられたらしい月光の残像が瞼裡の闇の虚空にうらうらと浮かび上がり、あの全く面識のない赤の他人の彼の人の仄かに輝きを放つが今にもその虚空の闇の中に消え入りさうなその死体へ変化し横たわつたままの体軀は、ゆるりと渦を巻く瞼裡の闇の虚空にAurora(オーロラ)の如く残る月光のうらうらと明滅する残像に溶け入つては、己の《存在》を更に主張するやうに自身の姿の輪郭を月光の残像から分離すべく、月光の残像の明滅する周期とは明らかに違ふ周期でこれまた仄かに瞼裡の闇の虚空に明滅しながら月光の残像の中で蛍の淡い光の如くに輝くのであつた。 
――――ううううああああああああ~~。。
 私は再び瞼裡の闇の虚空の渦に飲み込まれるやうに自意識の一部が千切れ《眼球体》となる狂ほしい苦痛の呻きを胸奥で叫び、とはいへ、ひよいつと《眼球体》となつた私は渦巻く瞼裡の虚空に投身するのであつたが、最早瞼を閉ぢると自動的に眼前で渦巻く瞼裡の闇の虚空に吸い込まれてしまふのは避けやうもないらしい。