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積 緋露雪
積 緋露雪
novelistID. 70534
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審問官第一章「喫茶店迄」

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 と言へるかい? もしも、 
――俺はちやんと生きてゐる! 
 と、胸を張つて言へる能天気な御仁が此の世に《存在》してゐるならば、その御仁に会つてみたいものだ。そして、その御仁に、 
――大馬鹿者が! 
 と罵倒する権利のある人生を私は送つたつもりだが……、これは虚しい事だね、君。もう止すよ。

…………
………… 

――ふう~う。 
 と、また私は煙草を喫み、煙を吐き出しながら、何とも悲哀に満ちた《生》を謳歌するのであつた。 
――ふう~う。 
――本当に煙草が好きなのね、あなたみたいに煙草を美味しさうに吸ふ人、私、初めて見たわ。うふ、筋金入りのNicotine(ニコチン)中毒ね、ふふ。 
 と、既に自身の煙草はとつくに吸ひ終はつてゐた雪は、私が煙草を喫む毎に生気が漲るやうにでも敏感に感じたのか、ほつとしたやうなにこやかな微笑みを浮かべては私を見続けてゐるのであつた。私はと言へば、この時間が楽しい故に思はず零(こぼ)れてしまつた照れ笑ひを雪に返すのであつた。さうさ、二人に会話はゐらなかつたのだ。顔の表情だけで二人には十分であつた。

…………
………… 
 
 君も知つての通り、私にとつて必要不可欠なものは煙草と日本酒と水とたつぷりと砂糖が入つた甘くて濃い珈琲、そして、本であつた。私の当時の生活費は以上に殆どを費やしてゐて、食費は日本酒と砂糖を除けば本当に僅少であつた。Instant(インスタント)食品やJunk food(ジヤンク・フード)の類は一切口にする事は無く、今もつてその味を私は知らない。 
 ねえ、君。私の嗜好品は全て鎮静か興奮かのどちらかを増長せずにはいられぬ代物だつたといふ事がはつきりしてゐるだらう。当時、一度思考が始まると止め処無く堂堂巡りを繰り返し《狂気》へ一気に踏み出すのを鎮静するのに煙草は必需品だつたのだ。煙草を一服し煙草の煙を吐き出すのと一緒に、私は《狂気》へ一気に驀進する思考の堂堂巡りも吐き出すのさ。そして、不図吾に返ると私の内部に独り残された吾を発見し《正気》を取り戻すのだ。古に言ふ「魂が憧(あくが)れ出る」状態が私の思考の堂堂巡りだつた。私が思考を始めると吾は唯《思考の化け物》と化して心此処に在らずといつた状態に陥つてしまふのさ。これも一種の狂気と言へば狂気に違ひないが、この思考が堂堂巡りを始めてしまふ私の悪癖は、矯正の仕様が無い持つて生まれた天稟の《狂気》だつたのかもしれぬ……。 
《死》へと近づく哀惜と歓喜が入り混じつたこの屈折した感情と共に煙草を喫み、そして、私の頭蓋内で《狂気》のとぐろを巻きその《摩擦熱》で火照つた頭の《狂気》の熱を煙草の煙と一緒に吐き出し吾に返る愚行をせずには、詰まる所、私は《狂気》と《正気》の間の峻険な崖つぷちに築かれたインカ道の如きか細き境に留まる術を知らなかつたのだ。何故と言つて、私は当時、《狂気》へ投身する事は《吾》に対する敗北と考へてゐた節があつて、それは《狂気》へ行きつぱなしだと苦悩は消えるだらうがね、しかし、それでは全く破壊されずに《狂気》として残つた全きの生来の《吾》が《吾》のまま《狂気》といふ《極楽》で《存在》する事が私には許せなかつたのだ。《狂気》と《正気》とに跨り続ける事が唯一私に残された《生》の道だつたのさ。 

………… 
………… 
 
 其の時の朗らかに私に微笑み続ける薄化粧をした雪の美貌は満月の月光に映え神秘的で、しかもとてもとても美しかつた……。 
 と不意にまた一つの光雲が私の視界の周縁を旋回したのである。私は煙草によつて人心地付いたのと、また光雲が視界の周縁を廻るのを見てしまつた私を敏感に察知しそれに呼応する雪の哀しい表情が見たくなかつたので、ゆつくりと瞼を閉ぢたのであつた。瞼裡に拡がる闇の世界の周縁を数個の光雲が相変はらず離合集散しながら左に旋回するものと右に旋回するものとに分かれ、ぐるりぐるりと私の視界の周縁を廻つてゐた。 
――死者達の手向けか……、それとも埴谷雄高曰く、《精神のRelay(リレー)》か……。 
 勿論死んで逝く者達は生者に何かしら託して死んで逝くのだらう。私の瞼裡の闇には次次と様様な表象が浮かんでは消え浮かんでは消えして、それは死者達の頭蓋内の闇に明滅したであらう数多の思念が私の瞼裡の闇に明滅してゐるのだらうかと考へながらも、 
――それにしても何故私なのか? 
 と、疑問に思ふのであるが、しかし、一方で、 
――死者共の思念を繋ぎ紡ぐのがどうやら私の使命らしい。 
 と、妙に納得してゐる自分を見出しては内心で苦笑するのであつた。

…………
…………
 
 と不意に金色の仏像が瞼裡の闇の虚空に浮かび上がつたのである。 
――ふう~う。 
 と其処で間をおくやうに煙草を一服し、もしやと思ひ私は目玉を裏返すやうに瞼を閉ぢたままぐるりと目玉を回転してみると、果たせる哉、血色に燃え立つ光背の如き業火の炎は私の内部で未だ轟轟と燃え盛つてをり、再び目玉をぐるりと回転させて元に戻すと、未だ金色の仏像――それは大日如来に思へた――が闇の中空に浮かび上がつて何やら語り掛けてゐたのであるが、未熟な私にはそれを聞き取る術が無く、静寂のみが瞼裡の闇の世界に拡がるばかりであつた。 
 と忽然と、 
――《存在》とは何ぞや?  
 といふ誰とも知れぬ声が何処からともなく聞こえて来たのであつた。 
――生とは何ぞや?  
 とまた誰とも知れぬ声が聞こえ、 
――そもそも私とは何ぞや?  
 とまた誰とも知れぬ声が聞こえた。と、そこで忽然と金色の仏像は闇の中に消えたのである。 
 これが幻聴としても、どうやら彼の世に逝くには自身の《存在》論を誰しも吐露しなければならないらしい。ふつふつ。 
 すると突然、左右に旋回してゐた数個の光雲が無数の小さな小さな小さな光点に分裂離散し、すうつと瞼裡の闇全体に拡がつたのである。すると突然、 
――何が私なのだ! 
 と誰とも知れぬ泣き叫ぶ声が脳裡を過つたのである。そこで漫然と瞼裡に拡がつてゐた無数の光点はその叫び声を合図に何かの輪郭を、私の瞼裡に仄かに輝きを放ち浮かび上がらせるやうに、誰とも知れぬ私とは全く面識の無い赤の他人の顔の輪郭をぼんやりと浮かび上がらせたのであつた。私は一瞬ぎよつとしたが、それも束の間で、 
――うう……。
 とも、 
――ああ……。
 とも判別し難い声為らざる奇怪な嗚咽の如き《声》を、瞼裡に浮かび上がつたその顔の持ち主が発してゐるのに気付いたのであつた。 
――ふう~う。 
 と、この現前で起きてゐる意味を解かうとしてか、再び無意識に私は煙草を一服し、そして、意味も無く其処で瞼をゆつくりと開け、月光に映える雪の顔を凝視したのである。 
――何? 
 と、雪は微笑んだ。が、直ぐ様私の身に起こつてゐる事を直覚した雪は、 
――また……誰かが亡くなつたのね……、大丈夫?