蟻地獄~積 緋露雪作品集 Ⅰ
――否。懊悩の陥穽の底無しの深淵に自ら飛び込んで、それまで懊悩の相であつた《もの》が、或る刹那、突然、相転移を起こし、愉悦、つまり、懊悩即愉悦の秘法を手にした選民の事をお前は大審問官と言つたのだらうが、菩薩が深い懊悩にあるのは火を見るよりも明らかだ。千里眼といふ言葉があるだらう。つまり、菩薩といふ《もの》は何でもその《存在》の《存在》する所以をその千里眼で見通す事が出来る《もの》が菩薩であり、正覚者なのだ。
――見通すだけ? たつたそれだけの事が菩薩の菩薩たる所以? ちえつ、馬鹿らしい。
――それでは尋ねるが、お前は、此の世の何を見通せるのか? 《吾》すらも見通せぬ《もの》が、果たせる哉、何を見通せる?
――つまり、菩薩は《吾》に明るい《存在》といふ事かね?
――否。それぢや、己が《死》すべき宿命にある事を認識する「現存在」に過ぎぬ。
――ならば、そもそも菩薩とは何なのかね?
――此の宇宙が存続する限り、その精神がその時代、その時代の「現存在」、或るひは、森羅万象でも構はぬが、その《存在》によつて精神がRelayされる《念》力を持つた《存在》こそが菩薩さ。
――《念》力? Occult(をカルト)か、へつ。
――ならば、此の宇宙史は何故に存続し続けるのか? つまり、何故に歴史が《存在》するのだ。過去の遺産を受け継がずば、歴史なんぞはそもそも《存在》しないだらう?
彼は、只管、己の内部に棲まふ《もの》共の他愛のないひそひそ話をそれが為すがままに任せて、ぢつと耳を欹(そばだ)てて聞いてゐたのであつたが、その彼は、時折、気色が悪い薄笑ひを口辺に浮かべて、更に自己の内部の未開の地に棲まふ《もの》を弄(まさぐ)るやうに己の頭蓋内にぬつと仮象の手を伸ばして、その頭蓋内の闇に今もひつそりと身を潜め蹲つたままの未知の己を引き摺り出す事にのみ耽溺してゐるのであつた……。
――歴史とは、《存在》の未練たらたらの《念》によつてRelayされた《もの》によつて、漸く成り立つてゐる羸弱極まりない《もの》に過ぎぬといふのかね?
――《存在》が嘗て此の世に《存在》したんだぜ。その《存在》の《念》がそんな脆い《もの》の筈がなからうが。《念》程、此の世で強力な《もの》はないぜ。
――そして、菩薩かね? ふつ、ちやんちやらをかしい!
――しかし、或る国では死んだ《もの》は大概神的な何かへ昇華するのを何とする?
――しかし、《存在》が死したからと言つて、その《存在》は永劫に完結しない何かなのもまた確かだぜ。
――お前は、《げつぷ》と言ふが、それは《げつぷ》などではさらさらなく、《存在》の呻吟ぢやないかね?
――馬鹿が! 声にすら出来ぬ《もの》が五万と重ね合はさつてゐるからこそ《げつぷ》でしか表現出来ぬのが解からんのか。だから、お前にとつても、否、誰にとつても不快極まりない耳障りな《ざわめき》なのだ。
――つまり、《存在》が永劫に完璧なる《存在》に死しても尚、為り得ぬ故の己に対する齟齬が、この耳障りな《ざわめき》の正体とでも言ふのかね?
――これは散散話して来たが、此の世の森羅万象が、己に対して絶えず、齟齬を来たしてゐる事は、此の世が或る意味健全な事の筈だがね。大悟した正覚者はその《生》を、若しくはその《存在》を内部より爛熟させたが為に種を残す事無く自滅し、腐乱し行くに任せるままに己の死を存分に味はつた《もの》以外、大悟なんぞ出来やしないぜ。多分、大悟した正覚者は、どん底の絶望にある筈の《存在》の澱みを濁り酒を呷るが如く、一滴たりとも遺さずに飲み干した《存在》に違ひなく、しかし、そんな事は森羅万象の何《もの》も未だ為した《もの》はをらぬ筈で、それが出来た《もの》が正覚者に違ひないと思ふがね。つまり、どん底の絶望なんて知らぬが仏が一番いいに越した事はなく、《生》ある《存在》にとつてそれは死臭が漂ふ内部崩壊を齎すしかない危険極まりない毒薬に近しく、その絶望にあるに違ひない《存在》の澱みは、絶えず《存在》に呑まれる事を待ち続け、そして、その毒薬の如き《存在》の絶望で出来た濁り酒を、敢へて呷り大悟する事を渇望する大馬鹿者の出現を絶えず待ち望んでゐるのが此の宇宙ぢやないかね? この《存在》の絶望で出来た澱みは、然しながら、誰彼なく憑依する厄介者と来てゐるから、《存在》は彼方此方で呻吟するのだ。
――え? お前は一体何を語つてゐるのかね? さつき、菩薩は底無しの《存在》に必ず開いてゐる懊悩といふ陥穽へと自ら入水(じゆすい)する如くに投身し、その身を全て《他》に任せ切つた処で、忽然と《世界》は相転移を起こし、懊悩が即愉悦へと変化する極楽浄土が出現するのぢやなかつたつけ。
――それはその通りだが、ならば一つ尋ねるが、お前は菩薩かね?
――うむ。どう見ても違ふな。
――当然さ。その《存在》が菩薩かどうかを決めるのは徹頭徹尾《他》だからね。だから、死に行く《存在》は凄まじき《念》を此の世に未練たらたらに遺して、歴史を絶えず作り続けてゐるのさ。此の《念》は馬鹿には出来ない恐るべき力が秘められた《もの》で、《念》が宿つてゐてその宿主が死んでも此の《念》なる《もの》は死す事はなく、次の宿主を探してそれを見つけたならば、直ちにその《存在》に死すまで憑りついて、己の《存在》を呻吟させて已まないのだ。その結果、《吾》を呑み込む《吾》は、その《吾》に対して其処に《吾》とは決して相容れる事のない齟齬を来たした《吾》を呑み込まなければならず、《吾》たる《存在》は絶えず《げつぷ》を吐き出すのさ。その《げつぷ》が不快な《ざわめき》となつて此の世に遍在し、未来永劫に亙つて《吾》に為れず仕舞ひの怨嗟が絶えず此の世に満ち満ちてゐるからこそ、《吾》は何とか生きて行けるのさ。
――つまり、お前が《念》と言つてゐるのは精神のRelayの事かな?
――或ひはさう看做してもいいのかもしれぬが、しかし、一冊の本に宿る《念》の強靭さは、誰もが味はつてゐるので解かると思ふがね。
――しかし、お前の言ふ《念》は、例へば《生者》に憑依する霊の如き《もの》に思へて仕様がない。
――さうさ。幽霊さ。否、亡霊か。此の世に《死》した《もの》の《存在》を無視する事は一切出来ぬ相談だ。然しながら、《生者》は常に《死者》の思ひを裏切り続けながら日常を生きてゐる場合が殆どだらう。誰も何かをする時に《死者》や未だ生まれ出ぬ《未来人》に思ひを馳せ、それを念頭に置いて何かを行ふ事は皆無だらう。しかし、或る種の《存在》には霊が憑依し、また、未だ生まれ出ぬ《未来人》に思ひを馳せて《吾》を問はずにはゐられぬ《生者》が少ないが確実に《存在》する筈さ。
作品名:蟻地獄~積 緋露雪作品集 Ⅰ 作家名:積 緋露雪