蟻地獄~積 緋露雪作品集 Ⅰ
――さうさ。しかし、現実においても《吾》の事を自ら名指して「《吾》ごつこ」を無理矢理《吾》と見立ててゐる勘違ひした《存在》のなんと多い事か、ちえつ!
――ちよつ、待て! 《吾》は絶えず《更新》され其処から遁走する事を仕組まれた《存在》ならば、絶えず「《吾》ごつこ」、つまり、仮象の《吾》をのつぴきなぬ故にでつち上げざるを得ずにその仮象の《吾》を以てして《吾》は《吾》から絶えず遁走する術として「先験的」に仕向けられてゐるのぢやないかね?
――ふつ、さうさ。その通りだ。
――つかぬ事を訊くが、《吾》とはそもそもからして《更新》される《もの》として如何にして規定出来るのかね? つまり、《更新》される《吾》こそ見果てぬ夢の類でしかないのぢやないかね?
――つまり、《更新》される《吾》とは《吾》に関する進歩主義的な、ちえつ、何と言つたらいいのか、つまり、《吾》とは絶えず《更新》してゐる《もの》と看做す事で自己陶酔に溺れる。
――それで?
――つまり、《吾》は《更新》されるのぢやなく、唯、《変容》してゐる、否、《変容》する《吾》を夢見てゐるに過ぎぬのぢやないかね?
――だとして、何かご不満でも?
――いや、何、《吾》とは、哀しき哉、《吾》に忌避され、また、《吾》自身に追ひ詰められる堂堂巡りを未来永劫に亙つて繰り返されるのみの、夢幻空花なる幻でしかないのぢやないかね?
――だからどうしたと言ふのか! そもそも《吾》なる《もの》が《吾》を問ふ事自体、数学の再帰関数のやうなもので、《吾》の基底の値が決定されれば、その《吾》といふ再帰関数はたちどころに解けてしまふ代物ぢやないのかね?
――へつ、《吾》の基底の値が《存在》するか如くに絶滅せずに『汝自身を知れ!』と何時の時代でも問ひ続けて来た一種族が人間ぢやないのかね?
――くきいんんんんん――。
と、またしても深い極まりない耳障りな《ざわめき》が彼の耳を劈くのであつた。暫く彼は黙してその不快な《ざわめき》が消えるのを待つて、そして、かう自身の《異形の吾》に吐き捨てるやうに言つたのであつた。
――ちえつ、厭な耳鳴りだぜ。
――ふつふつふつ。これは此の世の森羅万象がひそひそ話をして、そして、吾等の対話の行く末に聞き耳を欹ててゐるクオリアがこの耳障りな《ざわめき》の正体かもしれないぜ。
――何を今更。お前は、この《ざわめき》は《吾》が《吾》を呑み込んだ時の《げつぷ》だと先に言つた筈だかね?
――だから尚更この《ざわめき》は、此の世に《存在》すべく強要された《存在》共達の、『《吾》は何処?』『《吾》は何?』といふ恰も迷子の幼児が泣き喚く様に似た切実な問ひでもあるのさ。
――何を言つてゐるのかね? 一体全体お前は何を言つてゐるのかね? 俺にはお前の言つてゐる事が全く理解出来ぬのだがね?
――つまり、《吾》は《吾》を呑み込む事で《吾》を《更新》させ、或ひは《吾》と《吾》との差異が《げつぷ》となつて発せられる事で生じる《吾》の《変容》にぢつと我慢し、この不快極まりない《吾》が《吾》である事の事実を、或る時は忌避し、或る時は追ひ詰めて、絶えず《吾》は《吾》といふ鬼を探す鬼ごつこに夢中な幼児の如く、つまり、《存在》の幼子でしかないのさ。
――《存在》の幼子とは一体全体何の事かね?
――つまり、《存在》はそれが何であれ《吾》といふ《もの》を探す青臭い《存在》といふ意味さ[緋積1]。
――つまり、《吾》は何時まで経つても成熟しないといふ事かね?
――否。《吾》は何度も成熟、否、爛熟したが、その《吾》はさうなると死臭を漂はせ、己の内部から腐乱して行くのさ。そして、その爛熟した《吾》は其処で死滅するのさ。つまり、成熟、若しくは爛熟した《吾》は、その《吾》が《存在》したとしても既に絶滅する外ない代物で、一方で、何とも青臭い思惟形式を持つた《吾》のみが『《吾》然り!』と言へずにその種を存続させ、後裔に《吾》探索を託すのさ。それ故に、青臭い《存在》のみが此の世に生き残つてゐる。
――ふむ。すると、《吾》が《吾》である事を『《吾》然り!』と歓声を上げて、その歓びを知つてしまつた《吾》は既に成熟してゐる故に、其処で種は残せず、その成熟した種は知らぬ内に内部腐乱を起こしていて息絶えるといふ事か――。
――くきいんんんんん――。
――種が存続するには、その種はまだ《変容》出来る余地のある青臭い《存在》でなければならないのさ、此の世の摂理は、へつ。
――つまり、青臭い未成年のやうな《存在》は、《変容》出来る伸び代がある故に、また、青臭い《存在》は寂滅するのに未練たらたらで入滅する故に、青臭い《存在》は、種を残せたのだか、《吾》が何なのか大悟してしまつた正覚者のやうな《存在》は、種を残す事すら、その必然性から既に脱落してゐる故に、只管、《吾》の腐乱をそのまま止める事なくぢつと黙して味はひ尽くす境地に至つてゐるといふのが、此の世の摂理かね? それつて、つまり、大悟した正覚者とは理性の奴隷の事ではないのかね?
――さて、理性的なる大人物は、正覚者と言へるのか、といふ問題が其処には横たはつてゐるのだが、私の私見を言へば、理性的な大人物とは《神》との契約の末に《神》の下僕に為り得た《存在》でしかなく、《神》無しの正覚者とは、その根本がそもそも違つてゐるやうな気がする。つまり、理性といふ《もの》が既に《神》の《存在》を所与の《もの》としてゐるのさ。
――くきいんんんんん――。
――ちえつ、また何処かで《吾》が《吾》を呑み込んで不快な《げつぷ》を放つたぜ。
――此の世に《存在》が《存在》する以上、この不快な自同律の齟齬を来たした《げつぷ》はなくならないぜ。
――つまり、此の世は《存在》の《げつぷ》、それを換言すれば、《存在》の呻吟に満ち満ちてゐる、ちえつ、不快極まりない不協和音に満ちてゐるといふ事か。
――絶えず、《存在》は《吾》に為りたくて仕様がないのだが、その《吾》は絶えず、《存在》から零れ落ちてゐるといふ、未来永劫に続く《吾》を追ふ「鬼ごつこ」をするだけで、その一生、つまり、《存在》が《存在》であり続ける閉ぢた時空間で、《吾》なる事を此の世の森羅万象は、ぢつとその不快を噛み締めてゐるのさ。
――ならば、大悟した正覚者はこの不快な《ざわめき》を何とする?
――別に何ともしない。正覚者は、この不快な《ざわめき》すらに此の世の法を見、そして、菩薩となつて、その慈悲に満ちた心で衆生を《吾》の安寧の地へと導くのさ。
――つまり、菩薩は此の世の森羅万象の懊悩を独りで背負ふ、逆Pyramidの階級社会のその底に安住の地を見出した、例へばドストエフスキイの大審問官に等しい《存在》かね。
――否。菩薩は、この自然、否、諸行無常なる世界を全的に肯定出来てしまつた哀しき《存在》なのさ。
――菩薩が、哀しい? これは異な事を言ふ。菩薩は愉悦に満ちた《存在》ではないのか?
作品名:蟻地獄~積 緋露雪作品集 Ⅰ 作家名:積 緋露雪