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積 緋露雪
積 緋露雪
novelistID. 70534
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蟻地獄~積 緋露雪作品集 Ⅰ

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――へつ、男女の交合の時の愉悦? さて、そんな《もの》が、実際のところ、《吾》にも《他》にもあるのかね? 
――多分、ほんの一時はある筈さ。それも阿片の如き《もの》としてな。また、チベツト仏教では男女の交合は否定されるどころか、全的に肯定されてゐて、男女間の交合は悟りの境地の入り口でもある。
――つまり、男女の交合時、《吾》と《他》は限りなく《一》者へと漸近的に近付きながら、《吾》と《他》のその《一》が交はる、つまり、《一》ではない崇高な何かへと限りなく漸近すると? 
――へつ、此の世に《一》を脱するかの如き仮象に溺れる愉悦が無ければ、《存在》は己の《存在》するといふ屈辱には堪へ切れぬ《もの》なのかもしれぬな。
――だから、《吾》は《吾》を呑み込む時、不快なげつぷを出さざるを得ぬのさ。
――はて、一つ尋ねるが、男女の交合の時、その《存在》は不快なげつぷを出すのかね? 
――喘ぎはするが、げつぷはせぬといふのが大方の見方だらう。だがな……。
――しかし、仮に男女の交合時が此の世の一番の自同律の不快を体現してゐると定義出来たならばお前はどうする? 
――ふつふつ。さうさ。男女の交合時が此の世の一番の自同律の不快の体現だ。
――つまり、男女の交合時、男女も共に存在し交合に耽るのだが、詰まる所、男女の交合は、交合時にその男女は己の《吾》といふ底知れぬ陥穽に自由落下するのだが、結局のところ、《他》が自由落下する《吾》を掬ひ取つてくれるといふ、ちえつ、何たる愚劣! その愉悦に、つまり、一対一として、《吾》が此の世では、やはり、徹頭徹尾、《吾》といふ独りの《もの》でしかない事を否が応でも味ははなければならぬ。その不快を、《吾》は忘却するが如く男女の交合に、己の快楽を求め、交合に無我夢中になつて励むのが常であるが、それつて、詰まる所、自同律からの逃避でしかないのぢやないかね? 
――つまり、男女の交合とは、仮初にも《吾》と《他》との《重ね合はせ》といふ、此の世でない彼の世への入り口にも似た《存在》に等しく与へられし錯覚といふ事か――。
――くきいんんんんん――。
――でなければ、此の世を蔽ひ尽くすこの不快極まりない《ざわめき》を何とする? 
――それでは一つ尋ねるが、男の生殖器を受け入れた女が交合時悲鳴にも似た快楽に耽る喘ぎ声を口にするのもまた自同律の不快故にと思ふかね? 
――さうさ。男の生殖器すら呑み込む女たる雌は、男たる雄には到底計り知れぬ自同律の不快の深さにある筈さ。
――筈さ? ちえつ、すると、お前にも男女の交合の何たるかは未だ解かりかねるといふ事ぢやないかい? 
――当然だらう。現時点で《吾》は《死》してゐないのだから、当然、正覚する筈も無く、全てにおいて断言出来ぬ、《一》ならざる《存在》なのだからな。
――しかし、生物は《性》と引き換へにか、《死》と引き換へにかは解からぬが、何故《死》すべき《存在》を《性》と引き換へに選択したんだらう? 
――それは簡単だらう。つまり、《死》と引き換へに《性》を選び、《死》すべき《存在》を選ばざるを得なかつたのさ。それ以前に、《存在》とは《死》と隣り合はせとしてしか此の世に《存在》する事を許されぬのではないかね? 
――くきいんんんんん――。
――それはまた何故? 
――約めて言へば種の存続の為さ。
――ちえつ、つまり、種が存続するには個たる《存在》は《死》すべき《もの》として此の世に《存在》する事を許された哀れな《存在》でしかないのさ。
――だが、その哀れな《存在》で構はぬではないか。
――ああ。不死なる《存在》が仮に《存在》したとしてもそれはまた自同律の不快を未来永劫に亙つて味はひ尽くす悲哀! 
――それを「《吾》、然り!」と受け入れてこその《存在》ぢやないのかね? 
――ふつ、「《吾》、然り!」か……。しかし、《吾》は気分屋だぜ。
――だから「《吾》、然り!」なのさ。
――つまり、《存在》は、即ち森羅万象は、全て「《吾》、然り!」と呪文を唱へてやつと生き延びるか――。
――例へば《存在》が《吾》を未来へと運ぶ、若しくはRelayする《もの》だとしたならば?
――ふつ、つまり、DNAが《存在》を、否、《私》なる自意識を未来へ運ぶ乗り物と看做す、へつ、一つの「見識」ある考へ方を持ち出して、仮初の《合理》を得ると言ふ、つまり、現代の迷信にもなり兼ねない《科学》的なる《もの》を持ち出す馬鹿馬鹿しい話をしたいのかい?
――馬鹿な話? 何故に馬鹿な話と断定できるのかね?
――《科学》は絶えず時代遅れの概念になつちまふからさ。
――例へばここで「クオリア」といふ《もの》を持ち出して、人間の感覚、または、統覚について何かを語る事がすでに時代遅れと言ふのかね?
――さうさ。《科学》的なる思考は、若しくは概念は絶えず《更新》されるべく《存在》してゐるからさ。
――つまり、《存在》を意識する《吾》もまた「クオリア」だとして、その《吾》といふ《もの》が、仮初にも《科学》を受け入れるならば、《吾》なる《もの》、その《吾》といふ「クオリア」もまた絶えず《更新》されてゐると?
――違ふかね?
――さうすると、《吾》は《吾》によつて絶えず乗り越えられるといふ思考は、下らぬ自己満足でしかないといふ事か……。
――さうさ。「クオリア」を《吾》が《吾》に対する表象と同義語と看做すならばだ、《吾》なる《もの》はそれが何であれ「《吾》、然り!」と全的に自己肯定して此の世界を闊歩するのが一番さ。
――絶えずこの世界を《肯定》せよか――。
――然しながら、それが出来ぬのが《存在》のもどかしさではないかね?
――くきいんんんんん――。
――ちえつ、厭な《ざわめき》だぜ――。
――ここで謎謎だ。「絶えず虐められながら、また、その《存在》をこれでもかこれでもかと否定し続けられつつも、その《存在》は《存在》する事を痩せ我慢してでも《存在》する事を強ひられる《もの》とは」何だと思ふ?
――ちえつ、下らぬ。
――さう、下らぬ《もの》からお前はこれまで一度も遁れられた事はないのだぜ。そら、何だ?
――くつ、答へは簡単「《吾》」だ!
――ご名答!
――だから何だといふのかね?
――つまり、此の世の森羅万象は、ひと度《存在》しちまふと、最早それから遁れられぬ宿命にある。
――だから?
――だから、《吾》もまた《科学》と同様に絶えず乗り越えられる《存在》なのさ。
――くきいんんんんん――。
――それは逃げ口上ぢやないかね?
――逃げ口上? 何処がかね?
――つまり、《吾》も《科学》も「先験的」に乗り越えられねばならぬ《もの》と規定してゐる処が、そもそもその《吾》が《吾》と名指してゐる《もの》からの遁走ぢやないのかね?
――ふつふつふつ。それは《吾》の幻想でしかない!
――つまり、「ごつこ」遊びと同じといふ事かね?
――さう。《吾》は絶えず「《吾》ごつこ」をする様に仕組まれてゐるのさ。
――しかし、現実においても《吾》が《存在》する以上、「ごつこ」では済まないのと違ふかね?