蟻地獄~積 緋露雪作品集 Ⅰ
――やはり、《存在》は仮初かね?
――仮初でなけりや、何《もの》も《吾》である事に我慢が出来ぬではないか! 《存在》は《存在》において、《一》=《一》を見事に成し遂げ、此の世ならざる得も言はれぬ恍惚の境地に達するとでも幽かな幽かな幽かな幻想でも抱いてゐたのかね?
――それぢや、お前がげつぷと言ふこの不愉快極まりない《ざわめき》は何なのかね? この《ざわめき》こそ《存在》が《存在》しちまふ事の苦悶の叫び声ではないのかね?
――仮にさうだとしてお前に何が出来る?
――やはり、苦悶の叫び声なんだな……。
――さう。《存在》するにはそれなりの覚悟が必要なのさ。だが、今もつて何《もの》も《吾》が《吾》である事に充足した《存在》として、此の全宇宙史を通じて《存在》なる《もの》が出現した事はない故に、へつ、《吾》が《吾》でしかあり得ぬ地獄での阿鼻叫喚が《ざわめき》となつて此の世に満ちるのさ。しかし、その《吾》といふ名の地獄での阿鼻叫喚は苦悶の末の阿鼻叫喚であつた事はこれまで一度もあつたためしがなく、つまり、地獄の阿鼻叫喚と呼ぶ《もの》の正体は、《吾》が《吾》である事に耽溺した末の《吾》に溺れ行く時の阿鼻叫喚、つまり、性交時の女の喘ぎ声にも似た恍惚の歓声に違ひないのさ。
――歓声?
――さう。喜びに満ちた《存在》の歓声さ。
――ちえつ、これはまた異な事を言ふ。この不愉快極まりない《ざわめき》が喜びに満ちた歓声だと?
――性交時の女の喘ぎ声にも似た《吾》が《吾》の快楽に溺れた歓声だから、へつ、尚更、《吾》はこの《ざわめき》が堪らないのさ。惚れた女の恍惚の顔と喘ぎ声は、男を興奮させるが、しかし、その興奮は、また、気色悪さで吐き気を催す感覚と紙一重の違ひでしかなく、つまり、酩酊するのも度が過ぎれば嘔吐を催すといふ事に等しく、女と交合してゐる男は、さて、どれ程恍惚の中に耽溺してゐる《存在》か、否、交合においてのみ死すべき宿命の《存在》たる《吾》といふ名の《地獄》が極楽浄土となつて拓ける――のか?
――つまり、約めて言へば、この《ざわめき》は恍惚に満ちた《他》の《ざわめき》だと?
――さうさ。
――すると、《吾》にとつて《他》の恍惚が不愉快極まりないのは、《吾》が《吾》に耽溺するその気色悪さ故にその因があると?
――当然だらう。特異点では別に《一》=《一》が成り立たうが、成り立たなからうが、どうでもよい事だからな。
――へつ、そりやさうだらう。だが、《一》の《もの》として仮初にも《存在》せざるを得ぬ《吾》なるあらゆる《もの》は、此の世で《一》=《一》となる確率が限りなく零に近いにも拘はらず、《吾》は現世において《吾》=《吾》を欣求せずにはいられぬ故に、ちえつ、《吾》は《吾》に我慢がならず、その挙句に《吾》は《吾》を忌み嫌ふ結果を招くのではないか?
――逆に尋ねるが、此の《吾》なる《存在》は、此の世に徹頭徹尾《吾》を実在する《もの》として認識したいのだらうか?
――はて、お前が言ふその実在とはそもそも何の事かね?
――ふむ。実在か……。つまり、実在とはそもそも仮初の《存在》に過ぎぬと思ふのかい?
――当然だらう。
――当然?
――所詮、《存在》は、ちえつ、詰まる所、確率へと集約されてしまふしかない《もの》だからね。
――やはり、《一》=《一》は泡沫の夢……か。
――さうさ。《一》すらも、へつ、《一》が複素数ならば、複素数としての仮面を被つた《一》の面は、±∞×iといふ虚部の仮面をも被つた《存在》として此の世に現はれなければをかしいんだぜ。
――へつ、さうだとすると?
――しかし、……、虚数単位をiとすると、±∞×iは、さて、虚数と言へるのかね?
――∞×iが虚数かどうかに如何程の意味があるのかね? しかし、残念ながら±∞×iもまた虚数な筈だぜ。
――つまり、±∞×iが虚数だとすると、実在は、即ち、《存在》は必ず複素数として此の世に《存在》する事を強ひられる以上、その《存在》は必ず不確定でなければならぬ事態になるが、へつ、その不確定、つまり、曖昧模糊とした《吾》として、この《吾》なる《存在》は堪へられるのかね?
――だから、《吾》が《吾》を呑み込む時にげつぷが、若しくは恍惚の喘ぎ声がどうしても出ちまふのさ。
――くきいんんんんん――。
再び、彼の耳を劈く不快極まりない《ざわめき》が何処とも知れぬ何処かからか聞こえて来たのであつた。
――すると、《一》は一時も《一》として確定される事はないといふ事だね?
――ああ、さうさ。
――しかし、ある局面では《一》は《一》であらねばならぬのもまた事実だ。違ふかね?
――さあ、それは解からぬが、しかし、《存在》しちまつた《もの》はそれが何であれ、此の世に恰も実在するが如くに《存在》する術、ちえつ、つまり《インチキ》を賦与されてゐるのは間違ひない。
――ちえつ、所詮、実在と《存在》は未来永劫に亙つて一致する愉悦の時はあり得ぬのか――。
――それでも、《吾》も《他》も、つまり、此の世の森羅万象は《存在》する。さて、この難問をお前は何とするのかね?
――後は野となれ山となれつてか――。つまり、《他》によつて観測の対象になり下がつてしまふ《吾》のみが、此の世の或る時点で確定した《吾》として実在若しくは《存在》するかの如き《インチキ》の末にしか《吾》が《吾》だといふ根拠が、そもそも此の世には《存在》しない、ちえつ、忌忌しい事だがね。
――だから、《存在》は皆《ざわめく》のさ。
――つまり、《一》者である事を《他》の観測によつて強要される《吾》は、《一》でありながら、其処には《零》といふ《存在》の在り方すら暗示するのだが、《一》者である事を強要される《他》における《吾》は、しかし、《吾》自身が《吾》を確定しようとすると、どうしても《吾》は-∞から+∞の間を大揺れに揺れる或る振動体としてしか把握出来ぬ、換言すれば、此の世に《存在》するとは絶えず±∞へと発散する《渾沌》に《存在》は曝されてゐる、儚い《存在》としてしか、ちえつ、実在出来ぬとすると、へつ、《存在》とはそもそも哀しい《もの》だね。
――くきいんんんんん――。
――だからどうしたと言ふのかね? へつ、哀しい《もの》だからと言つて、その哀しさを拭う為に直ちにお前はその哀しい《もの》として《存在》する事を已められるかね?
――へつ、已められる訳がなからうが――。
――土台、《吾》とは何処まで行つても《吾》によつて仮想若しくは仮象された《吾》以上にも以下にもなれぬ、しかし、《他》が厳然と《存在》する故に、《吾》は《他》によつて観察された《吾》である事を自然の摂理として受け入れる外ない矛盾! 嗚呼。
――それ故、男は女を、女は男を、換言すれば、陰は陽を、陽は陰を求めざるを得ぬといふ事かね?
――さう。男女の交合が悦楽の中に溺れるが如き《もの》なのは、《吾》が《吾》であつて、而も、《吾》である事からほんの一寸でも解放されたかの如き錯覚を、《吾》は男女の交合のえも言へぬ悦楽の中に見出す愚行を、へつ、何時迄経つても已められぬのだ。哀しい哉、この《存在》といふ《もの》は――。
作品名:蟻地獄~積 緋露雪作品集 Ⅰ 作家名:積 緋露雪