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積 緋露雪
積 緋露雪
novelistID. 70534
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蟻地獄~積 緋露雪作品集 Ⅰ

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――哀しい哉、人間は生(なま)の《自然》を憎悪してゐる。更に言へば、人間は《自然》を一時も目にしたくないのさ、本音のところでは。しかし、《現実》に絶えずその身を曝さざるを得ぬ。くっくっくっくっ。ざまあ見ろだ、ちぇっ。
 《そいつ》が舌打ちした時の顔といったら、それ以上に悍ましいものはないのである。虫唾が走ると言ったらよいのか、私は思はずぶるっと身震ひをせずにはゐられなかったのである。
――すると、《存在》とは常に《現実逃避》を望む《もの》だと、つまり、《存在》とは常に《現実》にその《存在》を脅かされ、へっ、そしてそれが《存在》を《変容》させる根本原因だといふのか? 
――さうさ。だから《存在》は全て《夢》を見る。
――神もまた《夢》を見ると? 
――ああ、勿論。
――《夢》を見ることが生理的な現象なのは勿論だが、それ以上に物理的な現象の一様相なのか? 
――当然だらう。
――つまり、《夢》を見ることでその前後の《夢見るもの》の、例へば質量は変化すると? 
――ああ、多分な。しかし、その変化はほんのほんのほんの僅かしか変化しない為に測定は不可能さ。だが、人間が《光》を《物質》に還元する術を手にした時、初めて人間は《夢》の質量を測定出来る筈だ。
――《夢見る神》の《夢》の質量もかね? 
――その時点で《無限》を手懐けてゐれば、当然測定可能だ。
――やはり神の問題には《無限》は付いて回ざるを得ないのか――。
――ふん、《無限》に恋焦がれてゐるのに、これまた如何した? 
――本当のところ、《無限》を渇仰してゐるのに、いざ《無限》を前にすると、へっ、哀しい哉、《無限》に対して何やら不気味な何かを、多分、それは《不安》と名指されるべき《もの》に違ひないが、その《不安》を感じて足が竦み慄いてしまふのさ。
――それは当然至極のことさ。《無限》を恐れ慄くのは《存在》にとっては《自然》な事だ。
――《自然》な事? 
――ああ、《存在》は《自然》に《無限》の面影を見出してしまふ習性があるからな。
――つまり、《存在》は《自然》に絶えず追ひ詰められてゐると? 
――ああ、《存在》は《変容》することを《現実》といふ《自然》に強要されてゐる。
――《存在》の逃げ道は? 
――無い。
――へっ、これっぽっちも無いのかね? 
――逃げ道など探さずに敢然と《存在》が《存在》する《現実》に対峙してみたら如何かね? 
――ちぇっ、それが至難の業だと知ってゐるくせに! 
――はて、何故《現実》に対峙することが至難の業なのかね? 
――絶えず《現実》といふ《自然》に《吾》が試されるからさ。
――ふっふっふっ。《吾》とはそんなにも繊細な《存在》なのかね? 
 その時《そいつ》は眼球をゆっくりと此方に向け、私の内界全てを一瞥の下に暴き出したかの如く《そいつ》はしたり顔で私を嗤ったのであった。
――それが不可能だと十二分に解かってゐるくせに《吾》は《吾》ならざる《吾》を絶えず渇望してゐなければ最早一時も《吾》たる事に我慢がならぬ、それでゐて《吾》ならざる《吾》に対しては疑念に満ち満ちた、それは何とも厄介な代物なのさ、《吾》とは。
――《吾》は《吾》に対してそんなに厄介な《もの》かね? 
――ああ、《吾》は一筋縄では行かぬ厄介この上ない代物だ。就中(なかんづく)《吾》が《吾》に対して抱く猜疑心、こいつは何とも度し難い――。
 《そいつ》はその刹那、にたりと嗤ひ、かう呟いたのであった。
――《吾》とはその《存在》の因子として先験的に猜疑心を授けられてゐる《存在》なのかね? 
――《吾》が滅する定めである限りさうに違ひない。
――つまり、その何とも厄介な代物を《吾》と名付けたはいいが、その実《吾》であることに我慢がならず、しかし、さうでありながらも実のところは《吾》は絶えず《吾》の壊滅に怯えてゐるのじゃないかね? 
――だからといって《吾》は《吾》であることを止められない。
――くっくっくっくっ。《吾》とは随分身勝手な《存在》なのだね。くっくっくっくっ。《吾》が《吾》であることが我慢ならず、それでゐて《吾》の壊滅には絶えず怯えてゐる。ちぇっ、何とも《愚劣》極まりない! 
 《そいつ》は吐き捨てるやうに、しかしながらそれでゐて《そいつ》自身に向かって「《愚劣》極まりない!」と言ったかのやうであった。
――《存在》は詰まる所《愚劣》な《もの》じゃないかね? 
――くっくっくっくっ。その通りだ。《存在》はそもそも《愚劣》極まりない! 《愚劣》極まりないから論理は尚更矛盾を孕んでゐなければならぬのさ。
――つまり、《存在》そのものが矛盾であると? 
――へっ、何処も彼処も矛盾だらけじゃないか! 
――だからと言って《吾》であることを一時も止められやしないんだぜ。嗚呼、何たる不合理! 
――そもそもお前の言ふ合理とは何なのかね? つまり、一=一が成り立てば、それが合理なのかね? 
 私は其処で、私の頭蓋内の闇にぽつねんと呪文の如く『吾=吾』といふ等式を思ひ浮かべたが、それは束の間のことで、直ぐ様『吾=吾』といふ《愚劣》極まりない等式としてのその表象を唾棄したのであった。
――自同律が諸悪の根元だといふことはお前にも自明のことだね? 
 《そいつ》は私を嘲笑ふやうにさう呟いたのであった。
――しかし、此の世に《存在》する限りにおいては自同律は持ち切らないといけない。それがどんなに不快であってもだ。
――くっくっくっくっ。別に持ち切らなくても構はないのじゃないかね? 
――如何して? 
――如何足掻いたところで《吾》は《吾》でしかないからさ。
――《吾》が《吾》であることを全肯定せよと? 
――ああ。
――へっ。それは《吾》が《吾》であることを全否定せよと言ってゐるのと同じことじゃないかね? 
――くっくっくっくっ。その通りさ。土台《吾》が《吾》であることを全肯定するには先づ《吾》が《吾》を全否定し尽くさねばその糸口すら見つからない。くっくっくっくっ。《吾》そのものがこれ程矛盾に満ちてゐるにも拘はらず、《吾》に対して合理を求めるのは最も不合理この上ないことじゃないかね? 
――「不合理故に吾信ず」――。
――さう、《吾》は先づ《吾》を信じてみたら如何かね? 
――ふっ、《吾》を信ずる? これは異なことを言ふ。「不合理故に吾信ず」といふ箴言は、《存在》のどん詰まりに追い込まれたその《存在》の断末魔の如き呻き声でしかないのさ。つまり、《吾》とは《吾》に対して信が置けぬ《愚劣》極まりない、つまり、《吾》対しては猜疑心の塊でしかないのさ。
――その自己否定こそ己の《存在》に対する免罪符になるかもしれぬといふ《愚劣》極まりない打算が働いてゐるのじゃないかね? くっくっくっくっ。
――何に対する免罪符といふのかね! 
――《死》に決まってるじゃないか、くっくっくっくっ。
――《死》に対する免罪符? これまた異なことを言ふ。《死》も此の世に《存在》する以上、自己否定からは遁れられやしないぜ。
――《死》が《死》を自己否定したところで、それは結局《死》でしかないんじゃないのかね? 
――否! 《死》が自己否定すれば《生》に行き着かなければならぬのさ。