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積 緋露雪
積 緋露雪
novelistID. 70534
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蟻地獄~積 緋露雪作品集 Ⅰ

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――それはまた如何して? 
――さうでなければ《生》たる《存在》が浮かばれないからさ。
――別に《生》が浮かばれる必要なんぞ全くないんじゃないかね、くっくっくっくっ。
 《そいつ》の言ふ通り、《生》が此の世で浮かばれる必要など、これっぽっちも無いことなど端から解かり切ってゐることなのに、私は《そいつ》のいやらしい嗤ひ顔を見てると如何しても反論せずにはゐられやしなかったのであった。
――否! 《生》は何としても此の世で浮かばれなければならぬ。それは《死》がさう望んでゐるに違ひないからさ。
――それは《生者》だけの論理だらう? 
――《生者》が《生者》の論理を語らなければ何が《生者》の論理を語るといふのか? 
――《死》がちゃんと語ってくれるさ、くっくっくっくっ。
――《死》は《生》あっての《死》だらう? 
――だから如何したといふのか? 
――ああ、成程! そうか! 《生》が《死》を、《死》が《生》を語る矛盾を抱へ込まなければ、《存在》の罠の思ふ壺といふことか――。
――はて、《存在》の罠とは何のことかね? 
――自同律さ。
――自同律? 
――例へば《吾》=《吾》が即ち《存在》の罠さ。
――くっくっくっくっ。漸く矛盾を孕んでゐない論理は論理の端くれにも置けぬといふことが解かって来たやうだな。
――しかし、《吾》は《吾》=《吾》でありたい。これは如何ともし難いのさ。
――それは当然さ。《存在》しちまった以上、《吾》は《吾》でありたいのは当然のことさ。しかし、それが大いなる罠であるのもまた事実だ。
――事実? 
――ああ、事実だ。
――論より証拠だ。何処が如何事実なのか答へ給へ。
――数学が《存在》する以上、《吾》が《吾》たり得たい衝動は如何ともし難い。
――数学ね。
――数学では条件次第で自同律なんぞは如何解決しようが自由だ。
――しかし、大概の《もの》は《一》=《一》の世界が現実だと看做してゐるぜ。
――其処さ。《存在》の罠が潜んでゐるのは。
――一つ確かめておくが、お前は数学を承認するかね? 
――ふむ。数学の承認か……。実のところは迷はず「承認する」と言ひ切りたいのだが、さて、如何したものだらうか――。ふむ。一先づかう言っておかう。「世界の一様態として数学を承認する」と。
――世界の一様態? 
――ああ。世界認識の方法として数学もあり得るといふことさ。
――しかし、数学が全てではないと? 
――当然だらう。数学が支配する世界なんぞ悍ましくて一時もゐられやしないぜ、ふっ。
――しかし、自同律を語るには数学は便利だぜ。
――といふと? 
――例へば《一》=【《一》のx乗(xは0,1,2,3……)】が成り立つ。
――だから? 
――《一》の零乗は《一》に帰するといふ、一見すると奇妙に見える自同律が成り立つのさ。
――さて、それが如何したといふのか? 
――《一》の零乗だぜ。《死》の匂ひがすると思はないかい? 
――といふと? 
――つまり、《死》は全《存在》に平等に賦与されてゐるからね。だから、xの零乗が全て《一》に帰すことに、平等なる《死》といふ《もの》の匂ひが如何してもしてしまふのさ。
――さうか……。これは愚問だが、《死》の様態は《死》以外にあり得るのだらうか? 
――《死》の様態? 
――さう。《生》が完全に《死》へ移行した時、その《死》の様態は《死》以外にあり得るのだらうか? 
――それは俗に言ふ「死に様」ではないよな。xの零乗が全て平等に《一》に帰す如き故の《死》の様態だよな。
――ああ。単なる「死に様」ではない。「死に様」には未だ《生》が潜り込んでゐるが、完全に《死》した《もの》の様態は、不図、平等なのかなと思っただけのことさ。
――くっくっくっ。それは《生者》が、若しくは此の世に《存在》した《もの》全てが死の床に就いた時に自づと解かることだらう。それまで《死》するのを楽しく待ってゐるんだな。
――それでは極楽浄土と地獄があるのは如何してだらう? 
――くっくっくっ。それはハミルトンの四元数(しげんすう)とか八元数とか一見晦渋に見える《もの》を無視すると、数に実数と虚数が《存在》するからじゃないのかね? 
――実数と虚数? それじゃ、複素数は何かね? 
 その刹那、《そいつ》は更に眼光鋭く私を睨み付けたのであった。
――複素数こそ《生》と《死》が入り混じった此の世の様態そのものさ。
――複素数が此の世の正体だとすると、それは実数部が《生》で虚数部が《死》を意味してゐるに過ぎぬのじゃないかね。さうすると極楽浄土と地獄は複素数の何処にあるのかね? 
――ちぇっ、下らない。複素数の実数部が《生》で《死》は零若しくは∞さ。虚数部は死後の《存在》の有様に過ぎぬ。
――さうすると、《死》の様態は±∞個、即ち∞の二乗個あることになるが、それを何と説明する? 
――此処で特異点を持ち出してくると如何なるかね? 
――特異点? つまり1/0=±∞と定義しちまへといふ乱暴な論理を展開せよと? 
――先にも言った筈だが、矛盾を孕んでゐない論理は論理たり得ぬと言ったらう。
――しかし、それは独り善(よ)がりの独断でしかないのじゃないかね? 
――独断で構はぬではないか。
――さうすると、∞の零乗も《一》かね? 
――さう看做したければさう看做せばいいのさ。所詮、此の世に幸か不幸か《存在》しちまった《もの》は、その内部に特異点といふ矛盾を抱へ込んでのた打ち回るしかないのさ。さうして《生》を真っ当に生き切った《もの》のみが零若しくは∞といふ《死》へと移行し、さうしてその時、ぱっと口を開けるだらう《零の穴》若しくは《∞の穴》を《死者》は覗き込むのさ。其処で目にする虚数の世界が『死霊(しれい)』の世界に違ひないのさ。
――埴谷雄高かね? 
――さう。するとお前も霊の《存在》は認める訳だね。
――ああ、勿論だとも。
 その時の《そいつ》のにたり顔ったら、いやらしくて仕様がないのであった。すると《そいつ》は
――しかし、虚数i若しくはj若しくはkは自身を二乗するとマイナス一へと変化する。これをお前は何とする? 
と、私に謎かけをしたのであった。
――ふむ。マイナス一、つまり、負の数ね。それは、影の世界のことではないのかね。
――ご名答! 闇の中にじっと息を潜めて蹲ってゐる影の如き《もの》こそ負の数の指し示す《存在》の様態だ。
――それは透明な《存在》と言ひ直してもいいのかい? 
――へっ、別にどっちだって構ひやしない。土台、全ては闇の中に蹲って《存在》する負の数といふ《陰体》なのだからな。
――《陰体》? 
――つまり、光が当たらなければ見出されぬままに未来永劫に亙って闇の中に蹲って息を潜めて《存在》し続ける《もの》を《陰体》と名指しただけのことさ。
――さうすると、極楽浄土と地獄とは一体何なのかね? 
――くっくっくっ。《死》した《もの》が《零の穴》若しくは《∞の穴》を覗き込んだ時に目にする絶対的に《主観》の世界像の事に決まってをらうが。
――《死》んだ《もの》が《零の穴》若しくは《∞の穴》を覗き込んだ時に目にする絶対的に《主観》の世界像?