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積 緋露雪
積 緋露雪
novelistID. 70534
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蟻地獄~積 緋露雪作品集 Ⅰ

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――《吾》が《存在》してゐる事を「奇蹟」と看做した処で、《吾》は蘗の《吾》を《吾》といふ《存在》に見出すのが関の山だ。
――譬へ《吾》が何度も「神の斧」でぶった切られた蘗の《吾》であらうが、《吾》が此の世に《存在》してゐる事実は「奇蹟」ではないのかね?
――ふっふっ、《存在》する《もの》はそれが何であれ全て「奇蹟」さ。
――ならば、何故に《吾》は「神の斧」でぶった切られる羽目に陥るのかね?
――ふっ、簡単さ。つまり、《吾》が冗長しないやうに《神》は《吾》をぶった切って、剪定してゐるのさ。しかし、《神》の剪定に何の理由もないがね。
――つまり、《吾》、ちぇっ、《存在》はそれが何であれ、《世界》、ちぇっ、《世界》もまた相転移を繰り返しながら《神》にぶった切られた蘗の《世界》だったが、その《世界》の中で生存する為に、そして、《吾》を《世界》に順応させる為に、《吾》は《神》が何の理由もなくぶった切る事を許容せずば、《存在》出来ぬ訳だが、さて、そもそも《吾》はさうしてまで存続するに値する《もの》かね?
――それは禁句だぜ。此の世の森羅万象に値踏みを付ける事程、虚しい作業はないぜ。つまり、此の世の森羅万象は「先験的」に《存在》する事を許されてゐる。
――しかし、自殺する《もの》も少なからず《存在》するぜ。
――それは、《吾》の存続は、只管、《吾》の《自由》に属すると傲慢にも看做しちまふ《存在》に魔が差した《吾》の愚行がさうさせる傲慢な《吾》の為せる業さ。
――つまり、《吾》が、結局の処、《吾》は蘗の《吾》、即ち、「偽り」の《吾》でしかないと、底無しの虚無に《吾》を漂はせてしまった事で、《吾》は《吾》の居場所を此の世で見失ひ、詰まる所、「えい!」とばかりに、《吾》を《死》の領域へと投身する自殺は、《世界》からの、そして《吾》からの永劫の遁走でしかないのさ。
――それでは、此の《世界》や《吾》から遁走する事は罪なのかね?
――ああ、勿論罪さ。何故って、例へば底無しの苦悩が永劫に続くが如く看做す《吾》は、《吾》である矛盾を決して許せず、そして、《世界》への、そして、《吾》への怨嗟の見せしめとして自殺して見せる愚行は、結局、《吾》の中のみで自閉した出来事でしかなく、さうして、自殺した《吾》は、永劫に時間が止まった《死》の一様相の中で、ふっ、自殺した《吾》はそんな事はつゆ知らず、自殺を遂げてしまった不幸な《吾》の甘ちゃんな処が、《世界》からの、そして《吾》からの遁走でしかなかったにも拘らず、その結果待ってゐるのは、未来永劫に《吾》である事を強要される地獄にわざわざ参る事に過ぎないといふ皮肉を行っているだけの事で、そして、苦悩の中で自殺した《吾》は、未来永劫に亙って完璧な《吾》である烙印を押されるに過ぎぬのだ。それは、つまり、《吾》が更なる蘗の《吾》となる事を已めちまったのだからな。当然の報ひだ。
――自殺が未来永劫に亙って完璧? それは一体全体何の事かね?
――自殺した《もの》には、何《もの》も口に出しては言はぬが、「卑怯者」といふ烙印が押されるのだ。それが、自ら《死》した《もの》が《死》した事によって、尚更強調されて此の世に残される《存在》の一様相であるが、その「卑怯者」と此の世に《生》を繋ぐ《もの》から蔑まれるその根拠に、自殺した《もの》には永劫と完璧といふ皮肉な事態が必ず起きる定めにあるのだ。つまり、変容する蘗の《吾》から遁走し自殺した《吾》は、生き残る《吾》から一斉に「卑怯者」と看做される故に、つまり、《生》を自らぶった切る愚行の罪として、自殺した「卑怯者」は、未来永劫に亙って完璧な「卑怯者」として、自殺に及んだその《存在》は、それが何であれ最早、遁れられぬ偏見の下、《生者》に蔑まされる宿命を自ら呼び込んだに過ぎぬのさ。
――ふむ。完璧な「卑怯者」か……。ふっ、「卑怯者」の完璧とは、余程の「卑怯者」なのだらうな、ふはっはっはっはっ。
――当然だらう。自殺しちまった《もの》は、或る種、此の世といふ地獄から遁れる事で彼の世といふ更なる凄惨な地獄に未来永劫《吾》である事を已められずにゐなければならぬ定めを自ら進んで選んだのだからな。
――つまり、自殺は地獄行きかね?
――勿論、私は今や地獄が生き生きと復活する事を予言する。
――地獄では《吾》は永劫に亙って、やはり《吾》かね?
――当然だらう。地獄で《吾》が永劫に《吾》でなければ、地獄の責め苦を受ける《もの》は一体何なのかね?
――成程。地獄の責め苦を受けるのは必ず《吾》でなければならぬか……ふむ。それが、お前の言ふ「卑怯者」の完璧なのか、成程ね。ところで、一つ尋ねるが、今、何故に地獄の復活なのかね?
――現世での《吾》がいづれも蘗の《吾》、つまり、「神の斧」で理由なくぶった切られた《吾》から芽生える蘗の《吾》が《存在》する事を保証する為さ。
――蘗の《吾》の《存在》の保証とは、へっ、詰まる所、お前にとってすら蘗の《吾》が《吾》である確信がないといふ事の表明ではないのかね?
――さうさ。何《もの》も《吾》が《吾》として《存在》してゐる確信はない筈だぜ。
――ならば、何故に地獄の復活なのかね?
――地獄では《吾》は徹底的に《吾》でしかないからさ。
――つまり、地獄において《吾》は連続してゐると?
――否、地獄においてもその極悪非道の限りを尽くした責め苦によって《吾》なんぞは簡単にぶち切れるが、地獄の責め苦をじっくりと味はひ尽くす為に一度ぶった切られた《吾》は、残酷にも地獄においては再び《吾》として繋ぎ合はされるのさ。
――つまり、現世において、「神の斧」に理不尽に理由なくぶった切られ蘗の《吾》として《吾》が《存在》するのは、《吾》が《吾》である事で、心底味はひ尽くさねばならぬ苦悶を緩和してゐるといふ事かね?
――それも一理あるが、《吾》は本来《吾》以外の《もの》に変容する事を渇望して已まない《存在》である故に、《吾》は「神の斧」でぶった切られる事で、新たな《吾》の到来を待ち望んでゐるのが本心なのさ。
――つまり、「神の斧」はMessiah(メシア)、若しくは、希望の別称かね?
――《吾》が理由なく「神の斧」でぶった切られる事が、希望と言ふのは何処かをかしいだらう。むしろ、「神の斧」でぶった切られる事は、《存在》の躓きの石とした方がぴたりとくるがね。
――《存在》の躓きの石かね? つまり、《存在》の躓きの石に躓いた《存在》は、既に《吾》とは違った何かに変化してゐるといふ事でいいのかね?
――否! 《存在》の躓きの石で躓いた《存在》、つまり、《吾》は、最早、そのままぶっ倒れたままに起き上がれずに、また、起き上がることは土台不可能事で、一度、その躓きの石に躓いてしまった《吾》は、起き上がる為に、躓いた《吾》を蜥蜴の尻尾切りのやうにぶった切って殺してしまひ、新たなる《吾》の出現を渇望するのが《存在》の、《吾》の本心なのさ。
――その《吾》を《吾》として保証する為に地獄の復活ね。ふはっはっはっはっ。ちゃんちゃらをかしい!