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積 緋露雪
積 緋露雪
novelistID. 70534
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蟻地獄~積 緋露雪作品集 Ⅰ

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と、夢の中の私はその《闇の夢》たる《吾》を形象して、無意識裡に私自身から私が死ぬまで、否、私が夢を見なくなるまで永劫に隠し果したい醜悪極まりない《異形の吾》を《闇の夢》に隠してゐるのは間違ひなく、その氷山の一角として、若しくはその証左として、《夢》となって私の眼前に現はれる《闇の夢》は、大概何かに変容するのが常なのであった。そして、私はといふと、浅い眠りの中で見る《闇の夢》が何かに変容するのを何時も待ち構へてゐて、大抵は《闇の夢》は《世界》へと変容し、夢は夢見中の私の眼前にその可視可能な《世界》となって拡がるばかりの何の変哲もない《もの》へと変容を遂げるのであった。斯様に《闇の夢》は大概《世界》へと変容はするが、尤も、何かの具体物、例へば、人間や動物などの創造物たる《もの》への変容は稀であり、それは多分に《吾》によって《吾》の本質の尻尾を捕まへられるのを極度に嫌ひ何としても私に私の本質が見破られる事を避ける《インチキ》をする事で、《吾》と夢の中で対峙する事態を回避してゐるのも間違ひのない事であった。そして、その《闇の夢》に隠されてゐる《もの》の一つに《死》の形象が《存在》するのは確かで、もしかすると私は、《死》といふ《もの》が無上の恍惚状態であるかもしれぬ事を、何となく《闇の夢》が醸し出す雰囲気から無意識裡にでも感じ取ってゐたのかもしれなかったのである。其処で、
ーーへっ、《死》が無上の恍惚? 
といふ半畳を《吾》が《吾》に対して入れる自己矛盾に自嘲するでもなくはないのであるが、しかし、仮に《死》が無上の恍惚状態の涯に《存在》する何かであるならば、《吾》が《吾》に問ふ自問自答といふ《吾》における「阿片」たるその問ひ掛けの源が《死》といふ無上の恍惚状態から発してゐる《存在》の欠くべからざる必須の《もの》の如く、換言すれば、《存在》が《存在》であり続けるには、何としても必要な糧が《死》の無上の恍惚状態との仮定に立てば、成程、細胞六十兆程の統一体として《生きてゐる》私の個々の細胞の多くは、しかしながら自死してゐる事態を鑑みれば、《死》の無上の恍惚状態といふ事態が不思議と納得出来てしまふのも、また、私にとっては厳然とした事実なのであった。
 さて、其処で、私は、不意に腐敗Gas(ガス)で腹がぱんぱんに膨れ上がり、どろりと目玉が眼窩から零れ落ち、彼方此方で腐敗して肉体が欠落し白骨が剥き出した私の《死》の形象が脳裡を過る刹那に時々遭遇するのであるが、しかし、現代では死体は故意に遺棄されるか孤独死をしなければ腐敗するに任せる事はなく、小一時間程の焼却で火葬され、さっきまで死体であった《もの》が白き骨の残骸に劇的に変化を遂げる、否、焼却といふ激烈な化学反応によって《死体》を無機物へと無理矢理還元させる現代において、私の《死》の形象は、妄想以外の何《もの》でもないのであったが、尤も、私が徐に深々と一息吸ひ込み《闇の夢》へと投身した時の深い眠りの時に見てゐるであらう夢は、もしかすると私の腐乱した《死体》との出会ひでしかないのかもしれぬ可能性も無くはないのであった。そして、私が《闇の夢》の中に隠してゐるのが《死》の無上の恍惚状態であるならば、私は、私の《死体》が時の移ろひと共に腐乱して行く《吾》の醜悪な、しかし、《自然》な姿を凝視しながら、即自、対自、そして脱自を繰り返しながら、或る時は《吾》は《吾》と分離した《異形の吾》として、また或る時は眼前に横たはる《吾》の腐乱した《死体》と同化しては、この上なく《死》の無上の恍惚状態を心行くまで堪能し尽くす《快楽》へと《吾》は身投げをし、更にはその恍惚状態の《吾》から幽体離脱しつつも、《吾》は尚も恍惚状態のままでゐる大いなる矛盾の中で絶えず《吾》である事を強制された《存在》として、《吾》を《闇の夢》が生んだ更なる夢の奥深くに《吾》を投企してゐるのかもしれなかったのである。
 死んで腐乱してゐる《吾》の死体を形象せずにはをれぬ、その《吾》のおかしな状況を鑑みると、《吾》が腐乱する死体として形象するのは、多分、《吾》が《生》の限界と、それと同時に《生》の限界を軽々と飛び越える《死》への跳躍を経て《超越》してしまふ《吾》、つまり、《生》と《死》の《存在》の在り方を《超越》する《吾》と名指せる何かへの仄かな仄かな仄かな期待が其処に込められてゐるのではないかと訝しりながらも、
ーーさうか。《吾》からの《超越》かーー。
と、不思議に《超越》する《吾》といふ語感に妙に納得する《吾》を見出す一方で、
ーーはて、《吾》は《吾》に何を期待してゐるのか? 
と、皮肉な嗤ひとともに《吾》を自嘲せずにはをれぬ私は、《超越》という言葉を錦の御旗に《存在》ににじり寄るれるとでも考へてゐるのか、
ーー腐乱し潰滅し往く《死体》たる《存在》のその頭蓋内の闇には、尚も、《吾》を認識する意識ーー意識といふ言葉には違和を感じるので、それを魂と呼ぶがーーその意識若しくは魂が尚も脳の腐乱し潰滅し往く《吾》の頭蓋内の闇には確かに《存在》する筈だ! 
と、考へると同時に、
ーー《生者》が《生者》の流儀で《存在》に対峙するのであれば、《死者》は《死者》の流儀で《存在》に対峙するのかもしれぬ。
と、無意識裡に、若しくは「先験的」に私は《生》と《死》に境を設けてしまふ単純な思考法若しくは死生観から遁れ出られずそれに捉はれてしまってゐる事を自覚しつつも、《生》の単純な延長線上に《死》は無いと、そして、また、私といふ生き物には、《死》は《生》が相転移し、全く新しい事象として《存在》する何かであると看做す「思考の癖」がある事を自覚しながらも、
ーー然り。
と、何の根拠もないのに不敵な嗤ひを己に対して浮かべながら、《生》から《死》へと移行するその《存在》が相転移する様に、もしかすると《存在》の未知の秘密が隠されてゐるかもしれぬと、私の頭蓋内の闇たる五蘊場に明滅する表象を浮かぶままにしながら茫洋とその《吾》の頭蓋内の闇たる五蘊場を覗き込むのであった。
…………
…………
ーーさて、《闇の夢》を見ざるを得ぬ《吾》は、其処に未だ出現せざる未知なる何かを隠し、それがほんの一寸でも姿を現はすのをじっと待ってゐるのであらうか? 
と、不意に発せられた自問に、私は私が《闇の夢》を見るのはもしかすると、世界=内=存在たる《吾》の全否定の表はれではないかと訝しりながらも、
ーーそれは面白い。
と、独りほくそ笑んでは
ーー私が《闇の夢》を見るのは、もしかすると《吾》は勿論の事、全世界、つまり、森羅万象の《存在》を無意識裡では全否定して、夢の中だけでも《存在》が、その見果てぬ夢たるこれまでの全宇宙史を通して《存在》した事がない未知なる何かが《闇》には尚も潜んでゐるに違ひないと看做してゐるのではないか? 
と、私の《闇》への過剰な期待を嗤ってみるのであるが、しかし、《闇の夢》を見ながら
ーー《吾》だと、ぶはっはっはっはっ。
と嗤ってゐた私を思ふと、私は、やはり、《闇》に未知なる何かを表象させようと《闇の夢》に鞭打ち、《闇》が未知なる何かに化けるのをずっと待ち望んでゐたと考へられなくもないのであった。