蟻地獄~積 緋露雪作品集 Ⅰ
――死の連鎖か……。怨恨は死の連鎖を生む化け物だ。況して己の死も知らぬものが「現存在」の自由の最後の砦たる死を知らぬ以上、残された親類縁者においてもよからぬ恨みとしてそれは発露し、やがてはテロルを実行するのか……。
――その状況の混沌としたものが現在だ。世界は何処も彼処も恨みと鎮魂の入り交じつた暴風の中で、各人は歯を食い縛つて大地に屹立するのだ。
――つまり、此の世に屹立する事に異常な労力を必要とする、何とも生きづらい世が再び百年ぶりに到来したのだ。世界が個人で閉ぢて温温と過ごせる時代は既に過ぎ去つてゐて、世界には不意に身も知らぬテロリストが出現し、世界は阿鼻叫喚の様相を呈し、一気に爆風で開かれ、そのぞつとした有様は、誰にとつても足が竦む恐怖が支配する暗黒時代の始まりかも知れぬのだ。
――暗黒時代? 暗黒世代と言へば、中世の西洋が将に暗黒時代と形容されるが、しかし、研究が進むにつれ、以外と庶民は逞しく生き、活気があつた時代として見直されてゐる。しかし、百年前のテロルの時代は、世界の冷戦構造で一旦封印されたかに見えたが、それは、テロリズムよりも強大な恐怖で世界を蔽ふ事で、テロリストの憤懣は雲散霧消してゐただけなのかも知れなかつたのだ。さうして、その箍が外れた現代、世界各地でテロルが毎日のやうに起きてゐるが、それはしかし、限定的、かつ局所的な恐怖を醸成はするが、世界は尚も安寧の中に殆どの世界は胡座を舁いてゐる。
――だから、《吾》が《吾》を呑み込むといふ事には、既に雑音が、ノイズが絡みついてゐて、《吾》は雑音に塗れた《吾》を呑み込むのだ。さうして、相変はらず《吾》はげつぷをするのだが、そのげつぷは、もう不快極まりない音ならざる奇怪な音で《吾》はもう、苦笑ひするしかないのだ。
――それはもう、げつぷではないのぢやないかね?
――さう。もうげつぷではなく、うんうんと唸る呻吟に近しい、もしかすると苦悶の断末魔かもしれぬのだ。
――さうだね。此の世は理不尽に殺戮されたものが余りにも多くなつてしまつた。それら永劫に報はれぬ不合理のうちに殺戮されたもの達の断末魔が、《吾》が《吾》を呑み込んだときのげつぷを、かき消してしまつたといふことだ。既に慈悲深い世界に抱かれてゐた此の世の春の時代は終焉してしまつた。今は何処も阿鼻叫喚が逆巻く、怨恨ばかりが跋扈する身震ひする外ない世界に変貌してしまつた。何たることか! 怨恨は怨恨を誘ふ永劫に続く連鎖を生み出してしまふ。或る処に怨恨が生まれてしまつたならば、最早、怨恨の連鎖を断ち切る術を「現存在」は持ち合はせてゐないのだ。
――だからといつて、憤死するわけもなからう。怨恨を抱いたものが憤死するだけの覚悟は最早、現代は抱かせない論理が優先する。とはいへ、今も、憤死するだけの覚悟を持つた強者は存在し、チベツトの僧は、その先陣を切り、体制に反発して憤死するのだ。しかし、憤死もまた怨恨を生むのみで、やがて、それは闘争へと発展するに違ひないのだ。チベツトの僧達の憤死は、それを望んでゐる。導火線になる事を望んでゐるのだ。果てしなき闘争、それは戦争に違ひなく、それをチベツトの僧は待ち望んでゐるのだ。
――既に我慢の限界か? 「現存在」は存在自体に我慢の限界を迎へてゐるのか? だとすると、再び、実存主義の時代が到来するのかね?
――さあね。だが、新語造語を作らなければ此の世を語り果せる言葉を最早「現存在」は持ち合わせてゐない。だから、《吾》はげつぷしか吐けないのだ。言葉を持ち合はせてゐないからこそのげつぷは、多分、《吾》の哀歌、若しくは悲歌に違ひない。
――つまり、Swansongといふ事か。ならば、最早、此の世には哀しみしか意味を持たぬと言ふ事か。ふつ、つまり、現代は哀存主義か、将又、悲存主義の時代という事かね?
――つまり、現代では無の無化を徹底的に行つたために、此の世に存在したものは絶えず太陽光に等しき光に晒されて、《吾》の恥部を万人に晒してゐるのだ。その恥部とは《吾》の素面だがね。何故って、「現存在」ほど仮面好きもをらず、「現存在」とは仮面族の別称だらう。
――まあ、そんなところかな。だが、素面見たさに《吾》を隈無く検査と称して調べ上げたのは、これまた、「現存在」のどうしやうもない性だらう。今は、脳にSpotlightが当たてゐるが、人工知能とともに脳も解析されるのもさう遠くはないだらう。だが、その時、「現存在」は己の立ち位置をどうするのか、難しい問題に出遭ふ筈で、それに堪へ得る存在論を「現存在」は構築せねば、多分、半数以上の「現存在」は路頭に迷ふ筈だ。
――何故、路頭に迷ふと?
――拠り所がなくなるからさ。
――何の拠り所かね?
――人工知能を搭載した「肉体」を持ったAndroid(アンドロイド)、若しくはRobot(ロボット)の登場で、意識が万人の目に晒される事になる。さうなると、存在はAndroidかRobotかに関して徹底的に解析した方が、格段に解りやすく、それは、Programming言語で翻訳可能な筈で、意識が白日の下に晒されるのさ。そこで、「現存在」は解析された意識に準ずるやうにと強要され、それができないものは、社会に適応できず、Dropoutする筈さ。
――果たして意識がその尻尾を出すと思ふのかい? 神と言ふ「インチキ=崇高」をでつち上げて信仰する「現存在」のその浅薄でありながら、不可解な、そして、奥ゆかしい意識は、さて、神神しいものとして「現存在」の眼前にその姿を現はすと思ふかい?
――さてね。唯、人工知能と競合するものは数多出てくるのは、甘んじて受け容れなければならぬ。しかし、その一方で仮にも人工知能を奴隷にできた暁には、「現存在」は貴族然として思索に耽る存在として此の世に存在する事になると思ふかね?
――どのみち、人工知能と共存しなければならない世界に既に「現存在」は置かれてゐて、これから生まれてくる未来人は、先験的に人工知能が存在する世界に出現させられる。だからといって、「現存在」は己を卑下する必要はないのだが、しかし、何においても人工知能の方が優秀という事態に出遭ってしまふと、己が特権階級に属すると言ふ観念を抱けるのかどうかは不明だがね。それ以前に、赤子は人工知能をどう理解するのだらうか。
――何、心配いらないぜ。物心が付いてAndroidとかRobotとかの言葉を知れば、既に其処には或る観念が付随してゐて、やがてAndroidもRobotも「現存在」と違ふ存在である事はぼんやりと区別する筈さ。
――ぼんやりとかね?
――さう、ぼんやりとだ。哀しい哉、青春の苦悶を経験しなければ、AndroidもRobotも赤子にとってはぼんやりとした観念しか持てぬのだ。存在の魔に囚はれた時に始めて、自同律と他とAndroidとRobotの存在様式の在り方が違ふといふ事を身を以て知らされる。
――それは知らされると?
作品名:蟻地獄~積 緋露雪作品集 Ⅰ 作家名:積 緋露雪