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積 緋露雪
積 緋露雪
novelistID. 70534
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蟻地獄~積 緋露雪作品集 Ⅰ

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――自家撞着だぜ、お前の言つてゐる事は。つまり、《吾》が《吾》である事はないと言ひながら、思想においては《吾》の好悪で判断するこの大矛盾を何とするのかね?
――《吾》が《吾》である事はあり得ぬが、然しながら《吾》が不完全な形であつても此の世に《存在》する《吾》が、思想においてそれを《吾》の好悪で判断しても別に構はぬがね。
――それが詭弁なのさ。
――ならば訊くが、《吾》において《他》とは何なのかね? 少なくとも《他》は《吾》でないといふ事は、何事においても前提条件になつてゐるのは何故かね?
――何、簡単な事さ。《吾》は《他》であり得たかもしれぬその蓋然性に眩暈を起こすのさ。さうでありながら《吾》が《他》なしに一時も持続出来ぬ皮肉を噛み締める。それで十分だらう。この哀れな《吾》の屈辱を味はふのは。
――つまり、千年前も千年後も《吾》が存続する為には《他》を殺して喰らふといふ事かね?
――さうさ。しかし、屠殺する仕方は、多分、近未来には人の手からロボツトに変化してゐるだらうがね。つまり、《生》を殺す殺し方は、如何に人の手から遠い処で行はれるかを芸術的なまでに自動化する筈さ、此の人類といふ《もの》は。多分、Monitor画面越しに人はあらゆる事を行うといふ事を目指すに違ひない。
――それはまた、何故にかね?
――楽だからさ。それだけの事さ。
――しかし、或る種が、楽を求めた刹那、その種は絶滅への道にまつしぐらぢやないかね?
――さう。緩慢なる絶滅への道さ。倒木更新は、生物史で起こらなければならぬのさ。人類なんぞ絶滅すべき最たる《もの》さ。
――それはまた何故に?
――約めて言へば、下らぬからさ。
――ふむ。下らぬねえ? それではお前はお前自身の自滅を願つてゐるといふ事かね?
――さあ、それは解からぬ。唯、私は生き恥を晒して生きいてるのは確かさ。
――だからと言つて、それが《他》も同じだとは思ふのは僭越といふ《もの》だせ。
――ならば、お前は何故に《生》にしがみ付いてゐるのかね?
――へつ、私はもしかすると既に死んでゐるかもしれぬぜ。まあ、それはそれとして、変容する《吾》の行く末を見定めたいだけさ。
――それこそ詭弁だぜ。
――さうかね? 三世恒常なる《存在》をお前は夢見ないかね?
――三世恒常、つまり、過去、現在、未来を超えた超然たる《存在》への変貌を夢見るといふ事か――ふむ。それは、《死者》が既に行つてゐる事だらう。《死者》は《生者》にとつて、三世恒常な《存在》さ。例へば、プラトンが現在に至つても尚、その思想が生き生きとしてゐるのは、ソクラテスが《存在》した事にもよるが、しかし、プラトンが書を遺したからだらう。
――つまり、文章、否、文字に《吾》は宿ると?
――さう。《吾》は文字に宿る《念》なのさ。
――くきいんんんんん――。
――さて、つまり、《存在》とは、文字により、置き換はる何かといふ事かね?
――多分、さうなのさ。書く事でやうやつと《吾》がその漫然とした輪郭を多少はくつきりと浮かび上がらせる事が可能なのさ。
――さうかね? 私は、書く事によつて益益混迷の中へと突き進む《吾》を見出すがね。
――それは、お前の変容がまだ不十分だからに過ぎぬ。絶望を知つてしまへば、否応なく《吾》は《吾》を文字に認(したた)めるに違ひない。
――それは言霊信仰と同じぢやないかね?
――勿論! 言霊の《存在》を信ずればこそ、《吾》は《吾》を《念》と言つてゐるのさ。
――つまり、《念》は言語に上手く乗れるといふ事かね?
――別に言語に拘る必要はない。絵画や彫刻や音楽だつて《念》は乗るからね。
――それでもお前は言語を選んだのだらう? それは何故だね?
――心像において色や形や音は邪魔だからさ。
――抽象絵画は? 将又、現代音楽は?
――抽象絵画にしても現代音楽にしても、今度は心像の幅が大き過ぎるのさ。
――つまり、言語が最も自在に心像を喚起するといふ事かね?
――さう。つまり、《念》の乗り物として言語においてこそ、多少の自在が保持される。
――奔放なる心像の表出は厭だと言ふ事だね?
――さう。何事も過剰はよくない。過剰であると、結局、己の好む《もの》のみを選ぶ傾向があるからね。何故つて、《吾》は過剰に対して絶えず防御反応を引き起こし、過剰を選別して、平常へと無理矢理引き摺り下ろす。その選別の時、《吾》は《吾》の好みに応じて選別してゐるのが普通なのさ。そして、過剰は《吾》を極度に疲れさせる。これがいけないのさ。例へば抽象絵画や現代音楽は、余りに過剰に私に語り掛けてくるので、観たり聴いたりする時、唯唯、疲れるだけなのさ。況して漫画は尚更私には過剰な情報量がある故に読むと途轍もなく疲れるのさ。
――それぢや、情報過多な現代ぢや生きてゆけないぜ。
――何、情報を遮断しちまへば、それで済むだらう?
――情報を選ばずに遮断するか――ふむ。しかし、それぢや、山に住む仙人と何が違ふのかね?
――別段違はなくとも構はぬではないか。
――ならば、山に籠る方がどれ程《吾》には生き易いか、今更言ふに及ばずだね、
――また、山に籠るには若過ぎると思つてゐてね。例へば仏門に入るとして得度するのにまだ若過ぎると思つてゐるのさ。
――つまり、後後は仏門に入らうと?
――さあ、それは解からぬが、唯、情報に溺れずに思索に耽る静かな生活は送りたいと願つてゐる。
――そんなもの、今やらなくて何時やるといふのかね? 時は待つて呉れやしないんだぜ。
――だから、私は情報を遮断してゐると言つた筈だぜ。
――それで何か悟れたかね?
――いや、 何も。
――ふつ、当然だな。
――さう、悟る事なんぞ端から望んでいない。
――しかし、思索には耽りたいといふ我儘は推し進めようとして我を通さうとする。この大いなる矛盾を何とする?
――別に、どうともしないぜ。矛盾をちやんと抱へ込む事が、思索の源泉になるからね。
――ふむ。しかし、自在を求める事によつて我執に囚はれるといふ袋小路は、混乱のもとだぜ。
――所詮、《吾》は混乱、へつ、渾沌としてゐる《もの》なのさ。
――それを言つちやお仕舞ひだぜ。
――さうかね? 《吾》は渾沌故に思索を望む《もの》ぢやないかね。
――その方便としての言語だね?
――さういふこつた!
――ならば、《念》を言語に盛る形式は見つかつたかい?
――いや、まだ手探り状態さ。唯、ドストエフスキイに匹敵する《もの》はものにしたいがね。
――へつ、何と高望みな事よ。ドストエフスキイと来たもんだ。ふつ、それは非常に非常に非常に難しい事だぜ。
――だから望む処なのさ。
――それは詰まる所、不可能を可能にしたいといふお前の願望だらう?
――不可能を何とか可能にするべく、《吾》は思索する筈だがね。何故つて、《吾》が此の世に《存在》しちまつた事を受け容れるその仕方は、人それぞれ違ふやうに思へるが、ところが、《吾》がこの得体の知れぬ《吾》を受け容れる「受難」は、《吾》を困惑させ、《吾》は戸惑ふばかりなのだ。
――それと ドストエフスキイと何の関係があるといふのかね?
――ドストエフスキイの巨大作群は、私の魂を揺さぶつて飽きさせないのさ。
――だから?