蟻地獄~積 緋露雪作品集 Ⅰ
――《吾》の本然もへつたくれもありやしないぜ。あるのは、此の未完の《吾》のみで、その《吾》は《吾》といふ《念》を呑み込む事で漸く《吾》なる仮面を被つてゐるに過ぎぬのさ。
――どうあつても《吾》は諸行無常の此の世に《存在》する為には仮面を被らなければならぬのかね?
――ああ。どうあつても《吾》は面がなくちやならない。何故つて、《吾》に面がなけりや、《吾》を呑み込む時、呑み込んだ気がしないからさ。
――ぶはつ、それだけの為の仮面かね? 馬鹿らしい。
――さう。《吾》の相貌とは、所詮そんな《もの》さ。《吾》が《吾》である目印でしかないのさ。
――しかし、その《吾》の相貌が《吾》の《存在》に大きな役割を果たしてゐるとしたならば?
――だから?
――つまり、《吾》において、初めに顔ありき、なのさ。
――何故に、初めに顔ありきなのかね? 《水》の不純物に過ぎぬ《吾》においては、初めに顔などありやしないぜ。初めに《一》なる受精卵があるのみだ。
――その受精卵こそが《吾》の相貌の《一》例になる。
――ふむ。受精卵こそが《吾》の相貌の《一》なる《もの》ね。それつて、詭弁ぢやないかね?
――勿論、《吾》の相貌は何でも構はぬのさ。
――何故に?
――顔とは、面とは、相貌とは、顔貌とは、それが何であれ、仮初の《もの》でしかないからさ。此の世が諸行無常のやうに、《吾》の相貌も変化して已まぬ。仮初に過ぎぬから《吾》は絶えず《吾》を呑み込んで「げつぷ」をするのさ。「げつぷ」こそ自己確認の最たる《もの》なのさ。例へば、「現存在」の受精卵は、細胞分裂をし、自己増殖する過程で、地球上に出現した全生物に変化しながら、最終的に「現存在」の赤子へと変容するが、つまり、《吾》は、此の世に赤子として誕生したときに既に全生物史を体現してゐる百面相なのさ。然しながら、百面相なるが故に《吾》を象徴する面がどうしても必要になる。其処で、《吾》は、《吾》の《念》の宿り木としての仮初の《存在》として「現存在」に宿り、《吾》の相貌を手に入れるのさ。
――へつ、それでは言つてゐる事が矛盾してゐるぜ。私は、《他》を見る時、《他》の相貌は振動していて、《一》なる《もの》としては顔が見えぬのだ。絶えず揺れ続けていて、様様な顔が《他》の相貌には現出するのだ。決して《他》の相貌が《一》に纏まる事がないぜ。
――それで?
――つまり、私において《他》の顔貌は、無数の顔の重ね合はせに過ぎぬのさ。決して《一》なる仮面としては見えぬのだ。
――それでも《吾》は《一》なる仮面を被るのさ。そして、《吾》は摂動する。摂動せずにはをれぬのだ。何故つて、《吾》が《吾》である事は、どうあつても《吾》にとつては受け容れ難い苦悶でしかないからさ。
――ならば、何故に、仮面を被るなどと言ふのかね?
――《零》の面が必要なのさ。
――は? 何を言ひ出すのかね? 《零》の面が《一》なる仮面と何の関係があるのかね? そもそも《零》の仮面とはいつたい何の事なのかね?
――《吾》は、《一》の仮面ではなく、飽くまで《零》の仮面だからさ。
――その証左は?
――《吾》が《吾》である、といふ命題は此の世でこれまで一度も成立した事はないからさ。
――はて、それぢや、何の説明にもなつてやしないぜ。
――何、簡単な事さ。《吾》とは、千年前に《存在》してゐたかい? また、千年後に《存在》するかい? どちらも否だらう。つまり、《吾》は《死》すべき《もの》故に、初めに無であり、末期も無に向かふ《存在》だ。つまり、《吾》は無の仮面、それを単純に数字に当て嵌めれば《零》が仮面を付けただけの泡沫(うたかた)の《存在》でしかない。
――それは論理の飛躍と言ふ《もの》でしかない。それでは此の私とは《一》者ではないのかね?
――千年単位で見れば無でしかない。
――千年単位で「現存在」を語る事こそ詭弁でしかないぜ。
――本当にさう思ふのかね? しかし、「現存在」の極少数でしかないが、その少数の「現存在」が生み出した、或ひは発見した作品なり法則なりは、千年は生き残る《もの》だらう? 千年経つてもびくともしない、例へば、ギリシア哲学のプラトンやアリストテレスの著作物は、今もつて、その力を失ふ事無く、現代を生きる「現存在」に対して感銘を与へ続けて已まない。
――しかし、それは、限られた人人でしかない。その他大勢の千年前、否、二千年余り前か、その古代ギリシアの時代に生きてゐた数多の人人の消息は、現代では 失はれてしまつてゐるではないか。
――では、一つ訊ねるが、古代ギリシアの人人と現代の人人と、何時の時代にか決定的な断裂があつて、古代ギリシアの人人と現代人とに何か決定的な違ひは日常においてあるかね?
――文明の利器のあるなしといふ大きな違ひがあるぢやないか。
――そんな事は瑣末な事でしかない。「現存在」が生きる事において、古代ギリシアの人人と現代人では何か決定的な、ドストエフスキイ曰く、物理的な変化はあるかい?
――寿命が決定的に違ふぜ。
――ならば、寿命が延びた現代は、古代ギリシア哲学を超えた何かを創造出来たかい?
――少なくとも現代思想は古代ギリシアに匹敵する筈だがね。
――くきいんんんんん――。
――ちえつ、不快な耳鳴り、否、《吾》のげつぷであり、しやつくりだつたな。これは不愉快極まりないが、それはともかく、現代思想には千年生き延びる膂力が果たしてあるかね?
――少なくとも、思想史としては残る筈だぜ。
――そんな事は言はれる迄もなく、誰もが解つてゐる筈だが、私が訊いてゐるのは、果たして現代思想は千年後も生き生きとその輝きを失はず、千年後の人人に影響を与へてゐると思ふかね?
――さてね。だが、多分、千年後の人人に現代思想は少なからずの影響を与へてゐる筈だとは思ふがね。
――はて、それは何故に?
――現代は、渾沌としてゐるからさ。渾沌は創造の源泉だらう?
――ふつ、渾沌は今に始まつた《もの》ぢやないぜ。百年前には既に渾沌の世は始まつてゐた筈だがね。つまり、現代は百年前に比べて、更に輪をかけて渾沌の度合ひが深まつたのみで、渾沌が何かの創造の源泉だつた事は稀にしかありやしない。
――当然だらう。歴史に名を残す《存在》は、何時の時代でも一握りの《存在》でしかないのは《もの》の道理だらう。
――つまり、現代とは玉石混淆に過ぎぬといふ事だね。どれが千年後に生き残るかは《神》のみぞ知るだね。
――多分、現代の非主流派が、千年後迄生き延びてゐる可能性が高い。
――それはまた、何故にかね?
――何時の世も傍系に甘んじて、或ひは虐げられ、その「現存在」が存命中には全く評価されなかつた《もの》が、意外にも後の世に多大な影響を与へてゐる《もの》が少なくないからさ。
――つかぬ事を訊くが、お前は現代思想に詳しいのかね?
――いいや、全く。
――それで、千年後がどうしたかうしたと語るとはちやんちやらをかしいぜ。
――現代思想は、読んでいて面白くないのだ。
――それはお前の個人的な嗜好に過ぎぬぢやないか!
――だが、思想であつても、私をわくわくさせない《もの》など千年後も生き生きしてゐるなんて考へられる筈はないだらう?
作品名:蟻地獄~積 緋露雪作品集 Ⅰ 作家名:積 緋露雪