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積 緋露雪
積 緋露雪
novelistID. 70534
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蟻地獄~積 緋露雪作品集 Ⅰ

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――つまり、その崖つぷちにゐる《吾》は翼が欲しいのだらう?
――否。それぢや『フアウスト』宜しく堕天使、メフエストフエレスに為るのが関の山さ。さうぢやなく、これは何度となく言つてゐる事だか、《吾》といふ《念》がその力を発動すれば、《吾》は《吾》から自在になり得るのさ。
――そんな夢物語をどの《吾》が信ずるといふのかね? 取り敢へず、《吾》は《吾》の崖つぷちから遁れるべくその術を見つけ出して、何としても生き延びる事が何よりも先決だらう?
――だから、それが《吾》が《吾》を呑み込む苦行によつて見出される筈なのさ。
――くきいんんんんん――。
――《吾》を呑み込む苦行によつて一体何が見出されるのかね?
――自然といふ《もの》に馴致した《吾》さ。
――自然ね。その自然が《吾》に牙を剥ゐたならば、《吾》は《死》する宿命にある筈だが、それでも自然に馴致する事が、《吾》を呑み込む苦行の目的かね? へつ、ちやんちやらをかしいぜ。何故つて、「現存在」は《世界》を超える、つまり、《吾》は自然を超える何かになる事のみを渇望してゐるからさ。
――一つ訊ねるが、《吾》もまた、自然だらう? その自然の《吾》が自然を超えるとは、その事自体矛盾してゐるぜ。ちよつ、お前の言に従へば矛盾してゐるからいいのだらうがね。
――くきいんんんんん――。
 彼の頭蓋内の闇で、対話する《吾》と《異形の吾》との尽きる事がない黙話以外、
――くきいんんんんん――。
 といふ、世界がぴんと張り詰めたやうな緊迫した状況の中、ぢつと自身の《存在》に我慢し続ける彼は、《吾》をして次のやうに語らせたのであつた。
――それ以前に、生物は、《水》以上の何かと言ひ切れるかね?
――ふむ。《水》ね。生物は《水》を超えられぬな。
――詰まる所、生物とは、Amino(アミノ)酸や蛋白質などが溶け込んでゐる《水》に過ぎぬとはいへ、それでも《存在》は如何なる《もの》でも《吾》を追ひ求める宿命にあるならば、その《吾》は、へつ、自然を全く越えられぬ《水》の異形でしかないのぢやないかね?
――例へば、《水》が不自然としたならば?
――《水》が不自然ね? しかし、《水》こそ自然の象徴ではないかね?
――それは、不純物が混じつた《水》たる生物のみに通用する道理でしかないぜ。此の世には《水》以外にも数多の物質が《存在》する。
――だから何だといふのかね? 知的生命体にのみ《吾》が宿る訳ではないぜ。《吾》といふ《念》は、如何なる《存在》にも宿るんだぜ。
――しかし、己の懊悩を表白出来るのは、知的生命体以外あり得ぬと思ふがね?
――それは《存在》に対する先入見でしかないぜ。《吾》が宿つた《存在》は、それが如何なる《存在》でも《吾》である懊悩を何らかの形で表はしてゐる筈さ。《世界》をよくよく観察すれば、それがよく解かる筈だぜ。
――具体的に言ふと?
――何千年といふ時間で《もの》を見ればいづれも何らかの変容を蒙つてゐるに違ひない。つまり、如何なる《存在》も《吾》が《吾》である事が我慢ならぬのさ。
――ならば、何故に《吾》は《吾》を呑み込む苦行をするのかね? 全くそんな事をする必然性はないと思ふがね?
――例へば、《吾》を見失つた《吾》は、《吾》を《吾》と断言出来るかね?
――ふむ。例へば多重人格者の《吾》とは何かといふ事か――ふむ。
――これで解かるだらう? 《吾》が《吾》を敢へて呑み込むのは、《吾》が唯一無二の《吾》である事を持続する為に必須である事を。
――しかし、《吾》は、《吾》の発生において、否、《吾》といふ《念》が宿る時、《吾》は《吾》である事なんぞ望んではゐない筈だぜ。
――それは本当かね? 俄かには信じ難いがね? 此の世に《存在》してしまつた《もの》は、《吾》が何であるのか、如何なる《存在》かを知りたいのが自然の道理だらう?
――ふつ、自然の道理ねえ……。
――《吾》が知りたい《吾》とは、《吾》によつて純粋培養された「本当」の《吾》の事かね?
――何を明後日の方を向いてしゆべつてゐるのかね? 《吾》に純粋培養された《吾》とは一体何なのかね? それは、詰まる所、《吾》の骸でしかない筈だぜ。
――さう。《吾》は《吾》の骸を不知不識に追ひ求めてゐる。つまり、《死》が《生者》たる《吾》に決定的に欠けてゐる《もの》だ。
――ふむ。何故に《死》なのかね?
――《死》が「本当」の《吾》だからさ。
――ぶはつ。《吾》の究極の目標が《死》かね? 《死》なんぞ時をぢつと待つていれば自然とやつて来る《もの》ぢやないかね? つまり、《死》を別段追ひ求める必然性はありやしないぜ。
――だから尚更、《生》は《死》を追ひ求めるのさ。
――それはまた、何故にかね?
――《生》は《死》へと《死》すまで超越出来ぬからさ。
――それぢや、ない《もの》ねだりと何ら変はりはしないぜ。
――《生》とはそもそもない《もの》ねだりをする《もの》ぢやないかね?
――だから、《存在》は《吾》を求めるといふのかね? 《吾》にとつて決定的に欠けてゐるのが、《吾》といふ事か――ふむ。それでも《吾》は《吾》として仮面を被つてゐる《存在》だ。顔無しでは一時もいられぬのが、此の《吾》さ。それ故に、《吾》は《吾》の《念》を呑み込み、そして、げつぷをする。さうして、《吾》はそんな《吾》に打ち震へてしやつくりをする外ないのさ。それが、《吾》を《存在》の崖つぷちに追ひ詰める事であつてもだ。何故ならば、《吾》は此の諸行無常の浮世に《存在》しちまつてゐるから《吾》は《吾》として此の世に佇立する宿命にあるのさ。
――くきいんんんんん――。
――つかぬ事を訊くが、《吾》はどうあつても《吾》でなければならぬのかね?
――さあ。それは解からぬ。解からぬが、《吾》は此の世に《存在》する以上、《吾》である事から遁れられぬ大いなる矛盾にあるのは間違ひない。
――つまり、《吾》とは矛盾の坩堝といふ事かね?
――当然だらう。さうだから《吾》は《吾》といふ《念》を呑み込む苦行をせねばならぬのさ。《死》すまで、《吾》でゐる為にな。
――《死》しても《吾》は《吾》ではないのかね?
――それは《死者》のみぞ知るだ。
――お前はどう思つてゐるのだ?
――私は、《死》しても《吾》は未来永劫《吾》であるに違ひないと看做してゐるが、さて、さうすると、《吾》は《吾》に堪へ得るのかが不明なのさ。
――神や仏に《死者》は変容しないといふ事だね、お前の考へでは。
――ああ。《吾》は《死》しても尚、どす黒い欲望を抱ゐた《吾》であるに違ひない。つまり、《死者》もまた、《吾》といふ《念》を呑み込んでげつぷをしてゐるのさ。でなければ、此の世で絶えず不快な耳鳴りが聞こえる筈はないのだ。
――くきいんんんんん――。
――ならば、《異形の吾》とは一体全体何なのかね?
――《吾》の出来損なひ。
――《吾》の出来損なひ? 本当にさう思つてゐるのかね? 寧ろ、《吾》の理想と違ふのぢやないかね?
――《吾》の理想であつても《吾》の出来損なひには変はりはない。
――《吾》が《吾》の出来損なひであつて、《異形の吾》は《吾》の本然と違ふのぢやないかね?