テッカバ
「…………、良いよね」
おっ! 反応したよ、この子。
まさに動物園でパンダがこっち向いた気分だ。ずっと背中を向けられていた後だと、その顔は数百倍可愛く見えるもの。
「うん。私もそういうの、良いと思う」
“そういうの”が何かも自分で分からないまま彼女に乗っかる。一度声をかけてしまった以上、相手の言う事は何でも賛成しておくのが無難だろう。
――でも、それが失敗だった。
「良いよね! 最高だよね! もうさ、塩素とナトリウム組み合わせようとした、って所から完璧じゃない? 真っ白に染め上げちゃう塩素が、すぐに熱くなる熱血漢のナトリウムとセットだよ! こんな夢の共演他に無いよねっ!」
――……はい?
突然声のトーンもボリュームも最大になったこの女の子。スプーンを皿に放り出して、身を乗り出し私の手を握り上下にシェイク。目はランランと輝き、無口そうな印象を一気に吹き飛ばす情熱を宿している。
言ってる事もやってることも、正直訳が分からない。
「きっと生真面目さと情熱を兼ね備えた素敵な秀才、そんな彼だから、氷の温度を−21℃まで下げられるんだわ! あえて例えるならジョニー・デップ! ああ、アタシも冷やされたい……」
やっと私の手を離したかと思えば、「消毒作用まで持ってるなんて完璧ぃー!」と自分の頬に両手をやって顔を赤らめている。一連のマシンガントークで私たちが居るテーブルの端は、多くの学生たちの注目を集めてしまっている。
――何なのよ、この子……。
「あれ? 黒御簾さん、彼女のお知り合いだったんですか?」
向かいで自分の世界に入り込んでしまった女の子を前に、顔をひきつらせていると、聞き覚えのある声がした。
「相変わらず、あなたの周りはいつも騒がしい」
「唄方くん!」
三日ぶりに会う彼は、私のイメージする唄方くんとは若干服装が異なっていた。
まず、メガネをしていない。髪は相変わらずだが、服は意外と長い脚にマッチしたスリムなパンツに有名ブランドの半袖、肩には江戸時代の遊び人を思わせる、和風モダンな霞模様の綿シャツを羽織って、手に持った扇子をパタパタとやっている。
「メガネはどうしたの?」
「あの時は学生になりすましてましたから。今のが自分のお仕事モードってヤツですね」