闇へ堕ちろ
――何、そんな事を考へられる時間があったならば、己の内奥に棲む「そいつ」を一刺しして抹殺するのがいいのさ。それが出来ないのであれば、影を追ひ続ける外ないぜ。
と、「彼」は語った。しかし、私にはその「彼」が誰なのか解からぬふりをして、
にやにやと嗤ひながら、知らぬ存ぜぬを決め込んだのだ。そして、私は私の五蘊の場に射影される私の影を追ひ求め、そして、迷子になってしまったのだ。
――へっへっ、とんだお笑い草だな。私なんぞは「そいつ」に呉れちまへばいいのさ。何故って、私なんぞは「そいつ」の餌にもなりゃしないからさ。
と、再び「彼」が語った。私は、またも「彼」が誰なのか素知らぬふりをしながら、
にやにやと嗤ひながら、かう訊いてみたのだ。
――影って何の影のことかね?
――お前が此の世で見せる陰翳の狎れの果てさ。
――陰翳? さうぢゃないだらう? 影は、ものあれば、そして、もの皆、趨光性なればこそ影が存在するのと違ふかね?
――馬鹿らしい。影あるものは全て趨闇性なものさ。
――趨闇性?
――さう。闇に向かふのが存在の宿命なのさ。
――それこそとんだ茶番だぜ。
――では、何故、此の世は闇ばかりなのさ。光と闇の勢力図から言へば圧倒的に闇の勝ちだぜ。
と、その時さう言ったきり、「彼」は露と消えて、私が此の世に独り単独者として迷子のままに残されたのだ。
撲殺
何も言はずにそいつは撲殺されるがままに死んでいった。
その時、その場にゐた者はそいつの眼から決して眼を背けてはいけなかったのだ。
しっかりと撲殺されゆく者のその哀しみを起立した姿勢のまま、
黙って受け止めなければ撲殺されたものの魂は浮かばれず仕舞ひなのだ。
その日、空は雲一つなく、真っ青の蒼穹で、
撲殺されゆく者の肩に撓んで圧し掛かり、
そいつはばたりと倒れ込んだ。
ぶん殴るときの鈍い音だけを響かせてはゐたが、
その場にゐた者は皆苦虫を噛み潰したやうな顔を突き合はせて、
「ぼくっ」と言ふ鈍い音とともに倒れたそいつのかっと見開かれた眼玉を凝視し、
しかし、一瞥しただけで既にそいつは全てを語り果してゐたのだが、
それを見てゐた者は、一時もそいつから目が離せず、
それが死にゆく者に対する
最低限の礼儀だったのだ。
もう、二度と今生で会ふ事もない者を彼の世に送る儀式として、
先づ、そいつの死に様を、唯、撲殺されゆく者の眼から眼を逸らしてはならぬ。
理由なく、そいつは撲殺されたゆゑに。
しかし、此の世は不合理である事を
知り尽くしてしまってゐる者どもの眼は、
腐った鰯の眼玉そっくりに、たまたま死に損なったに過ぎぬのだ。
それゆゑ、生き残ってしまった者の礼儀として
そいつが確かに死んでしまったのを見届けた後に、
一滴の涙を零して瞑目すべきなのだ。
さうすることで、唯一、撲殺された者を弔ふ葬送は終はる。
野辺送りした後、
そいつの残滓を追ひ求めつつも、
残されし者は黙って一礼し、
さうして、その場を離れるがいい。
これが撲殺されし者に対する
折り目正しくある礼節なのだ。
この作法を行はずして、
撲殺されし者は浮かばれやうか。
闇に紛れて
この闇に紛れてまんまと逃げ果せたと思ふな。
何故って、闇自体がお前だからさ。
両の目玉をかっと見開き、
闇の中でも気配でものの存在が解かるお前は、
さぞかしをかしいに違ひない。
ところが、俺はかうして提灯を持ち
お前の内部を穿鑿してゐるんだぜ。
光に照らされる気分はどうだい?
さぞかしちくちく痛いだらう。
光の照射を闇たるお前の急所に当てて、
さうしてお前を殲滅するのさ。
さもなくば、俺がお前に喰はれちまふのさ。
此の世は所詮弱肉強食。
闇が勝つか光が勝つのかのどちらかしかないのだ。
闇に光あり、光に闇ある世界は既に終はりを告げたのだ。
闇の中で提灯が照らし出しものは
蛸の足のやうな吸盤がある奇怪なもので、
其処にお前のアキレス腱が、つまり、急所がある筈なのだ。
もういいだらう。
さうして虚勢を張った処で、お前の内部は全てお見通しなのだ。
闇が住む世界は既に駆逐されて、
お前は影としてのみとして此の世に存在を許されしものなのだ。
ならば、お前は、此の世からおさらばして、
さうして天の太陽を滅ぼすべきなのだ。
それとも太陽風に当てられて
お前はAuroraのやうに自己発光しちまった訳ではあるまい。
お前にAuroraのやうな美は必要ない。
お前にはGrotesqueな深海生物の異形がお似合ひだらう。
黒色の中にでも逃げ込んだのぢゃあるまいし、
此の世を黒に塗り潰し、
闇の復活を目論むその野望は、
悉く失敗する運命なのだ。
だが、地獄は甦生した。
お前は地獄へ堕ちる魂に飢ゑ、
その眼をぎらぎらと光らせて、
闇の中へと引きずり込むものの出現を俟ってゐる。
しかし、さうは問屋が卸さない。
俺がかうして提灯で闇を照らせば
闇は光から逃げるのみ。
然し乍ら、提灯の灯明は一陣の風に吹き消され、
残されたのは何処までも広がる闇ばかりなのであった。
朝靄に消ゆるは誰が影か
それは地中から際限なく立ち上る湯気のやうに
直ぐに辺りは濃い朝靄に包まれ、
その中に消ゆる独りの影があったのだが、
瞬く間に朝靄の中に消えてしまったのだ。
これはドッペルゲンガーなのか、
濃い朝靄の中に消えた人影は私だと直感的に解かったのだ。
さて、困ったことに私には足がなかったのだ。
濃い朝靄に消えた人影の後を追ふことが出来ずに
噎せ返るやうな朝靄の中にぽつねんと佇む以外に何も出来なかったのだ。
とはいへ、私の下半身は朝靄に溶け入り、
既にその姿形は失せてゐる。
岸壁に舫(もや)ふ一艘の船のやうに
私は一歩も動けないのだ。
それが私が私に対する苦しい姿勢なのだ。
さうして、私は、私の影を見失ひ、
尤も、私を見失った私とはいったい何なのであらうか。
救ひは此の濃い朝靄なのだ。
朝靄に上半身のみが此の世に現はれた私もまた、
此の濃い朝靄に消ゆる独りの人影に過ぎぬ。
その時間、私は何を考へてゐたのだらうか。
まるで記憶喪失のやうに私はその時の私の頭蓋内に巡ってゐた思考を
全く亡失してゐて、唯、私から逃れ出た私の影の残滓を追ふばかりではなかったのか。
そもそも私は、私が存在するには劣悪な環境なのだ。
そのもんどりうちながらも私が私にある事を我慢する私は
既に堂堂巡りの中にゐる。
堂堂巡りこそが、私に残された思考法なのだ。
最早弁証法はその神通力を失ひ、思考に対して害悪しか齎さない。
私は、独りぽつねんと濃い朝靄の中で、逃げ行く私を見てしまったのだ。
芥田川龍之介によれば、ドッペルゲンガーは死期が近いという事を表はしてゐるらしいが、
そんな事は全く気にせずに、
私は朝靄に溶け入る私を此の世に縛り付けるやうに踏ん張るしかなかったのだ。
濃い朝靄がまるで地中から無際限に立ち上るやうに何時までも消えずに街を蔽ってゐた。
それは暫く消ゆることはなかった。
何たることか
何たることか。
《吾》を苦しめてゐる《もの》が《存在》それ自体だといふのか。
ならば、《吾》は《存在》から退くべきなのぢゃないかな。