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積 緋露雪
積 緋露雪
novelistID. 70534
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闇へ堕ちろ

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――ならば、Supercomputer(スーパーコンピュータ)によるSimulation(シミュレーション)は何を意味する?

それは唯の思考の短縮なのさ。

――思考の短縮?

さう、手計算で行へば何万年もかかるものがSupercomputerでは2~3時間で計算可能なのだ。此の思考の短縮が可能になった事で、例えば気象の予測の精度が上がった。

――だから?

だから、人類はSupercomputerや人工知能の深化で、「人間らしい」日常を送ることができるのだ。

――へっ、人間らしい日常? それって何かね?

と、ここで言葉に詰まったおれは、現在起きてゐる現象が、積年の経験則が全く通用しないParadigm(パラダイム)変換の真っ只中にゐる事を認めぬ訳には行かなかったのだ。

Supercomputerが、人工知能が深化すればするほど、
現存在の一寸先は闇状態が更にくっきりと浮き彫りになるか。



浮沈

例へば意識といふものを氷山の如きものとして喩へるのは、
完全に間違ってゐる筈だ。
氷山の水面の上に出てゐる二割ほどのものが意識で、
水面下にある八割ほどのものが無意識といふ喩へは、
完全には破綻してゐるのだ。
何故って、意識に意識も無意識もなく、意識は全てが意識が覚醒してゐる状態であって
無意識と呼ぶものは、逃げ口上に過ぎぬのだ。
無意識と呼ばれるものは、唯、 意識がその存在を見逃してゐるだけの
脳内で、若しくは五蘊場で発火現象をしてをり、
それはひょんなことから意識がその存在に気付くのは時間の問題に過ぎぬのだ。

五蘊場は多世界解釈論の主戦場だ。
あったかも知れない世界が浮沈するその五蘊場は、
全てが現実と外れてゐて、絶えず現実のGap(ギャップ)を埋めることに忙しくて、
五蘊場に多世界が花開いてゐる事に気付かぬだけなのだ。

これは可能なる世界のことと全く意を異にするもので、
確かに存在する世界なのだ。

――血迷ったか!

と、何処ぞの誰かが半畳を入れる声が聞こえるが、
確かに五蘊場には多世界が存在するのだ。

唯、それは絶えず浮沈してゐて、波間にその存在が見え隠れしてゐるのみなのだ。

それらに気付かぬ己は、全てを無意識におっ被せて多世界を見通せない己に対して
何時も言い訳してゐるに過ぎぬのだ。

全ての多世界はしかしながら、
他の世界に影響を与えてゐて、
干渉し合ひつつも、
連想が連想を生むやうに
五蘊場に存在する世界は世界を生みつつ、
多世界は多世界として存立してゐるのだ。

――へっへっ、 論理破綻!

と、また、半畳を入れられるのであるが、

――それでも構はぬではないかね。

と、こちらが応じると、何処ぞの誰かは知らぬものが、

――多世界を容れられる器として五蘊場は相応しいのかね?

と、もっともらしいことを問ふたのであるが、

おれは宇宙の一つや二つくらゐ容れるのに五蘊場は十分過ぎる大きさで、
五蘊場には多世界を容れるに相応しい器として闇を持ってゐると思ふのだが、
唯、意識が、つまり、自意識は多世界を全て同時に聖徳太子のやうには把握できず、
否、それをせずに現実に多世界を合わせる事に汲汲としてゐるに過ぎぬのだ。

枢軸は絶えず現実であり、多世界は、現実とのGapが大きければ、
意識はその世界を放っておくのであるが、
しかし、その放っておかれた現実とのGapが大き過ぎる世界は
夢魔によって五蘊場に呼び出され、
夢中にあるおれにその現実離れした世界を見せるのである。

それを夢と呼ぶものもゐるが、
夢の世界は多世界が同時に存在し、
次次と世界を生んでゐる証左の一つなのだ。

かう解釈する俺は、天邪鬼には違ひないが、
俺はそれでいいと思ってゐる。



潰滅

潰滅する自己の辛酸を嘗めたときの哀しみを知ってゐるかい。
それはもう自分では何ともし難い事態であり、
唯、成り行きを見守るしかないのさ。
一度潰滅をはじめた自己はもう元には戻せずに、
潰滅してゆくに任せるしか術がない悔しさを知ってゐるかい。

それは、唯、嗤ふしか最早ない事態で、
自己と呼ばうが、自我と呼ばうが、吾と呼ばうが、どうでも良く、
そいつが潰滅しはじめると吾はお手上げ状態なのさ。
その不可逆性は如何ともし難く、
一度潰滅をはじめてしまった自己を抱へた刹那、
涙を流すしかないのさ。

さうして呆けて行く吾は、唯、ぼんやりとかつては吾の肉体であったものを
他人事のやうに弄ばせては、魂の抜け殻と化し、
行方不明となった吾を探すでもなく、ぼんやり虚空を眺めるだけなのさ。

その情況は死の間際を千鳥足で歩いてゐるやうなもので、
吾を失った吾は、もう、何時死んでもいいと覚悟は決めてゐるのだ。

自己が潰滅とするとはさういふ事で、
それは解脱などとは無限遠ほどに離れてゐる状態で、
だだ哀しい呆けた肉体が反射的に涙を流すのみなのさ。

そんな時、思考は停滞し、感情も停滞し、平板化してゐるその情況に
誰が抗ふことができようか。

唯、呆けてしまった吾を探す気力すら失せたそのものは、
唯、時の流れに身を任せるに過ぎず、
虚無の時間が長く唯、流れるのみなのさ。

そんな時、唯、時のみに対して反応する潰滅しちまった吾は、
時の中に渦巻きを見、その渦巻きが消えゆくのを見るのみなのさ。

そんな虚無の時間を何十年も過ごす覚悟があるならば、
自己を潰滅させてみればいい。
さうして虚無の人生を歩んで、
どろどろの虚=吾の粘性のままに渦巻く時間のカルマン渦が消滅してゆく
つまり、呆けた吾が死にゆく事態を唯ぼんやりと眺める人生を送る覚悟があるならば、
一度自己を潰滅させるのも乙なものさ。



滅亡を憧れる

正直に生きたければ、滅亡するのが一番だらう。
自他の齟齬に悩むのは当然として、
その中で自我を通すのであれば、己が滅亡することに正統な筋がある。
他に対しては自我と呼ばれる類ひは、全て滅亡するに限る。
さうして自身の席を他に譲ることでもっと生命力にも満ちあふれた存在が出現するかも知れぬのだ。

さうして羸弱な存在が生き残るよりも
生命力が強い存在が生き残るのが筋で、
さうして病弱なおれはそっと此の世から消えるのを或ひは待ち望んでゐるのかも知れぬ。

へっ、それは逃げ口上に過ぎぬぜ、と嘲笑ふおれは、
ぢっと箴言の言葉を噛み締めながら、
この場は堪へ忍ぶしかないのだ。

おれの本心は、それでも生きたいといふ願望が強いのであるが、
しかし、病気により滅亡することは全的に受け容れる覚悟は既にできてゐる。

おれも既に病死することを考へる齢に達したのだ。
それだけ生き延びてきた報ひは必ずある筈と覚悟の上に、
おれの危ふい生の有様は、
それでも沈思黙考しながら藻掻き苦しみ、
死への誘いの陥穽に何時落ちるのかとびくびくしながら石橋を叩いて渡るように一歩を踏み出すおれは、
本心では死を忌み嫌ひながらも、死と戯れる退廃した耽溺に甘ったるい蜜を知ってゐるおれは、
素直に滅亡することを、受け容れ知るべき齢に達したのだ。
滅亡してゆく中で、おれは、静かにおれといふ生の何であるかを知り得るかも知れず、
作品名:闇へ堕ちろ 作家名:積 緋露雪