闇へ堕ちろ
さうなればめっけものであるが、大概はおれはおれの最期までおれを裏切るものであり、
おれは時の中に沈殿するものなのか。
さう思ったところで何の解決の糸口も見つからず、
おれは出口なき堂堂巡りの大渦に呑み込まれるのみなのだ。
――ざまあ、ないな。
幽玄といふ空虚
いざ、彷徨ひける薄闇の中の幽玄なる空虚な世界は、
嫌におれの心をざわつかせ、さうして薄明の中に見ゆるは幻か。
一片の落葉がゆるりと落ちて、その落つる幽かな音が増幅されては
しじまに波紋が生れたり。さうして、空虚な世界はゆらりと揺れて
何故にか、おれを煽情せしが、草臥れちまったおれは、ばたりと倒れるのみ。
――ふっふっふっ。
と何故か嗤ふおれは、倒れたままに仰向けでその空虚な世界を凝視せしが、
それをして幽玄といふ言葉は脳裡を掠めることもなく、
がらんとした心がしくしくと啼く。
何といふ虚しさか。
とはいへ、おれは虚しさを喰らふべく、
この幽玄なる空虚な世界に脚を踏み入れり。
これで能く解った筈なのだが、
返って空虚がおれの心を揺さぶりれし。
共振かと思ふも空虚に同情する心の状態を知らぬおれは、
この後どうすればいいのか、全く覚束なく、千鳥足で立ち上がり、
再びこの世界を彷徨ひし。
――嗚呼、
と嘆くことすら知らぬおれは、
苦虫を噛み潰したかのやうに
顔を顰めてはおれの頬をぶん殴りし。
それではっと目が覚めたおれは、
尚も頬をぶん殴り、その音のみが虚しく響き、
さうしてしじまに波紋が生れり。
成程、おれは、この幽玄なる空虚な世界を揺らしたきか。
さて、揺れて蛇が出るかを化けものが出るかは知らぬとはいへ、
何ものかがゐると端から思ひ込んでゐるおれは、
馬鹿に違ひなき。
哀しき哉、未だに何にも知らぬ無邪気なおれは、
幽玄なる空虚な世界が悪魔の住む巣窟であることを
やがて知ることになり、
悪魔に対してあれやこれやと
知識欲に飢ゑてゐる我儘な幼児のやうに
世界の秘密を知らされることになるとでも考へてゐるのか。
――嗚呼、何たることか。
最期はさう嘆いてこの世界を始末するに決まってる。
さうぢゃなきゃ、此の世の秩序は転覆し、
おればかりが蔓延る何とも気色悪い世界が更に空虚にして宙を漂ひし。
それは間違ひだと気付けばまだしも、
悪魔に煽てられて有頂天になってゐるおれは、
悪魔の双生児として世界を闊歩するのだ。
それが自滅の歩みであらうとも。
自然は自然において衰滅する
自然は自然において衰滅する。
とはいへ、それは生物が存在できぬ環境が現出するだけで、
自然にとって痛くも痒くもない。
そこで、視点を永劫の相に移してみると
自然も衰滅することは必然で、
やがては此の宇宙も衰滅する。
でなければ、今現在、未出現のものが
永劫に出現する機会がなく、
それは不合理であらう。
「不合理に吾信ず」と言ふ箴言があるが、
それは徹底的に存在者の言であり、
未出現のものにとっては迷惑この上ないのだ。
例へば、人間の存在が、生物絶滅を加速させるならば、
それは喜んで受け容れるべきなのだ。
人類に代はって
新たにこの世の首座の位置を握る存在の出現がその時には待ち望まれ、
人類の此の世からの退場は未出現のものの登場には不可欠なのだ。
だから、人類はさっさと滅亡してしまうが一番なのだ。
とはいへ、人類は此の世に未練たらたらで、
何としても生き残る術を見出すと思ひ込んでゐる馬鹿者で、
科学技術の更なる発展が人類を救うなどといふ馬鹿げた幻想を夢見る人類は
もう 種としてその役割を終へてゐる。
世界を己の都合が良いやうに変へたてしまった人類は
その報ひを受けるべきで、
そうぢゃなきゃ、
此の世は不公平でそれこそ不合理なのだ。
自らの力で自ら滅んでゆく人類は
次の未出現の出現の足しになるかも知れぬが、
もう、人類の智慧など白痴の慟哭と何ら変はりがない。
――そうまでして人類をこき下ろすのは何故かね。
――そんなことは決まってゐるぢゃないか。人類の此の世の春はもう終はってゐて、更に盛夏も終はってゐて、爛熟の腐りかけた文明がのさばってゐるのみだからさ。へっ、それはもう腐臭を発してゐて、誰もがその腐臭の臭ひを嗅いだ筈だ。だが、誰もそれに対して口を閉ざしてゐて、そこのことはそれを認めたくない人類の不都合な真理なのさ。
やがては宇宙の藻屑と消える人類は、さて、どこまで思索したのか、それのみが試されてゐるのだ。さうして、やっと人類は此の世に存在した証を残せるのであって、文明は既に滅びの位相へと移行してゐる。
ホモ・サピエンスはホモ・サピエンスを嫌ふ
何故なのだらうか。
ホモ・サピエンスは自身がホモ・サピエンスであることに堪へられぬのだ。
完璧ならざることがその因なのか、
それともそいつは自身が没入できるものを結局見出せずに、
己がホモ・サピエンスであることを忘れられる時間がないからなのか。
ホモ・サピエンスはたゆまず考へることを宿命付けられた種であるが、
しかし、そんなことはホモ・サピエンスに限ったことではなく、
此の世の森羅万象は考へることを宿命付けられてはゐる。
考へるという事象は、それ自身、此の世の現実との差異にあることの証左であり、
鬱勃と可能性ばかりが湧き出るといふことは、
此の世が現実とは違った世界が生じる可能性があったことの証左である。
それをこれ見よがしに表白するホモ・サピエンスは、
一体何ものなのか。
漆黒の闇が或る処には必ず鬱勃とあったかも知れぬ世界の可能性は、
路傍の石の如くに転がってゐて、
闇と共振するホモ・サピエンスの思考は、
何もホモ・サピエンスに限った話でなく、
例えば、わんころでも暗闇に共振し、
そこにゐるかも知れぬ敵の気配を追ふのだ。
ゆったりと更けゆく夕刻には
哀しみの末に死んでしまったものの
にたりと嗤ふ其の顔があり、
其の顔には恐怖しかなかった。
そんな無数の顔が闇には無限に蝟集してゐて、
それらが此の世に生まれ出る可能性を探してゐる。
ちらっとでも、それらの顔を見たものは、
もう闇を凝視する外ないのだ。
さうして
――へっへっへっ。
と自嘲しては可能性の世のあるかも知れぬといふ確率の数字に翻弄されながらも、
生れちまった哀しみを圧し殺しながら、
ホモ・サピエンスにまで至る遠い遠い過去へと思考は遡り、
無限にある可能性の一つの帰結が己であることの意味を知ってはゐるが、
しかし、天邪鬼のホモ・サピエンスは
己のことが許せぬのだ。
何が此の吾に罪を被せるのかといへば、
吾以外の何があらうか。
と、さう思ふホモ・サピエンスの奢りが
最も嫌ふところで、
ホモ・サピエンスはホモ・サピエンスであることに堪へられぬのだ。
それは、一所にしか己がゐないといふことの不合理に、
全ては象徴されてゐる。
確率一として此の世にある筈がない吾は、
一所にあることに憤懣やるかたなしなのだ。
また、その不合理の裂け目が存在することにおいてのみ、
吾は吾である確率を堪へ得るのであるが、
その裂け目を弥縫して封じてしまふホモ・サピエンスの存在の仕方は、
美しくない。
夕闇が蔽ふ今、