闇へ堕ちろ
しかし、その返事は何を隠さう、俺自身に対する返事なのだ。
捻ぢ切れちまった心が渦動を始めたのはそんな時であった。
或る一人の美しい女性が忽然と現はれ、
その夢現(ゆめうつつ)に見事に嵌まり込んでしまった俺は、
その女性に夢中になり愛欲に溺れ、
そして彼女の夢現に見事に呑み込まれたのであった。
木乃伊(みいら)取りが木乃伊なったことに自嘲しながらも、
俺はその女性との逢瀬に恋ひ焦がれ、更に彼女に惑溺するのであった。
耽美的などといふ言葉で体裁を保ったところで、俺は、女に惚れてしまったのである。
まんまと彼女の術中に嵌まってしまったのだ。
彼女は慣れたもので、一度俺を手懐けたならば、
最早、俺に興味が無く、他の男を捜し始めてゐたのであるが、
それでも哀れんで、俺との関係は続けてゐた。
それしきの器量しか無い俺は、
先に哀しく見てゐた五万と送られてくる誘惑のメールに対して、
俺に、読み流す資格はないと悔悟するのであったが、
既に時は遅く、不意にその美しい女性は私の目の前から姿を消したのだ。
さうして胸奥に空いたがらんどうの空虚に
俺は閉ぢ籠もり
暴風吹き荒れ、
何もかも薙ぎ倒す野分がその胸奥にやってくるのをぢっと待ってゐたのある。
がらんどうに暴風雨が荒ぶるのに再び、女を待ってゐたのかも知れず、
または、俺の思索を大いに揺さぶる他者の思考方法の軌跡を書き留める
何かの書物を待ち望んでゐたのかも知れぬが、
唯、美しい女が去ってからと言ふもの、
俺を誘惑するメール群は更に数を増したのである。
それは、怒濤の如く俺を襲ひ、その一つ一つに翻弄される俺をその時に見出した俺は、
二匹目のどぜうを、またもや美しい女性が忽然と俺の前に現はれることを
夢見てゐたのである。
しかし、それは涯無き徒労であって、
此の世がそんなに巧く行くわけもなく、
それに痺れを切らした俺は、
俺が哀れんでゐた女性達のやうに、
女を誘惑するメールをせっせと送ってゐるのだ。
この虚しさは底なし。
そして、錐揉み状に底無しの徒労の底へと落下してしまった俺は、
掃き溜めに鶴を見つける筈もなく、
泥沼の底無しの虚しさの中で、四肢には藻が絡まって身動きがとれぬやうになった俺は、
尚更この胸奥に野分が襲来するのをぢっと待ってゐるのだ。
溢れ出す死
これまで封印してきた死が溢れ出す此の世で、
これまで何の準備もしてこなかった現存在は、
愚鈍にものうのうと生きてゐるが、
死はいづれの存在の隣りにでんと構へてゐて、
ケラケラと嗤ってゐるのが解らぬ現存在は、
既に遠い昔から世人と化してゐる。
だからといって現存在は死に対して無関心であったわけではなく、
いの一番に己の死に対しては敏感で、
例へば己の死に対しては葬儀の準備に余念はなく、
既に己の人生の締めくくり方は決めてゐる。
しかし、現在溢れ出してゐる死は
あまりに凄惨で、また、不合理極まりない死であり、
悠長に自分の葬式の仕方を決めてゐる場合ではないのだ。
死体を何ヶ月も放置したまま晒してゐなければならぬ事態が着実に侵攻してゐるのだ。
この何をも呑み込む死の渦動の中に置かれし現存在は、
その流れに呑み込まれながら、煩悶し、
そして、断末魔の声を上げるのだ。
――何故、俺は殺されるのか。
と。
抜け目のない死神は、
今日も誰かの死を招来しては、
――うはっはっはっはっ
と、嗤ひが止まらぬのだ。
芸術的に現存在を殺すその手際の良さは、
自爆といふ傑作的な死に方を繰り返し、
最高の自己満足に浸る。
その狂信的な自爆といふ死に方に
意味を見出してしまったものに対して
何ものも最早それを食ひ止める手段はなく、
無辜の現存在は殺戮されるのを防ぐには、
自爆者を自爆する前に殺すしか方法はなく、
この狂信が齎す絶望の嵐は、
風雲急を告げ、暗澹たる気分が此の世を蔽ふ中、
死のみは生き生きとしてゐるといふ矛盾。
この不合理を何処にぶつけていいのか、
誰もが解らなくなり、
原理主義者といふ「主義者」が
自己顕示するべく、殺戮の嵐を呼んでゐるのだ。
嗚呼、といったまではいいのであるが、
その後の言葉は出ずに絶句するのみの状況下で、
誰もが甲高い声の断末魔を上げて死すのだ。
テロルの残虐性は言を俟つことなく、
語り尽くされてゐるが、
現実にテロルが頻発する世になるにつれ、
疑心暗鬼が此の世を蔽ふ。
さうして猜疑心に囚はれた現存在は、
テロリストの思ふ壺で、
紊乱を生み出すべくテロルを繰り返すテロリストは、
此の世の根底を覆すのが唯一の目的で、
目的のためなら手段は選ばずに、
自爆することで、他者をも死へと巻き込むのだ。
ならば、テロリストを抛っておけばいいのかと問はれると、
答へに窮する俺は、
テロルとの戦ひを傍観してゐることで
それが平和なのかと不審に思ひ、
テロルと或る一定の距離を置くことが平和なのかと更に不審に思ふのだ。
今日もテロルで人が死ぬ。
さうして残されしものは、唇を噛んで歯軋りをする外ない。
これは果たして戦争なのか、と問ふことは愚問なのだ。
こちらが望むと望まざるとにかかはらず、
今もテロルが実行される。
さうして怨恨のみが此の世を彷徨するのだ。
微睡みに誰が現はれるのか
絶えず吾が視界の境界には光り輝くものがゐて、
俺を監視してゐるのだ。
そいつがもっともよく見えるのは、
闇の中であったが、
何時も不意に私の視界の境界にその輝く四肢を私の視界の真ん中へと伸ばしながら、
しかし、それは線香花火のやうに消ゆるのだ。
その様が美しく、それが見たさに俺は、敢えて闇の中へと趨暗するのであるが、
輝く四肢を持ったそいつは、
しかし、その顔はこれまで一度も俺に見せたことはない。
果たして、そいつは俺の幻視なのかどうかはさておき
確かに見えてしまふ、吾が視界の境界は、
既に、彼の世へと足を踏み入れてゐるからなのかも知れぬ。
俺は長患ひをしてゐて、不思議なことが俺の身には数多く起こったのであるのだが、
それら不思議体験は、殆どが一時的なもので、ずっと尾を引いたものは、
その吾が視界の境界での輝く肢体と、光の微粒子が雲のやうにまとまった「光雲」が
時計回りに、反時計回りに巡り、
奇妙な人魂のやうなものが俺の視界の中を巡ることが依然として俺の身に起きてゐるのだ。
これは、俺が死人の魂の通り道だと観念してもう文句も言はずに、
その現象をぢっと眺めては、
――また一人死んだ。
と、割り切り残酷に俺は宣言するのだ。
俺は、死人は、死とともに超新星爆発のやうな爆風を此の世に吹かせ、
それが俺の視界に引っかかり、それがカルマン渦を発生させて
私の視野の中に光雲をもたらすと勝手に看做してゐるのだが、
まんざらそれが的外れではなく、
光雲が現れるのは、俺が心酔してゐた人が亡くなったときによく現はれて、
その亡くなった人の死した頭蓋骨内の闇、つまり五蘊場に残る思考、否、念が、
私に不思議な世界を見せて、光雲は時計回りに、そして反時計回りに巡るのだ。
それはオディロン・ルドンのモノクロの絵の一つ目の異形の者が
恰も俺の五蘊場に棲み着いてゐて、