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積 緋露雪
積 緋露雪
novelistID. 70534
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闇へ堕ちろ

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つまり、脳といふ構造をした五縕場が函数を模した存在でもない。
例へば仮にさうだと看做せても私は死んでも絶対に肯んじない。
私の存在が函数のやうだとしても、
だからといって私が函数である筈はなく、
函数のやうに私を扱ふもの全てが間違ひで、
私は世界を媒介してゐる媒体でもなく、
私は単独者として凜と存在したいのだ。

何時からか、電脳計算機が此の世を
押し並べて統べるかのやうな錯覚に存在は惑ひながら右往左往してゐるが、
それは、吾を函数のやうなものとして蔑視してゐる証左でしかない。

数学は美しいが、しかし、此の世は数学で語れるものばかりでなく、
情動で感ずる世界の姿があり、
それは荒ぶる世界であり、慈悲深い世界でもあるのだ。

情感すらも数値で表はす現代において、
それを信ずる馬鹿はもう見飽きた。
数値で表はせないものが此の世を統べてゐることをそろそろ見破らなければ、
吾は世界に欺かれ続け、
欺瞞がさも真実のやうに大手を振って
此の世を闊歩する下劣な世界観が支配する。

そんな世に私は生きたくないのだ。
数学が支配する合理的な世界観は私にとっては不合理でしかないのだ。
合理が合理を強要する世界において、不合理に存在する私といふものは、
不合理にしか存在出来ず、それは私にとっては果てしもなく不合理なものでしかない。
数学は美しいし、
それは世界の癖を表はすには現状では最高の言語であるかもしれぬが、
論理的なるものの薄っぺらさは、しかし、底なし沼の薄っぺらさなのだ。
それは合わせ鏡の鏡面界の無限に映し出される世界でしかなく、
それをFractal(フラクタル)な世界と看做すと
自己相似的な世界は、絶えず自己にこだはり、その相似が世界に満ちるのみなのだ。
そんな薄っぺらな世界にはもううんざりなのだ。

――だからといって、お前は論理から遁れは出来ないのだ。ふっふっふっ。全ては数学に始まり、そして、数学に終はるのだ。つまり、此の世を数学の言葉で書き表はす限り、電脳計算機が支配するのは当然で、そんな世界に順応するには、数学を神に祭り上げる外ない、のかな。





それは避けやうもなく、
静かに忍び寄ってきて、
不図気付くとそれは既に手遅れの状態なのだ。
病とは大抵そんなもので、
気付いたならば既に手遅れの場合が多い、と慰めたところで、
気休めにもならず、唯唯、未練が残るものなのだ。
それで構はぬとは思ひつつも、
必ずやってくる別れの時のためには
今は、涙を流すことは已めておかう。

愛するものとの別れとは、
いつも残酷なものであるが、
残酷故に、此の世は此の世として成り立つとも言へるのかもしれぬ。
さて、死するまでの残された時間、
いつものやうに普通の日常を過ごすとしやう。
それがせめてもの慰めであり、抵抗でもあるのだ。
有り体の普通の生活こそが最後の晩餐に最も相応しいのだ。



後ろ向きで

いつも前向きといふ言葉に恥辱を感じてゐた私は、
いつも、後ろ向きであった。
その恥辱の感情の出自は何かと問ふたところで、
しばらくは何の答へも見つからず、
いつも前向きであることを避けては
斜に構へて、前向きに進む人を嘲笑ってゐたのかもしれぬ。
しかし、嗤はれてゐたのは、
いつも後ろ向きの私であって、
それが恥辱の出自の糸口だったのだ。

さうして見出した恥辱の糸口を更に辿りゆけば、
私の存在そのものが恥辱でしかないといふ思ひに行き着く。
これは一方で自己否定をしては自身に何をするにも免罪符を与へて、
いつも逃げ道や逃げ口上を設けてゐて、
此の私の小賢しさが恥辱の淵源であり、
既に狡猾で老獪な知恵を身に付けてゐたのかもしれぬ。
だからといって、私の内部に生じる恥辱といふ感情は、
私の存在そのものの根拠に結びついてゐて、
だから、私は、私といふものを意識するときには、
己に対する恥辱の感情を禁じ得ぬのだ。

存在が既に恥辱であるといふことは、
或る意味では生きやすく、
しかし、一方では全く生きづらい存在のあり方であり、
他者にとってはそんなことはどうでもいいに違ひないのであるが、
どうあっても私においては此の恥辱なしに私といふものを意識することは出来ず、
ならば、私は無我夢中であり続けばいいだけの話なのであるが、
根っからの懶惰(らいだ)な私は、
これまで何をするにも後ろ向き故に無我夢中であったことはなく、
どうしても後ろ向きにしか進めぬ私は、
絶えず自己省察することに確かに歓びすら感じてゐて、
後ろ向きであることに胡座を舁いてゐたのは間違ひなく、
後ろ向きであることは未知なるものを見ることを避けてゐて、
それは狡(ずる)いといふことに尽き、
既に他者が切り拓いた道を後ろ向きで
ちょこちょこと進んでゐるに過ぎぬ私は、
当然、己を恥辱を以てしか受け容れられぬのだ。

これは、しかし、笑ひ話でしかなく、
喜劇役者の主役を演じてゐるに違ひないが、
ピエロになれぬ私は、私の存在に対して絶えず恥辱を感じずにゐられぬのだ。

さあ、哀しい奴と嗤ふがいい。
さうして己は己に対して我慢出来、
此の恥辱な存在に堪へ得、
そして、私は私に執着することを断念できるのだ。



潰滅

在るものが静かに潰滅しゆく様は、
なんと自然な様なのだらうか。
しかし、此の自然といふ言葉が曲者で、
果たして人智で自然そのものを捉へられるとでも
哀れな人類は考へてゐるのだらうか。
そもそも人智を超へてゐるから自然としか表現出来ぬのであり、
仮令、此の世界を理解し得ても、
自然は自然として何の存在にも無関係に存在し、
そのゆらぎの中でのみ、生物は存在するに違ひない。

潰滅しゆくもの達の怨嗟をも受け容れる此の自然は、
また、誕生の産声も受け容れて、
生滅の両睨みと言ふ神業を難なくやり遂げる此の自然に対して、
現存在は、その慈悲に縋り付くしかないのだ。

何のことはない、
自然がほんの一寸でも荒ぶれば、
人間なんぞ一溜まりもなく潰滅し、
さうして現はれた廃墟をも呑み込み、
自然は廃墟を次第に自然に同化しつつ、
最後は自然に帰すると言ふ循環する論理は、
人間の最も嫌ふ論理形式であるが、
しかし、事、自然を相手にするときは、
どうあっても循環論法に陥るしかないのだ。
そして、人間もまた自然ならば、
論理的といふのは先験的に循環論法を指すのであって、
止揚したと見えても、それは一時的な論理の逃避行でしかなく、
ジンテーゼで何かしら語り得ても、
それは一時的なまやかしでしかないのだ。

万物流転といふ先見の明に対してあまりに無頓着な人間は、
分別を弁へることなく、
否、仏教で説くところの分別を超へた境地に決して至ることなく、
分別で、つまり、弁証法的な、また、演繹的な、また、帰納法的なその語り口は、
人間とってのみ辻褄が合ふことでしかなく、
自然に対しては全くの無力でしかない。

その無力であることの自覚なしに、
何かを語ると言ふ偽善に目を瞑り、
人類が此の世の春を謳歌する時代は既に終はりを迎へつつあり、
これ迄奴隷として使ってゐた機械が、人工知能という論理形式を手に入れたことで、
いつかは人間を追ひ詰める「主人」になる日も近いのかもしれぬ。
作品名:闇へ堕ちろ 作家名:積 緋露雪