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積 緋露雪
積 緋露雪
novelistID. 70534
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闇へ堕ちろ

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やがて、真夜中に目が覚める時、「私」の意識は、夢魔に喰ひ散らかされた《異形の吾》の残滓を後片付けする為に意識を総浚ひしてみて、夢の断片の粗探しするのであるが、最早夢にかつての神通力がなくなってゐることを実感しつつ、それでも何か「意味」が転がってゐないかどうかを確認し、何にも《五蘊場》にないがらんどうを《内眼》で凝視するのであった。



∞次元の時間

誰が時間を数直線の如き一次元と決めたのか。
そもそもの間違ひが其処に《存在》する。

時間もまた、《存在》するならば、それはどうあっても∞を目指してゐるに違ひない。

――だが、時間が∞次元と言ふ証左は?
――ふっ、では時間が一次元と言ふ証左は?

何の根拠もないのだ。時間が一次元である根拠など此の世にそもそも《存在》しない。
時間が∞次元ならば、物理数学はパラダイム変換をせざるを得ず、
誰も時間が∞次元とは言へなかったのだ。

――では、時間が∞次元だとすると、《世界》の様相はどうなるかね?
――ふっ、そんな事は幽霊にでも呉れちまへ!
――えっ? またぞろ幽霊?
――さうだ、時間が∞時間といふ事を身をもって知ってゐるのは此の世では幽霊しか《存在》しないのさ。
――すると此の身の背は時間が∞次元といふ事だね?
――瞼裡ですら既に時間は∞次元だらう?

何故にか目を閉ぢた瞼裡に過去・現在・未来、
つまり、去来現(こらいげん)が攪拌されて、
エドガー・アラン・ポーの『メエルストリームの大渦』の如く
時系列の轍から遁れるやうにして解放されし。

時間とはそもそも去来現がぐちゃぐちゃに掻き混ぜられた様相をしてゐて、
唯一、此の世に存在するのは現在のみで、過去と未来は夢現と同じ様相にある。

――ならば、過去と未来は入れ替はる?
――当然だらう。



かの者

かの者は今も尚、十字架に磔にされて、人間の為の晒し者となってゐる。
何故、基督者はかの者を十字架から下ろさうとしないのか。
かの者は彫像に為っても尚、十字架から下ろされぬ不合理を
基督者はそれが恰も当然の如くに看做し、
しかし、本当にそれでいいのか。
かの者が、基督が憐れではないのか。

――何を馬鹿な事を! 基督は彫像になって尚十字架に磔されてゐる事にこそに意味があるんぢゃないか!
――はて、磔に何の意味があるといふのか?
――基督は基督者の全存在の哀しみを受容してゐるのさ。
――それは、基督者の我儘ではないのかね?
――我儘で結構ぢゃないか。基督は基督者の苦悩を全て受け止めるのだ! その証左が磔刑像なのさ。

何時見ても磔刑像の基督を正視出来ぬ《吾》は、
果たして、基督にでもなった気分でゐるのか。

――それ以前に、己の苦悩は先づ、己が背負はなくてどうする?

――ほらほら、磔刑像の基督が笑ってゐるぜ。

さうして、かの者は全人類の哀しみを人類が存在する限り永劫に背負ひ続けねばならぬ宿命にあるのか?

――ふっ、それは、とっても哀しいことに違ひない! しかし、基督者はそれを基督に課してゐるといふこの矛盾をどう受容してゐるのか!



頭を擡げし《もの》

徐に頭蓋内の闇たる《五蘊場》で頭を擡げた「そいつ」は
蟷螂のやうに鎌で獲物を摑まえる如く、
また、カメレオンが舌を伸ばして獲物を捕へえる如くに、
《吾》が《吾》たる根拠を食ひ潰し始めたのだ。

――嗚呼、何故に《吾》は「そいつ」に狙はれたのか?

隙があったのだ。
「そいつ」が闇の中で頭を擡げたが最後、
どうあっても《吾》は腸(はらわた)から食はれるのだ。

その時、一瞬でも《吾》が《吾》にぴたりと重なるのであれば、
《吾》は最早、一時も生き延びる資格はないのだ。
――さあ、喰らへ! このお粗末な《吾》が《吾》になってしまった憐れな《存在》を。さうして、《吾》は再生するのだ。

――しかし、果たして、《吾》は再生などできるのか?

さう《五蘊場》の中で言葉にならぬ言葉が波となって反響し、
一粒の《吾》の核を形作るのか?

さうかうしてゐる内に《吾》はすっかり「そいつ」に喰はれ尽くされ、
残るは《吾》の何なのか。

――それを「魂」と呼ぶのではないかね?
――馬鹿な! 「魂」が残るなんて《吾》は死んだも尚生き恥をさらし続けるとでも?

さうなのであった。常在地獄にある《吾》は、
未来永劫に亙って《吾》は《吾》であることを強要され、
さうして《吾》は《吾》から一歩も踏み出せぬ軟弱な《存在》に過ぎぬのだ。

――嗚呼、《吾》が無くなっても尚、《吾》を求めずにはゐられぬ《吾》の弱さは、しかし、《吾》が此の世で生き延びる起動力ではないのか?

そして、《吾》の「魂」、否、「意識」がすっくと立ち上がり、「そいつ」を無益にも、哀しい哉、罵倒し始めたのだ。



森羅万象の苦

何処からか何《もの》かの懊悩の声が絶えず聞こへて来る此の世において、
森羅万象はその懊悩の声に呼応するやうに己の《存在》の有様に呻吟する。

――何故、《吾》は《存在》するのか?

それは森羅万象の《存在》の憤怒の声に違ひなく、
全ての端緒が憤怒にあるのだ。

――ほら、また、《他》が自らに恥じ入り、呻吟し始めたぜ。

一度憤怒した《もの》は、直ぐに己に対しての忸怩たる思ひに駆られ、
猛省するのが世の常だ。

陽炎がゆらりと揺らめくのは、絶えず《吾》が《吾》為る事に我慢がならず、
《吾》は摂動する事で、《吾》の憤怒を躱してゐるだけなのだ。

――ならば、森羅万象の苦は、何《もの》が《吾》たる《存在》に背負はせたのだ?
――自然さ。「自然は自然において衰頽する事はない」とは埴谷雄高の言だが、森羅万象は埴谷雄高の言とは逆に、絶えず滅び行く事で変容する自然に振り回されっぱなしなのだ。
――すると自然は絶えず滅亡してゐると?
――さう。滅する自然において森羅万象はその《存在》を疑ふのだ。此の世は森羅万象の猜疑心に満ち溢れてゐる。

またもや何かが漆黒の闇の中にその頭を擡げて、
此方の遣り口の隙を窺ってゐる。

――しかし、《存在》は何時もへまばかりしてゐるではないか。さうすると《吾》は絶えずその何かに監視されてゐるといふのかね?

己が森羅万象の眼(まなこ)から遁れる術はなし。さうして、《吾》は生き恥を晒すのだ。生き恥を晒しながら「Stripper(ストリッパー)」として森羅万象は《存在》する。さうして、《吾》は生き永らへる頓馬をやらかすのさ。



地獄再生

永らくその《存在》に対して万人が白い目で見てゐた地獄が遂に再生した。
そもそも地獄なくして、此の世に《生》を継続させることには無理があり。

地獄が復活したならば、それは《吾》の自意識が、若しくは「魂」が永劫に《存在》することの証左なり。
何故なら、地獄の責苦を受けている《もの》は一時も《吾》であることを已められず、卒倒することも許されぬのだ。仮に気を失ふことがあれば、それは、地獄の責苦を無力化し、況して地獄の無力化にしかならない。
作品名:闇へ堕ちろ 作家名:積 緋露雪