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積 緋露雪
積 緋露雪
novelistID. 70534
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闇へ堕ちろ

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しかし、その光こそ俺が長年待ち望んだ邂逅なのか
それが死んだ者達の魂魄である事を望んでゐる俺が確かにゐて、
死んだ者達との邂逅が待ち遠しいのだ。

――死んだ者達との邂逅。

などと嗤ふ奴がゐて
それでも死んだ者達の「声」が聞きたいのだ。

そして、その気配に抱かれたとの懐かしい感覚は
何故湧くのか解からぬとしながらも、
しかし、俺はこの感覚を知ってゐた筈なのだ。
この懐かしさこそ、俺が俺であり得た根本で、
俺の源流に繋がる何かなのだ。

確かに俺の視界の縁できらりと輝くものがあり、
俺はそれに対して幽霊の如く存在するものとして
俺なりに看做したいのだ。

さうすれば、俺は確かに生き返るのが解かり切ってゐた。
瞼がBlack holeのシュヴァルツシルト半径、
つまり、事象の地平面の暗黒の象徴に等しいとすれば、
なにゆゑに俺の眼球の縁にきらりと輝くものが存在するのか
とても「合理的」に語り果せるのかもしれなかったが、
しかし、そんなことは俺にとってはどうでもよく、
唯、俺の視界の縁にちらりとその姿の残像を残して輝くそのものは、
やはり死者達であってほしいと
何処かで期待する俺が確かにゐて、
さうして俺は俺の存在を実感するのだ。

なに、本末転倒。
それで構はぬではないか。
土台、生とは本末転倒したものでしかないのだから。

俳句一句短歌一首

死者に会ふそのをかしさの夜長かな

漆黒の闇に消え入る猛者どもは共食ひをして俺と叫ぶか



徐に

そいつは徐に俺の頭蓋内の闇の中で立ち上がり、
――ふはっはっはっ。
と哄笑を発したのである。
何がそんなにをかしかっのだらうか
俺にはとんと合点がゆかぬままに、
しかし、そいつは徐に歩き出し、
俺の頭蓋内からの脱出を試みてゐるやうなのだ。

そいつは巨人族の仲間に違ひなく、
その動きはすべて徐に執り行われ、
そして、そいつの動きはなんとも間が抜けたやうに緩慢なのだ。
そんな何処の馬とも知れぬ巨人が
何時から俺の頭蓋内に棲み着いたのかは判然としなかったのであるが、
尤も、俺の頭蓋内を俺が隈なく知ってゐる筈もなく、
何が棲んでゐやうが
それは俺の与り知らぬ事であった。

つまり、俺の頭蓋内程、俺にとって未開な場はなく、
俺の頭蓋内が仮に天上界へと、
若しくは奈落の底の地獄に通じてゐやうとも
そんな事は俺の存在にとってはあまり関係がないと思はれ、
しかし、俺は俺の頭蓋内が気になって仕方がないのだ。

何が俺の頭蓋内に存在するのか、
たぶん、俺が死んでもそれは未来永劫解からぬまま、
俺は一陣の風に吹き飛ばされる遺灰となり、
さうして、この森羅万象があると言へる世界に死後も放り出されたまま、
その今徐に俺の頭蓋内に立ち上がった巨人と俺は戯れるのが関の山なのかもしれぬ。

しかし、それで善しとしなければ、
土台、俺は俺にとっては未来永劫未知のままであり続け、
さうだからこそ、俺は今此の世で生き永らへてゐるのであり、
そんな俺に対して俺は「ちぇっ」と舌打ちしてみるのであるが、
それはそれで楽しくもあり、
何やら自然と嗤ひが出るのも仕方がないのである。

尤も、存在は∞の相の重ね合はせの末に
超然として此の世に誕生した筈で、
それを知りつつも、
俺は俺に対して未練たらたらで、
今を生きるのだ。

そして、俺は胡坐を舁きながら、
背筋をぴんと伸ばし、
俺の頭蓋内の巨人に対峙するのだ。
それは存在に対する最低限の礼儀で、
さうしなければ、俺は今にもそいつ、つまり、巨人に食ひ潰されて、
破滅する外ないのだ。

それでいいのであれば、俺は疾ふに破滅する生を選んでゐた筈で、
それは、つまり、その巨人に俺の存在を食ひ潰されるのか、
将又、踏み潰されるのかのどちらかを疾ふの昔に選んでゐた筈で、
さうしてゐない以上、俺はその巨人が俺の頭蓋内を我が物顔で蹂躙するのを
或る意味受容してゐるのである。

ならば、俺は俺だと叫べる筈なのだが、
今も尚、巨人の存在を知ってしまってゐる俺は
さう叫べずにゐるのだ。

そして、そいつは徐に欠伸をした。
何とも暢気で気持ちよささうに。



晒し首

さて、晒し首の頭蓋内にも思念が宿ってゐるのかと言ふ問ひに対して
誰も判然と答へ得る事は不可能に違ひない。

しかし、この問ひは幽霊は歳を取るのか、と言ふ問ひとも関連してゐて、
私見では幽霊は須らく歳を取るべきなのだ。
何故って、それは単純明快で、此の世に幽霊は存在し
さうして死者の思念が生者に憑りつく事で
死者の主張が世界に遍く反映される事は世界にとっては健全と言はざるを得ぬのだ。
そのために死者は生者とともに歳を取るべきなのだ。

あっ、現存在の肩の上に陽炎が立ち上り、
ゆらゆらと嗤ってゐやがる。

晒し首からもゆらゆらと陽炎は立ち上り、
死んだ者の思念が湧き立つ核とならねば
死んだ者は浮かばれぬ。
浮かばれなければ、怨念が此の世を蔽ひ、
生者の生に何らかの悪影響が出るのは必定。

さうした死者の犇めき合ふ世界に生がぽつねんと浮かんでゐると想像出来れば、
何と生きる事が楽しい事になるか。

生は死なくしては生たらしむる事能はず。
死もまた、生なくして死なる事能はず。

そして、その死を詩は紡ぐ端緒になるのだ。



死の爆風

仮に生者が死の領域へと踏み出した時、
星が大爆発をして死んでゆくやうに
現存在もまた大爆発をして死するに違ひない。
そして、その爆風は死すべき現存在が
此の世に未完で終はってしまった事を託すべきものに
その未完の思念を念により託すに違ひないとも言へないか。

星の死す時、X線やら瓦斯やら塵埃やらを吹き散らし、
そして、星そのものは自身の重みに堪へ切れずに自身で自身に圧し潰され、
さうして星の中心部は自ら潰れ行き、
途轍もなく小さく、
そして、途轍もなく重い物質となり、
白色に輝くものがあれば、また、光すら逃さぬBlack holeへと
移りゆくものがあると言はれてゐるが、
さて、その死んだ星が放出したものは
やがて他の星に届き、
其処に死の知らせを伝播するのであるが、
これと同じ事が現存在の死にも起きてゐて、
現存在が死に足を踏み入れた時に
死にゆくものとの念の波長が
ぴたりと合った現存在にのみ感じ取れる念を伝播させ、
その念によりそれを受け取った現存在は
問答無用にその伝播した念に導かれるやうにして
死者の思ひを受け継ぐことのみを
現存在はその生を生きる事を宿命づけられ、
その念を成就する事に血道を挙げるのだ。

仮にその念をギリシャ語の死の神を意味するタナトスを捩って
タナトストンと名付ければ、
そのタナトストンを捕縛し、
さうしてタナトストンが渦動する「杭」として現存在が此の世に立つのならば、
それは現存在の本望ではないのか。

死者の伝言の念が感じ取れてしまふ現存在は、
その死者のタナトストンを受け取り次第、
死者のタナトストンを成就するべく、
敢然と立ち上がり、
さうして只管死者の念の成就にのみ生を捧げるべきなのだ。

一方で、タナトストンを認識出来てしまふ現存在は本来不幸そのもので、
その生は不合理そのものに違ひないのであるが、
作品名:闇へ堕ちろ 作家名:積 緋露雪