闇へ堕ちろ
存在が哀しいと思へぬ者は全て弾劾されるべきものであったと言ふのだ。
確かに哀しいと言った奴がゐて、
そいつの警告を解からぬ馬鹿な俺は、
怖いもの知らずで、俺の存在は、と胸を張り、
さうして墓穴を掘るのだ。
何の事はない、
俺はこれまで一度でも俺の存在に対して胸を張った事はなく、
むしろ、俺は穴があったら入りたいといふ姿勢で
これまで卑屈にも生きてきたのではないか。
そいつにすれば、俺のその卑屈さが気に入らなかったのだ。
確かに哀しいと言った奴がゐて
俺はと言ふと、
既に哀しいと言ふ感情を擦り切らしてゐて、
既に哀しいと言ふ感情が俺に湧き上がる事がなく、
そして、虚しいのだ。
虚しい俺は、もうとっくに忘れてゐた
哀しいと言ふ感情を懐かしむ余裕はなく、
渺茫と己の胸奥に開いている穴凹を覗き込みながら、
虚しいと言ふ感情を呼び起こしながら、
確かに哀しいと言った奴の
面持ちを想像するのであった。
だが、哀しいと思へる事は
俺にすれば途轍もなく幸せな事で、
その幸せを知っている哀しいと言った者の
影を追ひながら、
俺は哀しいと言ふ感情に無性に憧憬を覚えるのであった。
俳句一句短歌一首
哀しさの 消ゆる夜長に 咳一つ
自意識に 拘泥するは 吾のみか そして此の世は 自意識を馬鹿にす
惚けてしまった哀しみの
惚けてしまった哀しみの
茶色い色はすっかり褪せて、
柿渋のやうな衣魚が残りました。
――どうして私は
と思ふ以前にすっかり草臥れ果ててゐたのです。
それでもやっぱり哀しいと言ふ感情は幽かに蠢いてゐて、
私は無言で涙を流すのでした。
惚けてしまった哀しみは
私の心を蔽ひ尽くしてみたはいいが、
鋭き刃物で剔抉された私の心からは
どろりとした哀しみが腐臭を発して流れ出たのです。
それは眼球を抉り取られるに等しい苦悶をもって
眼窩のやうな穴が心に開いたのでした。
さうして、既にどろりと溶けてしまった私の脳味噌は
その眼窩からちょろりと流れ出て、
まったく死靈と化してしまってゐたのです。
生きる屍は
此の世の多数派に違ひなく、
誰もが既に鰯の目玉のやうな目つきをしながら、
己を食らう奴の目玉を睨み付けてゐる筈だ。
まだしも、食われるだけでも死んだものは幸せなのか。
既に腐った吾は食ふには最早適さずに、
火葬にするが精一杯。
惚けてしまった哀しみは
何時しかどす黒い血色に染まってゐたのです。
さうして私は無言で涙を流すのでした。
俳句一句短歌一首
秋の日に 逃げた女の 影と遊ぶ
ここにゐて さう言ったまま 消えた女 残されし吾 欠伸する
油膜のやうに
虹色をその表面に湛へてゐる油膜のやうに
なんにでも張り付いて
また、それを薄膜で覆ふ油膜こそ、
もしかすると玉葱状をしてゐるかもしれぬ俺の正体を
七色に変化させる妙味となるのか、
それとも水と油のやうに
互ひに相容れる事無く
蒸発して此の世から消ゆる迄
自己主張し続ける油膜は、
存在の在り方として許容出来るのものなのか。
例へば油膜のやうな存在の在り方が許せるとして
それで俺は何を其処に見出すのかと自問自答してみると
へっ、何にも見つけられない、と言ふのが俺の率直な実力で、
荒ぶる自意識すら手懐けられぬ俺には
油膜の有様は望むべくもない夢のまた夢
しかし、さうだとしても
俺は此の世の作法に則る生き方しか許されぬものとして
柔な人生を送るのに満足出来るのかと言へば
それには一時も我慢がならぬ俺は、
我儘に、そして放恣に此の世にあると言ふ有様こそを
求めてゐたのではないのか。
俺の有様を、さて、虹色に変へる油膜のやうな薄膜で
風呂敷包みのやうに包んでみるかと俺自身、独り遊んでみるのであるが、
それはまるで影踏みのやうな自己満足の恍惚しか齎さないのは承知の上で、
自己陶酔する俺に目眩みたいのだ。
さて、さうしたところで、
俺には到底解からぬ謎ばかりが深まる存在の闇に逃げ込むのが
俺の出来得るぎりぎりの所作なのだ。
つまり、俺はそれしきの存在でしかないのだ。
それを嗤ふか唾棄するかは
どうでもよく、
ただ、俺は俺が此の世に存在してゐる感触が得たいだけなのかもしれぬ。
存在の有様に虹色の妙味を加へる油膜のやうに
俺の懐は奥深くあるのかとの自問の果てのどん詰まりで
俺は挙句に俺を捨つるのか。
俳句一句短歌一首
流れる鰯雲は山頭火の如くあるか
闇深く逃げやうもない吾あるに何思ふのか悪夢の果てに
触感
この触感が俺に不快を起こさせ、
俺が此の世に存在してゐることを実感させるのだ。
その触感は何かと言へば、
それは肉を噛む時の触感なのだ。
蛸を噛む時の不快が吾を吾足らしめてゐると言ふものが嘗てゐたが、
俺は肉を噛む時の触感が不快でならないのだ。
それは何やら吾そのものを噛んでゐるやうでゐて、
つまり、それが不快の正体には違ひないのであるが、
それ以上に食らふと言ふ事の残酷さにそもそも堪へられぬ柔な俺は、
心の何処かで俺が此の世に存在する事を許してしまふ間隙を突いて
俺は憎らめっ子世に憚るを地で行くやうにして
ものを食らって生き永らへる。
そして、その事態に俺は唯、面食らってゐるに過ぎぬのであるが、
俺は俺と此の世で叫べるに値する吾であるならば、
何ものに対しても食らふ事に罪悪感など抱く筋合ひではないのであるが、
俺に食われたものは、さて、此の世でその本望を達せたのかと言へば
それは食はれゆくものは、
その本望の途中で殺されてしまひ、
俺に食はれるといふ不条理にあるのは逃れられぬのだ。
それに俺は一時も堪へられぬと知りながらも、
泣きながら俺は肉を食らふのだ。
泣いた事で何かが変はる事なぞありもしないが、
それでもこれが泣かずにゐられやうか。
肉を食らふ時の触感は
最早変はる筈もなく、
俺は唯唯、生き永らへるためにのみに
肉をゴムを噛むかのやうに食らふのだ。
さうまでして生きるに値するのかどうかなど
俺の知った事ではないのであるが、
しかし、俺は食事の度毎に虚しい自身を感じずにはゐられぬのだ。
この堂堂巡りの虚しさは
尽きる事はないのであるが、
それでも俺は食らふ事を絶えず問はずにはゐられぬのだ。
さて、この俺は生きるに値するのであらうか。
これは愚問に過ぎぬのであるが、
さう問はずにはゐられぬ俺は、
かうして今日も生きてしまふのだった。
さあ、俺の臆病を、小心者ぶりを嗤ふがいい。
さうする事でのみ俺は何とか生きられると言ふものなのだ。
俳句一句短歌一首
十三夜に虚しき影を引き連れて漫ろ歩く
咳一ついつまでも残るその余韻このがらんどうに吾独りなり
邂逅
視界の縁できらりと輝くのは「死者達」の魂魄か
それとも病んだ眼球の見せる幻覚なのか
しかし、俺にとってそんな事はどうでもよく
唯、そこに気配を感じられればそれでよいのだ。
その光は絶えず俺を見張ってゐて、
どうやら俺に会ひに来たのかもしれぬのだ。
だが、その光るものは決して面を現はす事はなく
只管、そのものの発する光が俺の視界の縁にてちらりと輝くのだ。
俺はそれにどう対していいのかも解からず