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「歴史が出してくれる答え」
 というのが、どういうことなのかというのであるが、
 あれは、
「軍事クーデターの話」
 ということであり、したがって時代は、
「大日本帝国の時代」
 というものであった。
 自分たちがやったことを、
「正しいことだ」
 ということで決起したのだが、実際には、
「反乱軍」
 として認知されてしまった。
 そこで、彼らは自決して、兵を戻すと考えたのだが、一人の将校が反対する。
 というのは、その将校は、
「最初は、決起に反対だった」
 というか、
「慎重派だった」
 といってもいいだろう。
 だから、決起に慎重派だったことで、まわりから説得されて、やっと決起軍に参加したのだ。
 つまり、少しでも、
「これは、成功しない」
 と考えたり、
「自分たちに正義はない」
 と思ったとすれば、参加はしなかったに違いない。
 それでも参加したということは、
「最初は迷っていたが、説得されたその言葉に正義を感じた」
 ということからであろう。
 その男は、
「決起を決めてからは、積極的だった」
 作戦にも、積極的に参加し、完全に、中心人物になっていった。
 しかし、実際に決起し、作戦を進めていくうちに、
「天皇に上奏してもらい、自分たちの決起が正当だと認めてもらったうえで、自分たちの意志と目的を伝える」
 と考えたが、これは、どう見ても、
「陸軍内部の派閥争いだ」
 ということは、冷静に見ていた人から見れば、
「一目瞭然だ」
 ということであった。
 つまりは。
「決起というのが、天皇のまわりで、自分たちだけが甘い汁を吸っている、君側の奸という連中を懲らしめる」
 という目的が、実は、
「派閥争いで、相手の派閥がこれ以上のさばると、自分たちの立場が危ない」
 と考えての決起だと言われても仕方がない状態だった。
 ただ、決起隊からすれば、
「これが正義だ」
 と思っていたということは、
「ひょっとすると、黒幕がいたのではないか?」
 とも考えられる。
 というのも、
「この決起に関しては、
「ずっと以前から、陸軍内部で言われていたこと」
 ということで、連絡を受けた陸軍上層部のほとんどが、
「ついにやったか?」
 ということを言ったという。
 それが、
「やってしまった」
 ということなのか、それとも、
「やってくれたか」
 ということなのかで、そのニュアンスが変わってくるというものだ。
 しかし、天皇が一番よく事態を分かっていたようで、
「やつらは反乱軍ではないか。私の裁可なしに兵を動かすというのは、憲法違反である」
 と言ったという。
 しかも、暗殺されたのが、自分が政治を裁可する時の相談役として、信頼していた人たちばかりということで、天皇が怒るのも当たり前だというものだ。
 そして、実際には、
「派閥争いで、邪魔になる連中ばかりが暗殺されている」
 ということは明らかだったので、天皇としても、
「許しがたい」
 と思うのも当たり前だというものだ。
 さらに、陸軍が、
「自分たちの部下がしでかしたこと」
 ということで、二の足を踏んでいたのを見て天皇がまたお怒りになり、
「お前たちがやらないのなら、この私が陣頭指揮に立つ」
 ということを言い出したことで、陸軍も慌てた。
 そして、
「反乱を治め、隊を原隊に返す」
 という、天皇の命令である、
「奉直命令」
 が出たのだった。
 その時、
「反乱軍となってしまった」
 と分かった決起隊は、
「兵を原隊に返し、我々は自決しよう」
 と言い出したのだ。
 反対意見もあった。
「自決するのではなく、投降して裁判を受け、そこでやつらの悪事を暴露する」
 という考えであった。
 そもそも、
「投降する」
 ということに大反対だったのが、
「最後まで慎重だった将校」
 であった。
 彼は、
「何をいまさら、奉直命令だとか言っているんだ。俺たちの目的をあくまでも陛下にお伝えするのが、この決起ではなかったのか」
 という。
 それを皆がなだめようとすると。
「お前たちはそんな中途半端な気持ちで立ったのか? 俺は皆が、鉄の決意を持っていると感じたから立ったんだ。そんな簡単に投降するとか、自決するとかいうのであれば、最初から立たなければよかったんだ」
 といって、最後まで抵抗したという。
 それでも、一人が、
「俺たちはできることはすべてやった。だから、あとは、兵の命だけは救ってやろう」
 ということになった。
 それで、初めて、抵抗していた将校も、身体の力が抜けたのか、従うことになったのだという。
 その後、彼は自分の兵を、
「原隊に返す」
 ということで、演説をした。
「寒空の中をよく耐えてついてきてくれたことに礼をいう。だが、自分たちがしたことが正しかったのかどうか、いずれ、歴史が答えをだしてくれる」
 と言ったのであった。
 もちろん、決起に対しては、今では、
「歴史の一ページ」
 ということになり、
「正しかったのかどうか、まだ分からない」
 という状態であった。
 表向きには、
「決起軍が気の毒」
 ということで、まるで、
「忠臣蔵」
 のような、日本人特有の、
「判官びいき」
 という考えから、
「決起軍に同情的」
 というのは、ずっと言われてきたことだった。
 しかし、歴史を勉強していたり、
「研究者」
 のほとんどは、
「あれは、派閥争いから出てきたものだ」
 という意見が、主流を占めているといってもいいだろう。
 ただ、それも、歴史が進んできて、いろいろな何かが発見されたりすると、それまで言われてきた、
「事実」
 とされてきたことが
「あっという間に覆る」
 ということも往々にしてあるというものである。
 特にここ十数年の間に、
「歴史の常識」
 と言われてきたようなことが、
「実は違った」
 ということで、学会などで
「大いなる発見」
 として、発表されている。
 それを考えれば、
「歴史が答えを出してくれる」
 と言われる、
「歴史というもの」
 それは、
「一体いつのことなのだろう?」
 ということになるであろう。
 歴史というものが、
「本当に答えを出す」
 ということになるというのか、それこそ、謎であり、
「どこを切っても金太郎」
 と言われる。
「金太郎飴のようなものではないか?」
 といえるのではないかと考えるのであった。
「答えを出してくれるはずの歴史。それは流動的なものだと考えると、自分がこれから見つけようとする満足感も、本当にあるのか、あるいは、あったとしても、本当に明後日の方向から見えてくるものなのではないか?」
 と思えるのであった。
 実際には、
「明後日の方向にあるのではないか?」
 ということに気づいたからなのか、それとも、他に理由があるのか、
「何か自分でも最初から分かっていたのかも知れない」
 と感じるくらいであった。
 というのが、満足感というものの正体が
「その中にある」
 ということではなく、
「見えていなかっただけで、そのまわりに派生してくるものが、その正体だった」
 ということであった。
 それは、
「小説を執筆する」
 ということからの派生。
 つまり、