夢幻空花(むげんくうげ)
仮に闇尾超が無限大の尻尾を摑んだとしてもそれは限りなく夢幻(ゆめまぼろし)の類ひに近く、それを承知をした上で、夢の存在が特異点の存在を暗示させると大胆な仮説を闇尾超は立てて見せたのだろう。その真贋はともかく、闇尾超の慧眼は或ひは正鵠を穿ってゐるやもしれず、一瞬でも闇尾超の脳裏に無限大の幻影が過ったのは間違ひない。でなければ、闇尾超は或る確信を持って夢の存在が特異点の存在を暗示させると断言できる筈はない。しかし、闇尾超は幻影を以てして特異点を語るにはそれこそ語るに落ちるとも警告してはゐるが。ならば、闇尾超の導いた「夢の存在は特異点の存在を暗示させる」を私の思考の俎上に一度乗せなければ闇尾超に失礼といふものだ。
夢は私にとって夢魔の為すがままの或る意味最も私を疎外してゐる世界だと看做してゐる。喩へていふならば、これは闇尾超に失礼なのかもしれぬが、映像的な解釈で夢を紐解くと、巨大な水族館の水槽のやうに分厚くも非常に透明なアクリル板でできた巨大水槽に、これは不思議なことではあるが、闇尾超と同様に夢には確かに私の分身者の片割れが水槽内にゐて、そやつは夢魔の為されるがままに夢の秩序に絶対服従させられ、辱めを受け、それをアクリル板の外で、私のもう一人の分身者の片割れが唯見つめてゐるといふ、夢で私は二重に分裂した存在としてあるといへなくもないのだ。これは闇尾超も同じだったものと見え、夢では私といふ存在は分裂してゐるのである。そして、私の意識や夢での感覚は分厚いアクリル板を挟んで光速を越えた速さで内外を行ったり来たりして分厚い透明なアクリル板で隔てられてゐるとはいへ、夢では疎外されながらも徹底的に当事者といふ矛盾をいとも簡単に成し遂げてしまってゐる。さうだからこそ、私もまた、量子もつれを夢では起こしてゐて、光速を越えてアクリル板を隔てて存在する二重の私は、夢の主人公でありながら、その夢から徹底的に疎外されてもゐる二重感覚といへばいいのか、感覚の重ね合はせが起きてゐるのである。その二重感覚は時に私は分裂者として、時に一心同体であるかのやうなものとして感覚は奇妙なもつれ合ひを為して夢は私を翻弄し、そして、それをぢっと凝視してゐる見者としての冷めた私も同時に存在するといふ具合なのだ。これは多分闇尾超にもいへることで、夢に対して私と闇尾超の在り方は同じやうなものであったと想像される。
また、夢世界を形作る夢に存在するもの全てが、現実相の如き装置として夢では活躍する。しかし、夢に出現するもの全てのいづれもが、夢魔により夢に呼び出され、さうしてその存在感を見事に現実相に見せかけるといふからくりをやってのけるのである。そもそも、それでは夢に出現するものとは何なのであらうか。物自体ではないのは確かだ。それでは夢に出現するものどもとは何なのであらうか。それらのものどもは夢に固着してゐてアクリル坂の巨大水槽内の夢世界の私にとってそれは実感を伴った存在なのである。これが夢見の私をまんまと騙し果せるからくりであり、実感が伴ってしまふので、アクリル板の水槽のやうな夢世界の中の私はそれが夢とは気付かずにゐるが、ところが、もう一人の私の分身が夢が展開してゐる水槽の外で冷めた目をして夢を眺めてゐるので、水槽内の私もやがてそれが夢だと気付かされることになるが、夢は実感を伴ってゐる為にそれが中中受け容れられぬのだ。それでも夢に登場してゐるもの全てが、嫌らしくも終始私に現実相を開示する如くに実感が伴うので、私は統覚の誤謬を犯すのである。つまり、夢に登場するものは、私を夢世界に拘束する装置であり、或ひは統覚の攪乱を招いて一つの夢が終はるまで、ずっと私を夢魔に絶対服従させられるそのお膳立てであり、例へば、夢魔が表出する夢の舞台を「夢場」といふやうに名付ければ、夢場の存続を保証するのが夢を形作るもの全てであり、私は、それにまんまと騙されるのである。
ところが、その一部始終を冷めた目で見てゐるもう一人の私の分身の片割れは、夢場を一瞥するなり、そのちんけな夢場の装置に冷笑を浮かべながら、夢魔の為されるがままに翻弄されてゐる私をざまあみろとばかりに侮蔑してゐるのであらう、夢魔の私を操るその手際にやんやの拍手喝采を送りたげにしてゐるのもまた、事実なのである。或ひは精神分析学者のやうに夢には欲望、或ひは抑圧が顕はれるといふ意見もあるが、淫夢が見たいにもかかわらず悪夢を見ることが殆どの私にとってそれが欲望の顕はれとはどうしても認めることが憚れるやうな夢ばかり見てゐるので、フロイト大先生がいふやうには夢といふものはどうしても解釈できないのだ。そもそも私は無意識といふものに懐疑的であった。仮令、無意識といふ概念を認めるとしても、欲望と抑圧が夢で前意識の検閲から滲み出し、徹頭徹尾無意識が映像化されてゐるものであるにせよ、私が見る夢は悉く私を惨殺するものばかりで、夢の中で語る私の言葉に呼応して夢が変化する様を見るに付け、夢もまたLogosで始まり、惨殺されたときに発する、
――嗚呼。
といふ断末魔のLogosで終わる、終始言葉が夢の映像に先立つ私の夢はフロイト大先生の夢解釈からは外れてゐるもので、私を惨殺する夢ばかり見る私の欲望は自死といふことになるが、それが私が昼間抑圧してゐるものなのであらうか。私はこの期に及んでも生きたいといふのが真実だと思ひたいが、しかし、死を望んでゐるのであらうか。確かに私は不死身ではないのでいづれは死が訪れるだらうが、それでも少しでも長く生きたいといふのが私の本望なのだ。ところが、私は夢で悉く惨殺される。その私が惨殺される様を分厚いアクリル板の巨大水槽の夢世界の外で冷めた目で見てゐるもう一人の分身の私は、心の中では拍手喝采を送りたげにしてゐるといったが、しかし、夢世界の外部のもう一人の分身の私は、終始冷めた目で私が嬲り殺される様を見てゐるのであった。それが何を意味するのであらうか。ここで意味を問ふことは虚しい限りなのであるが、敢へて意味を問ふならばそれが私の欲望、或ひは抑圧された私の発露と仮定したところで、何の解釈にもならないのである。
作品名:夢幻空花(むげんくうげ) 作家名:積 緋露雪