夢幻空花(むげんくうげ)
さて、ここでアポリアの出現である。それでも神神は、八百万の神神はあの少年を見捨てないのであらうか。「にんげん」を已めたあの少年に対しても神神は救ひの手を差し伸べるのであらうか。とはいへ、そもそも八百万の神神は異形のものである。この問ひはドストエフスキイの二番煎じにも劣る問ひでしかないが、しかし、神神の問題はどうしても持ち上がるのだ。何故なら、「にんげん」を自ら已めたものにも神神は慈しみの眼差しで「にんげん」を已めたものに対しても、見捨てないのだらうか。中国の影響でこの国には閻魔大王がずでんと存在してゐるものと看做されてゐるが、その論理でいへば、「にんげん」を已めたものは有無もいはずに神神に見捨てられる。それがこの極東の島国の道理なのだ。その少年には、地獄が待ってゐる。これがこの国の道理なのだ。神神は見捨てるが、親鸞を出すまでもなく、この極東の島国では人間社会はその少年を見捨てはしないだらう。この島国では人間社会が見捨てて、「死刑」に処せられない限り、人間社会は犯罪人を見捨てないのだ。尤も、その少年が死したときに閻魔大王が現はれ、地獄行きを告げるのは間違ひない。
しかし、この島国の人間社会は寛容かといふとそんなことはなく、世間は途轍もなく世知辛いのである。異物は排除されるのだ。それでも異物が存在可能な社会が重層的に存在し、何処かしらに異物と烙印を押されたものでも生きていける場が形作られてゐる。つまり、綺麗事のみでは人間社会は存続できなる筈はないのである。本音と建前、村社会、島国根性など、それは皮肉を込めていはれるが、この島国ではそもそもが重層的な社会構造を人間社会はしてゐる。だから、幼子を殺戮し首を刎ねたその少年の居場所は必ずあるに違ひない。つまり、その少年の罰は閻魔大王に委ねられ、宙ぶらりんのまま、その少年は罪を背負って生きていく外ない。生きてゐるうちにその少年がもしも覚醒したならば、或ひは閻魔大王のお目溢(めこぼ)しに合ふ可能性は残されてゐなくもないが、地獄行きを認識しながら生きていくのだ。浄土への道を自ら断ったその少年は、果たして地獄を背負ってでも生きていけるかどうかはその少年次第である。
Cogito, sic Im 'sollicitus. Et superabit. (吾思ふ、故に吾不安になる。そして、吾を超える。)
――デカルトとのCogito, ergo sum.は誤謬である。何故なら吾思ふことが、吾の存在を定義づけることにはちっともならぬからだ。吾は思ふはいいとして、その思ってゐるものが吾であるといふ確信は必ずしも得られぬものである。条件反射的に吾ありには繋がらないのである。なんて天邪鬼だらうと吾ながら苦笑する外ないが、でも、どうあってもCogito, ergo sum.は受け容れられぬ。それをいふなら、Cogito, sic Im 'sollicitus. Et superabit.といったほうが余程しっくりとくる。それは何故か。それはいふなれば、思ひに思ひ倦(あぐ)ねて思考が堂堂巡りを繰り返すうちにその堂堂巡りを繰り返す思考にはちょっとづつ差異が生じるのが必然であるが、その状態の時は誰しもが極度の不安の中にあるけれども、ところが、ある時、不意にそれまで堂堂巡りを繰り返してゐた思考は、あらぬ方向へとぴょんと飛躍し、自分でも思ひもかけぬ思考の扉が開き、神の啓示を受けたかのやうにそれまで堂堂巡りを繰り返し思ひ倦ねてゐたことの答へに何故だか辿りつくこと屡屡である。それは余りに摩訶不思議なことであるが、吾思ふといふことは、吾は、不安故に、或ひは思ひ倦ねてゐる故に思ふもので、その思ふといふ行為を通して吾は思考の堂堂巡りといふ渦動に呑み込まれ、息つく島もなく思考の渦動に溺れかかるのであるが、火事場の馬鹿力ではないけれども切羽詰まって南無三、と思ったときにズボズボと思考の渦動に呑み込まれ底へ底へと押しやられたときにぴょんと思考は跳ね上がり、宙空に飛び出すのである。さうして堂堂巡りを繰り返してゐる思考を第三者的審級の位置で見下ろしながらも思考はすかさず天を見上げて、堂堂巡りを繰り返してゐたときには思ひも付かぬ閃きを得るのである。この時、吾は吾を超えてゐるといへる。さうでなければをかしいのである。思考は絶えず吾を超えやうと吾である不安の中で藻掻いてゐるのだ。或ひは未解決問題に対して考へに考へ倦ねた結果、さうして嫌といふほどに堂堂巡りを繰り返し、遂にはその思考の渦動に呑み込まれるのであるが、あな不思議、追ひ詰められた吾の思考は、ぴょんと跳ね上がり、宙へと飛び上がる。その時、思考は吾を追ひ越してゐて、デカルトのCogito, ergo sum.では収まりきれぬ吾の様態が存在する。故にデカルトのCogito, ergo sum.は誤謬である。正しくはCogito, sic Im 'sollicitus. Et superabit.といはねばならぬ。
作品名:夢幻空花(むげんくうげ) 作家名:積 緋露雪