「過ぎたるは及ばざるがごとし」殺人事件
「普通に考えればそうでしょうね。何か記憶の中で思い出したくないことが発生したことで、自分から閉じこもってしまうということはありますからね。もしそうだったら、まわりが強引にそれをこじ開けるというのは、無理なことであり、被害者を最大限に苦しめることになるからですね」
というではないか。
それを聴いて、
「じゃあ、無理なく記憶を取り戻すしかないということですね?」
というと、
「ええ、そうです。無理をすれば、すべてが水の泡です。自分の中にも、自己嫌悪が残るだけで、何のメリットもありません」
という。
言い方は冷たいが、
「まさにその通り」
としか、桜井刑事は思わなかった。
結局一週間入院していたが、
「記憶が戻らないまま」
という退院となったのだ。
被害者が退院してきても、まだ捜査本部は解散しなかった。
事件の全貌がまったく分からないということだったのだが、それでも、さすがに、退院してからも、記憶が戻らない状態で、捜査本部の継続は難しいという意見が大半で、結局、「閉鎖する」
ということになったのだ。
ただ、このことを聞きつけたマスゴミが、勝手に、
「謎の誘拐事件。狂言誘拐では?」
という記事が出たのだ。
「誰だ。こんな記事を出したのは?」
ということで、週刊誌の方でも、賛否両論があった。
記事を書いた直所くの上司は、
「これくらいは当たり前の記事だ」
ということで書かせたのだが、実際には、
「警察から抗議があり、他からも、ご注進が掛かったということであった。
それは、被害者側の会社から圧力がかかったということで、言ってみれば、
「売ってはいけない相手に喧嘩を売ってしまった」
ということになるであろう。
警察としても、この記事は、
「警察の無能」
というものを書かれているようで、
「これが本当に狂言誘拐だ」
ということになると、
「それこそ、警察の赤っ恥」
ということで、週刊誌が、
「警察にも喧嘩を売った」
ということになるのだ。
雑誌社としても、
「そんなつもりはない」
というだろうが、
「世間がどう感じるかということを考えての記事ではなかった」
ということになり、
「なるほど、出版社が世間を敵に回した」
といってもいいかも知れない。
いくら、
「言論の自由」
「報道の自由」
が保障されているとはいえ、
「プライバシーの保護」
ということから考えると、
「これはやりすぎだ」
ということになるだろう。
それを考えると、
「警察としても、世間としても、ただ、世間を騒がすだけの記事」
ということで、要するに、
「破ってはいけないタブー」
というものに足を踏み入れたということであり、開けてはいけない、
「パンドラの匣」
というものを開けてしまった。
ということになるのだろう。
さすがに、しばらくして週刊誌は、発行停止となったが、すでに、数日発行してしまったことで、その処置があってないようなものだった。
出版社側もプライドがあるのか、
「警察にも、世間にも、謝罪」
ということはしなかった。
それが、
「マスゴミというものだ」
ということになるであろう。
「しょうがないか」
と、時間が過ぎるのを、まわりも皆、静観するしかないのだろう。
しかし、実際に被害者の記憶がまったく戻っていないようだった。
それを当主である大旦那が、気にしていた。
彼は、若い頃は、そういう催眠術であったり、記憶のことであったり、心理的なことに興味を持っていた。
大学時代には、経営学を専攻はしていたが、実際には、それ以外にも、いろいろ研究をしていたのだ。
だから、
「孫が、まったく記憶を取り戻す気配がない」
ということに対して、少しおかしな気がしていた。
実は、週刊誌に、
「狂言誘拐ではないか?」
というのを吹き込んだのは、
「この家の当主だった」
というのは、
「マスゴミにそれを書かせて、犯人が、どう出るか?」
と考えたからだ。
犯人とすれば、何か思惑があって、今回の事件を引き起こしたのだろう。
何もないまま人質を解放し、しかも、
「記憶喪失の状態で解放した」
というのが、よく分からないということである。
何か目的があるとすれば、それ以降のことであり、それを、実は、桜井刑事も気にしていたのだ。
その間にも、事件はあちこちで起こっているので、
「この誘拐事件だけを気にする」
というわけにはいかなかった。
そこで、
「今回の事件は、とりあえず、頭の片隅において」
と考えていたのだが、そんな時、この不可解な事件が起こったのだ。
桜井刑事とすれば、
「結びつけないわけにもいかない」
ということで、
「この事件の背後に、何か暗躍しているものがある」
と思い込んで事件を見ていた。
とはいえ、
「それが何なのか?」
ということを考える余地のようなものはなかった。
「あの時の、誘拐事件には、共犯者がいる」
とは思っていた。
そこで、考えたのが、
「狂言誘拐」
というものだった。
しかし、担当刑事が、
「これは狂言ではないか?」
などということを、証拠もなしに、軽々しく口にできるわけもない。
そして、そんな証拠も出てくるわけではなかった。
一つ気になったのが、
「誘拐されたのが、幼女ではなく、高校生の女の子だ」
ということであった、
これがそもそもの、
「狂言誘拐ではないか?」
という考えに至った最初の理由であるが、それだけで、
「狂言誘拐だ」
というのは、あまりにも早急すぎる」
というものだ。
しかし、警察よりも、気づくのは遅かったが、その分、当主の方は、
「そう思い込んだら、それ以外に考えられなくなり、もし狂言誘拐だったとすれば、このままで終わるわけはない」
と思うのだった。
だから、マスゴミを通してでも、
「犯人をいぶり出す」
ということを考えたのだった。
当主の方では、
「もし、自分が犯人だったら?」
という自分なりに、
「シミュレーション」
というものをしてみたりしたが、どうにも思い浮かばない。
そうなると考えられることとして、
「犯人を刺激していぶり出す」
ということであった。
しかし、それを自分からしてしまうと、相手に感づかれたり、怪しまれるということで、
「尻尾を出さない」
と考えるだろう。
そうなると、
「マスゴミを使って、自分たちはかかわっていない」
と思わせようと考えたのだ。
それにうまく引っかかって。マスゴミは、
「狂言誘拐かも?」
という記事を書いた。
しかも、その後に、
「抗議する」
という形で、
「自分たちには関係ない」
と思わせたのだ。
それで、犯人側が、動揺するか、それとも、何かのアクションを起こすかと思っていたのだ。
ただ、実際に当主は、
「この事件を、断じて、狂言誘拐だとは思っていない」
ということであった。
もし、そうだと思っているとすると、週刊誌に、
「これは狂言だ」
ということはいわないだろう。
マスゴミとしても、さすがに、情報をくれた相手から、
「狂言ではないかと思っている」
という話がなければ、
作品名:「過ぎたるは及ばざるがごとし」殺人事件 作家名:森本晃次