Zealots
その父親が、四年前までありとあらゆる手口で人を殺してきた町田なのだ。古巣に金を出すよりは、自分で手を下した方が早いだろうと今でも思えるぐらいに、腕は良かった。しかし、前金はすでに振り込まれていて、公式に仕事として請けた状態になっている。稲場は咳ばらいをすると、自分の方に顔を向ける姫浦に言った。
「オッケー、まあいいや。とりあえず報告してくれ」
姫浦はうなずくと、ヘアピンで留めた髪に一度触れた。
「護衛の直接の雇い主は、堂山沙穂という名前です。この手の人間を束ねる、斡旋業者でした」
「人を商品にする業者には、ロクなやつがいない。おれ達が聖人に見えるぐらいだよ」
稲場が苦々しい表情で吐き捨てると、姫浦はスーツについた糸くずを払いながら言った。
「私たちの場合は、死が商品ですが。それでもですか?」
「こいつらは、死んだ方がマシだと思うようなことを、生きてる奴に平気でやってのける上に、殺さずに生かし続ける」
稲場は自分の考えを補強するように言うと、背伸びをした。自分が五十歳だということは、いまだに信じられない。姫浦にしても、この業界に入ったときに十九歳だったが、体のあちこちに怪我を負いながらも三十二歳になった。雇い主と殺し屋といういびつな関係だが、生き延びているということだけが、お互いに共通している。
「護衛は三人いました。銃を扱える竹尾と安積が家の護衛、町田凛奈の送迎役は小崎です」
姫浦はタブレットを操作すると、家の写真を並べた。稲場は姿勢を正すと、知り合いを探すように目を細めた。
「見事に、知らない顔ばかりだ」
姫浦は首を小さく横に振った。
「四人目がいる可能性は残っていますが、この三人は、GPSでお互いの居場所を管理しているようでした。家の近くに野良のルータがあって、そこを使った形跡から判明しました」
「筒抜けってことか。IT音痴か、よっぽどの不用心だな」
「仰る通りです。家には家政婦が二人いますが、片方が休みを取る場合があるので、そこを狙います」
姫浦が澱みない口調で言うと、稲場は苦笑いを浮かべた。
「了解。しかし、簡単に回収って言うけどな、人だぞ。子供の相手はできるか?」
「私にも、十二歳だったときがありました」
そう言うと、姫浦は稲場の顔に視線を向けた。稲場は目を逸らせると、タブレットに居残る町田の写真を見ながら言った。
「依頼人がこの業界の人間ってのは、それだけで黄色信号だ。用心しろ」
「承知しました。一点、よく分からなかったのですが。堂山に護衛を依頼した大元は、誰なんでしょう?」
稲場は、特に関心がなさそうに首を傾げた。
「大元を辿れば、お抱えの税理士とかじゃないか? 娘がなんかの権利を握ってたり、そういう事情じゃないの。元殺し屋の父親には近づけたくないんだろ。こいつは嫁も同業者で、他所に聞いて回って分かったことだが、三年前に変死してる」
町田の嫁、つまり凛奈の母親。姫浦はその情報を頭に留めると、立ち上がった。
「では、取り掛かります」
タブレットの電源を切って部屋から出て行くとき、後ろから稲場の声がかかった。
「深入りするなよ」
− 一週間前 −
「あなた達には、身を引く権利があります。他に入って欲しい仕事もありますので」
女の言葉を聞いた竹尾は、鼻で笑い飛ばした。
「あんな楽な仕事も、中々ないんですがね。家の前をうろつくだけですから」
大抵のことは、腕一本で跳ね返せる。その自信はテーブルの上に置かれた両手が示していた。竹尾の仕草を観察しながら、小崎は女の反応を待った。その口元が微かに緩み、女は竹尾の目をじっと見て言った。
「もちろん、ただの提案ですが。聞きたいことがあるなら、どうぞ。顔を合わせたのは、質問に答えるためです」
安積が生徒のように右手を上げると、小ばかにしたような上目遣いで女を見つめた。女が小さくうなずいて先を促すと、安積は咳ばらいをしてから言った。
「依頼人との契約は、年単位ですよね。ちょうど今月で満期になります」
女が相槌を打つよりも前に、竹尾が口を開いた。
「後腐れがなさすぎるな。おれ達の契約が切れる月に、その手の人間がクライアントの身柄を狙いに来るわけだ」
小崎はひゅうと息を吸い込むと、自分の言葉を会話にねじ込んだ。
「相手が誰にせよ、事情通ですね」
竹尾と安積の突き刺すような目が銃身のように自分へ向き、小崎は首をすくめた。安積が先に視線を逸らせて、うなずいた。
「確かにな」
竹尾は安積と同じ方向へ目を逸らせると、動作をコピーするようにうなずいた。
「相手の事情は知らないが、そこまでしてあの子供の身柄が欲しいなら、勝手にすりゃいい」
小崎は、竹尾の淡々とした口調に驚き、思わずその横顔に目を向けた。安積と目が合って下を向いたとき、女が言った。
「三年間、護衛をしてきましたよね。町田凛奈の身柄が狙われる理由について、想像はつきますか?」
小崎は、送迎のときに凛奈が早口で話す内容を思い出そうとするまでもなく、その記憶すら早口で再生されることに気づいて、思わず頬を緩めた。その高速再生の語りは大抵『ザッキー、今いい?』から始まる。そして、首を縦に振っても横に振っても、凛奈は結局話し始める。
「思い当たりませんね。普通の女の子ですよ」
小崎が答えると、竹尾が宙を見上げてから、言った。
「機械オタクだろ。電気の本とか、なんちゃら工学の本とか。GPSビーコン持たせてんのに居場所をわざと狂わせたり、食えないやつだよ。それ以外は、普通の子供って言われれば、まあそうかもな」
安積がテーブルの傾きを見つめながら、笑った。
「まあ、どうなろうが知ったこっちゃないね」
小崎は二人の『所感』を聞きながら、思った。二人からすれば、家の前を行ったり来たりするだけの、散歩のような仕事だった。つまり、護衛をしているつもりだったのは、結局自分だけだったということになる。
竹尾と安積は、二十年の付き合い。そこに自分が入ったのは十年前で、十歳年下のコンビに顎で使われるドライバーとして雇われた。その頃はまだ高塚がいて、名実ともに『四人組』として活動してきた。当時すでに還暦だった高塚はいわばご意見番で、感情に乏しい竹尾と安積が勝手に動き回るのを抑え込む、ブレーキの役割をしていた。七年前に病死してからは、恐れていた通り竹尾と安積がアクセルを全開にし続けている。続けるのもやめるのも、この二人次第だ。
意見できるような立場ではないが、自分は納得できそうもない。この手の仕事に情を持ち込むのが御法度だとしても、請け負った仕事を完結させるために粘るのは、情とは全く別の話だ。小崎は腰を少しだけ浮かせると、女に言った。
「手洗い、ありませんかね。緊張してきました」
「外に出て、右手にあります」