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京都七景【第十八章】後編

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 でも、間違わないでね。私は決着をつけて、祖父のように、別の候補者を探そうなんて少しも思っていないから。あなたと一緒にやって行くのが私の一番の希望なの。お互いの家庭の事情をわかったうえで、手に手を取って、医業と病院経営の両方に力を合わせて安心してやっていけるパートナーは、あなたしかいないと思っている。でも、こんなことを言うと、あなたを失望させてしまうかもしれないわね。あなたは、そこにお互いの愛情はないのかと、きっと反論するでしょうから。
 もちろん愛情は大切よ、一番大切なことかもしれないわ。でも、恋愛を優先した母の人生を見て、そう言い切ることは私にはできそうもない。私にとって、愛情は、支えあったり庇いあったりする中で、少しずつ大きく育てて行けるような、そんな風なものであってほしいと、今は願っている。だから、あなたが、そういう生き方を嫌だと感じていないなら、私はまだチャンスがあると思っている。どう? も一度、私と一緒にやってみない?」
「りっちゃんはそこまで考えていてくれたんだ……ぼくは恥ずかしい。心得ちがいしていたのは、ぼくのほうだったのか。てっきり、きみはぼくに愛想を尽かしているものと思っていた。でも、今のりっちゃんの言葉を聞いて、目が覚めた。
 ぼくは、みんなから批難の目を向けられるのがとても怖かった。二度目の受験までは、そんな気持ちは微塵もなかったんだ。きっと何処かに引っかかりはするだろうという変な自信があってね。だから、たとえ二度目が不合格だとしても、三度目にはきっと合格するぞという精神力も、まだまだ残っていた。
 それが、いざ実際に落ちてみると、その自信が急に崩れ出して来た。だって、どんなに模試の結果が良かったにせよ、まだ、一つも大学の医学部には受かっていないんだからね。一つでも受かっていれば、そこが足掛かりになるのに、一つも受かっていなければ、何の手がかりも得られないじゃないか。その時、もはやどんなに努力をしたって合格できないんじゃないかという恐怖心が生まれて来た。
 それからさ、ぼくの夢見が悪くなって行ったのは。眠れば、ただひたすら下へ落ちてゆく夢しか見なくなった。乗っているエレベーターが、果てしなく下降していく夢だ。もちろん停止階のボタンはあるが、あるだけで何の表示も出ていない。全部真っ白だ。緊急停止ボタンもない。ぼくは、下へ下へ、まっしぐらに落ちていく。
 すごい恐怖だった。眠るのが怖くなった。だから、夜になるとできるだけ眠らないようにした。当然、翌朝、予備校に着くと机に突っ伏して寝てしまう日々が続くようになった、というより、それが常態化してしまった。それを見た浪人仲間が、酒や麻雀にぼくを誘って気分転換を図ってくれた。
 彼らも最初は親切心からだろうが、結局、互いに傷を舐め合う仲間を作って、勉強しない理由を正当化したかっただけなのだと思う。ぼくは藁にもすがるつもりで、その誘いに応じてしまった。
 それに、ぼくは彼らより多少小遣いを多く持っていたから、都合のいいATMにされてしまったようなところもある。彼らとつき合う以上、それは、ある意味、仕方のないことだった。今も、決していいこととは思っていないが、彼らのおかげで、ぼくがやっと眠れるようにはなったことは事実だ。だから後悔はしていない。
 ただ、眠れるには眠れるんだが、悲しいことに、もはやかつてのやる気が出てこなくなった。精神を集中させようとする途端に、嫌気が差して、楽な方へ楽な方へと手や足が伸びてしまう。自分でも、何とかしようと思うのだが、体がそちらへ行くのを拒んでしまうんだ。
 でも、さっきのりっちゃんの一言で、はっきりとは言えないけど、ようやく目が覚めたような気がする。今までぼくはいったい何をして来たのか、関係者にどれだけ迷惑をかけたのか。それを考えると、良心の呵責に身を苛まれるようだ。とりわけ、りっちゃんには、本当にすまないことをした。どうか許してほしい」

 そう言うと「優男」は、ガクッと崩れるように、その場に両膝をつき、両腕を前に伸ばして土下座の格好になった。肩が小刻みに震えている。う、う、う、と呻くような声が漏れて来る。どうやら泣いているらしい。

「ぼくにも、まだみんなの期待に応えて、自分の責任を果たしたいという気持ちが、ほんの少しは残っている。だが、りっちゃんの期待に正面から応えられるだけの自信はない。
 勉強を怠け出してから、もう一年半にもなる。遊び呆けて来たせいで、学習した内容はあらかた忘れてしまっている。こんな受験生があと半年近くで中堅どころの医学部に受かるはずがない。だから、こんな人間に再起ができるわけがないんだ。気持ちは、涙が出るほどうれしいよ。だが、残念ながら、りっちゃんはぼくを買いかぶっている」
「そんなことないわ。そりゃ、今の生活を続けたままで、合格する可能性があるかと聞かれれば、ないに決まっている。でも、あなた自身が生活を心底改めれば、可能性は十二分にあると思う。あなたにはそれだけの実力があるもの。近くで見て来たから、私にはわかる。それじゃ、ちなみにちょっと質問するからそれに答えてもらえる? あなたが、今年受かった経済大学の難易度はどれくらいだった?」
「中の下くらいだけど」
「じゃ、合格するためにどれくらい勉強した?」
「いや、何もしないよ」
「倍率は高かった?」
「うん、そこは滑り止め受験の学生が多いから、見かけの倍率は高かったね。実質の倍率はわからないけど」
「でも、合格したんでしょ?」
「ああ。合格通知をもらったからね。発表は見に行かなかった。通知をもらって、びっくりしたんだ。おまけに入学手続きをすれば、特待生として授業料を四年間半額免除する書類まで入っていた」
「特待生は定員の何パーセントくらいなの?」
「一〇パーセントって聞いたけど」
「で、入学手続きはしたの?」
「うん、初めて受かった大学だから、感謝の気持ちを込めて手続きした」
「で、大学生活は楽しい?」
「いや、半年以上経つけど、一日も行ってない」
「どうして?」
「だって、医学部じゃないからさ」
「ほら、自分で答えを言っているじゃない、本当は医学部に入りたいんだって」
「なるほど、そうだ。でも、なんか誘導尋問みたいだな」
「そんなことないわ。私はただあなたの近況を聞いただけだもの。で、私が言いたいのはここからなの。聞いてくれる?」
「ああ、お願いする」
「あなたが気持ちを切り替えることができたとして、それですぐ医学部に合格できるほど、医学部受験は生易しいものじゃないわよね。私もそんな虫のいい話は聞いたことがない。でも、今の体験談を聞けば、自ずと作戦が浮かび上がって来るんじゃないかしら? 
 あなたは、ゼロからの再スタートじゃないのよ。だって、文系とはいえ、特別、勉強もしてないのに、悠々と合格できる(特待生に選ばれたことがそれを証明しているわ)大学があるんだから。これはとても貴重なことよ。怠けていても、まだあなたに実力が残っているということだもの。だからこんな風に作戦を考えたらどうかしら。

 ・最終の目的達成を、一年五ヶ月後とする。