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京都七景【第十八章】後編

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「うーん、かなり言いにくいことだけれど、すでに解ってもらえていると思うから、はっきり言うわね。つまり、私が晴れ着を着て人前に、それも不特定多数の若い人たちがたくさん集まる伏見稲荷のようなところに、出ていけば、細々としたたくさんの嫌なことが次々に起こるんじゃないかと思う。決して「しょってる」わけじゃないのよ。これまでの私の人生経験に照らして、本気でそう確信するの。
 私が一人でいることがわかれば、一方で、必ず間欠的に声をかけてお茶に誘ってくる男たちもいれば、もう一方でこれから一緒に楽しいところに行こうよってしつこく食い下が
る男たちもいる。中には、ガールフレンドそっちのけでつきまとう男もいるから、そういう男に連れ添う女の子たちから、どんなことをされるかもわからない。
 しかも、そういう子たちほど、私が色目を使って誘惑したと思い込みやすいから、逆上して、うしろから肩を押したり背中を突き飛ばしたり、着物の袖を引っ張ったり、足を蹴ったりするでしょう、だから私には手の施しようがなくなるわけ。おまけに、もしそれが、あの狭い千本鳥居の細道だったりしたら、それはもう袋のネズミ、逃げることもできず、小突かれたり、髪を引っ張られたり、腕をひっかかれたり、場合によっては袖を引きちぎられる恐れもあるかもしれない。野上さん、こんなこと私のでまかせだと思うでしょう? でも全部私が身をもって体験したことなのよ、残念ながら。もちろん一遍にではないけれどね」
「人に羨ましがられる生活の裏で、お、お、おそろしい人生を、歩んでいたんですね」
「ま、良いことも、時たま、あるにはあるんだけれどね。でも、今回は、そんなことに負けているわけには行かないのよ。なんとか式をやり遂げなければならない。もしかしたら、こんな苦しみも通過儀礼の一つかもしれない。なんだかそんな気もする。それで、ここからが野上さんへのお願いなんだけれど、覚悟はいいかしら?」
「ええっ、覚悟? 覚悟って聞くと、なんだか恐ろしいですね。例えば、誘いかけてくる男の前に黙って立ちはだかるとか、攻撃してくる女性を襟首つまんで引き離すとか、そういうことですか?」
「いいえ、そうなったらただ事では済まなくなるわ。そういうことを未然に防ぐための覚悟よ」
「ああよかった。それならおれにもできそうだ。で、どんな覚悟を?」
「失礼を承知で言うわね。私のボーイフレンドになってもらいたいの。できれば、ボーイフレンド以上恋人未満あたりをお願いできるとありがたいんだけど」
「ええええっ! このおれにですか? そ、そんな大それたことをしていいんですか?」
「もちろんいいのよ、世間の目を欺くための即席のカップルだもの。初めは、真如堂みたいな警護をお願いすればいいかなと思っていた。でも成人式の当日に伏見稲荷に行くわけでしょう、千本鳥居の細道なんか、きっと若い男女できつきつに混み合っているにちがいないわ。
 だから、一つ、警護人には常に私のそばに張りついていてもらわなければならない。と同時に、二つ、男からの誘いを前もって挫くような親密感を醸し出してもらわねばならない。その二つを満たすには、そう、ボーイフレンドになってもらうしかないのよ。
 しかも、ある程度以上の親しさを演出すること。さもないと、必ず隙をつく男が出てくるはず。それを跳ね返すには、さらりと自然にステディらしさを漂わせることが賢明よ。例えば、手をつなぐとか、肩を近寄せて歩くとか。時折、人から守るように私の肩や背を手で支えてもらうのも効果的よね。ま、それくらいかな。そうすれば、声をかけてくる男は、さすがにいなくなるでしょう。
 そういうわけだから、ね、お願い。私を迷いの闇から救い出す手助けと思って、どうか承知してほしいの。もちろん、私のわがままで、野上さんに即席カップルの相手役をお願いするなんて、失礼極まりないことだとは重々わかってる。でも、ここが最後の峠なの。ぜひ野上さんの手を借りて、乗り越えたいと思っている。よろしくお願いします」
「ぎ、ぎこちない、動きをして、バレるかもしれませんよ」
「大丈夫よ。その時は私がフォローするから。じゃ、お願いしていい?」
「ええ、わかりました。そこまで言われたら、やるしかありません」
「ああ、ありがとう。本当にありがとう。ほっとしたわ」
「ご迷惑にならないよう、しっかりやります」
「あら、私の方こそご迷惑様よ。でも不思議ね、野上さん。即席カップルってちょっとスリリングでワクワクしない? ようし、がんばってみるかな。では、長々とおじゃましました。もう帰るわね。それじゃ、一月十五日の午後一時半、総門の下で」
「総門の下で」
 里都子さんは、片側の扉を開けて、小降りになった雪の中へと消えて行った。

 さて、いよいよ年が改まり、一月十五日の成人の日となった。
 その日の早朝、一晩続いた、寝苦しく浅い眠りから、おれは目を覚ました。起き上がってストーブに火を点けソファに座ると、すぐ前夜からの緊張がまたぶり返して来る。
 おれは今日の段取りをもう一度頭の中で復唱した。〈一時半に総門前、墓参に散歩、五番のバス、京阪三条から伏見稲荷、千本鳥居で即席カップル〉これらの言葉が、この順のまま、呪文のように脳内を駆けめぐる。
 待てよ。そのとき、ふと思い当たったことがある。いかに即席のボーイフレンドとはいえ、つき合う二人には、ある程度の釣り合いというものがあるだろう。相手役として振袖姿の里都子さんに恥をかかせるわけには行かないのだ。そのために、ここは、一にも二にも「みてくれ」を整えることが肝要だ。
 とはいえ、そんな気の利いた服装など、貧乏ではないまでも豊かとはいえない一般の学生風情に、手が届くはずもない。さてどうしたものか。あれこれ迷い考えているうちに時間だけは刻々と経ってゆく。
 仕方がない。コートさえ羽織れば下に何を着ようと(もちろん常識的なものさえきて行けば)、問題ではないだろう。コートなら、去年の秋新調したダークグリーンのトレンチコートがある。あれを着れば、さほど見苦しくもないだろう。そう観念して、おれはそのコートを羽織って、午後一時に自分の部屋を出た。ちょっと時間に余裕を見たつもりである。
大家の西洋館を通り過ぎるとき、玄関口のあたりから意味は分からないが複数の人のくぐもった声が聞こえてくる。法事は予定通りに終わったらしい。
 大股でゆっくり時間をかけて真如堂の階段をのぼる。それでも、総門までは五分もかからぬ距離である。総門の柱のかげに隠れて、来た方を振り返る。そこからは西洋館の玄関までが見通せる。いつ里都子さんが出てきても、すぐに分かるから慌てなくてもよさそうだ。
 おれは、目を凝らして里都子さんが玄関から出て来るのを待った。
 十五分経った。そろそろ一時半が近づいてきた。おれはさらに目を凝らした。すると、急に視界の左の方から黒い車がゆっくりと走ってきて、西洋館の玄関先に横づけするのが見えた。法事に遅れたお客でも来たのかと思う間もなく、二人の黒コートの男が降り立ち、