京都七景【第十八章】後編
「私は、古川家の医業を継ぐ気がなくなった。これまで、母のためにピンチヒッターを買って出たが、その母も今はいない。おじいちゃんには悪いと思うが、母が亡くなった時点で私は自分の役割を終えたと感じている。今が限界なのだ。私にも、他にやりたいことができた。それを実現したい気持ちは日増しに強まって来ている。だから、今日は、勇気を出して言う覚悟をしてこの場に臨んでいる。お願いだから、今日から自分の本当の人生を選ばせてほしい。以上」
すると、今まで、意見のバラバラだった人たちが、ここぞとばかり、急にタッグを組んで、私に考えなおせと迫ってくるわけ。あーあ、想像するだけでも身震いがする。
「無責任極まりない」、「家系を絶やすのか」、「お祖父ちゃんを見捨てるのか」、「誰かの入れ知恵だろう」、「身勝手は許さない」、「とにかく考え直せ」、「恩知らず。誰のおかげでここまで来られたのか」「お母さんは泣いているぞ」などなど。自身の責任はさて置き、自分に都合のいいことばかり言い立てるのよ。
でも、私はめげない。言い合いのさなかに私はさっと立ち上がる。みんなはハッと息を呑んで私が何をするかと見守るでしょう。
そこで、間髪容れずに「人を待たせているので、もう出かける。用事が済むまでしばらくは戻らない。でも午後十時までには帰るつもりだから、それまでに、一人ひとり、自分の意見をまとめておいて」とだけ言い残し、さっさと家を出てしまう。
ああ、それでね、野上さんとは真如堂の総門の下で待ち合わせたいの。いいかな?」
「ええ、もちろんです。で、そのあとはどうします?」
「ひとまず三重塔の前を通って、真如堂の墓地へ入るの。そうして母の墓前で、私の最終決断を告げる。だってこのために、お百度まで踏んできたんだから。もう母の呪縛には囚われない。私は私の道を行く。どうか許してほしい。ま、もう決めてしまったことだから、母が許すも許さぬもないんだけれど。でも、母には私の決断の経緯を、母への恨みも込めて解っていてほしい。だからそう伝えるつもり。それを私の決着のつけ方とする。
あとは墓地続きの金戒光明寺の境内を岡崎神社脇の小道に抜けて丸太町通を渡る。そして南禅寺前から岡崎動物園あたりまでは、しばらく散歩する」
「散歩ですか?」
「ええ、散歩。でもただの散歩じゃないのよ。自分の心を落ち着けるための散歩。だって、理由はどうあれ、今まで大事に育てて来た孫娘が、古川一族に反旗を翻すわけでしょう、みんなに動揺が走ってきっと大騒ぎになるわ。でもそれは、本人の私だっておんなじよ。それこそ清水の舞台から、一生にあるかなしかの覚悟をして、「えいやっ」て、家族の上に飛びかかるんだから。
今からそのときを思うと、身体が震えて足の力が抜けて気が遠くなりそう。なら、そんなことやめてしまえるかっていうと、もはやそんな気は毛頭ないの。今はもう、人が決めた人生を自分のものだと取り違えてはいけないとちゃんと分かっている。それは本当の自分の望む人生とはいえないものね。やはり、人生は自分で選ばなくちゃ。自分で選ぶからこそ、人に不満は言えないし責任転嫁をすることもできない。でも、だからこそ、自由に選ぶ楽しみと緊張が生まれる。私はこの道へと生き直したい。
でも、すぐ後から、私は本当に大丈夫だろうか、ひとりでやっていけるんだろうか、家族の、そして特に祖父の納得は得られるんだろうかって、ついつい弱気な疑問が湧いてきちゃってね。いけない、今は関係ないわね。話を戻しましょう。
でね、そのあたりを歩いているうちにきっと気持ちが落ち着ついてくると思うの。そしたら近くのバス停からバスに乗りましょう。ほら、南禅寺から岡崎公園のあたりなら、いい具合に五番のバスが通っている。本数も比較的多いし、バス停の間隔もわりと短いの。バスが見えたら最寄りのバス停にちょっと走れば大丈夫、うまく乗れるわ。乗ったら、いよいよ私たちの伏見稲荷行きの始まりよ。まずは三条京阪まで行って、そこで京阪電車に乗り換える。そうすれば伏見稲荷駅までは乗り換えなしの十五分ちょっと。駅を出て五分も歩けば、そこはもう伏見稲荷。ね、早いでしょう?」
「ええ、本当に。そんなに近いとは知りませんでした。で、ここで質問ですが、里都子さんは、おれが何をすることをお望みですか?」
「ええと、野上さんに望むことは一つなんだけれど、条件が細かいのよ。でも、そこから話しを始めると、ややこしくなりそうだから、先に私が伏見稲荷に行く目的を話すわね。
一つは、私の幻の成人式を終わらせるため。私の成人式の日に母が亡くなったことは知っているでしょう。その後、母の死のショックが家族一人ひとりに長く尾を引いた上に、いろいろな騒動まで重なったものだから、それに紛れてみんな私の成人式のお祝いどころではなくなってしまった。私も、そのときは全然気にかけていなかった。
でも、今回、自分の人生の目標を変える決意をした時に、やはり心にけじめをつけて生き方の仕切り直しをする必要があると思ったの。成人式って、人が子ども時代に別れを告げて一人前の大人になるための儀式よね。文化人類学では、それを通過儀礼といって、人間が人生の節目に行う大切な儀式だと説明している。
確かに、厳密には、私が成人することと、生き方の仕切り直しをするということは、全く同じとは言えないけれど、もし成人することが、自分で自分の人生に責任を持つという意味だとすれば、両者は全く同じになる。
だから決めたの、二年遅れだけれど自分で自分の成人式をしようって。じゃ、どこですればいいんだろう? そういえば七五三のお祝いは神社だったな、なら、成人式も神社で祝えばいいんじゃないか。ではどの神社にしよう? そしたらはたと気がついたの。伏見稲荷の千本鳥居がいい、勝手だけれど、あそこをくぐり抜けることを通過儀礼にさせていただこうって。でも、どんな儀式にせよ、それを終わりまで見て、確かに実施したことを客観的に証明してくれる第三者がいなければ、本当の責任は生まれて来ないでしょう? そこで、野上さんに白羽の矢を立てたというわけ。
ただし、ただ立会うことだけお願いすれば済むというわけにも行かなくて。ややこしくて、本当にすみません。前もって繰り返しお詫びさせていただくわ、ごめんなさいね」
「気にしない、気にしない。だいたい事情は呑み込めましたよ。で、ほかにどんなことをすればいいんですか?」
「そのことなのよ。その日は、なんといっても世の中は成人の日一色でしょう? 伏見稲荷なんか、成人式帰りの若い男女でごった返しているはずだわ。ま、だから私が振袖で行っても特に目立ちはしないでしょうけど。それでも、例えば、野上さんに間隔を空けて参詣についてきてもらうのは、危険だと思うの。特に千本鳥居の下では」
「どうしてですか?」
作品名:京都七景【第十八章】後編 作家名:折口学