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京都七景【第十八章】後編

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「なるほど、そういうこともありそうね。わかったわ。もし、私に人が近づいて来たら、野上さん、うまく間に入って来て、私の家族なり、同級生なり、何でもいいから、その場に上手くあった役柄を演じて、私に声をかけてもらえないかな? 特に巡回中の警官だったりすると後々ややこしくなるから、ガールフレンドだと言ってもかまわないわよ。二十歳過ぎの恋人同士なら、警察官もあれこれ言わないでしょ。もちろん、野上さんが気にならなければの話だけれど」
「お、おれは、べ、べつに気になりませんけど。里都子さんに、失礼には当りませんかね?」
「何いってるの、水くさいわね。一蓮托生の間柄じゃないの。私の願(がん)を叶えるためには野上さんの力が欠かせないのよ。だから、うまくやってね。お願い。
 じゃ、私は、衣装を着替えなくちゃいけないから一旦戻って、九時にまた顔を出すわね。それじゃ、よろしく」
「あ、あ、あの、衣装を着替えるって、白装束ですか?」
「あら、確かにそうだわ。こんな夜に、白装束なら、雪でカムフラージュするのに持って来いだったのに。でも、残念ながら、そうするわけにいかないのよ。それは、後でわかるわ、今は内緒にしておくわね。じゃ、急ぐから、また後で」そう言って、里都子さんは、やや慌て気味に出て行った。
 さて、机の上の時計が、いよいよ八時四十分を刻もうとする頃、おれはおもむろに、外出の支度に取りかかった。といっても、手間のかかることは何もない。いつもの服装の上に、いつもの青いランチコートを羽織るだけで、靴も革靴は滑るから濡れる覚悟でズック靴に代えたくらい。ここまでで、およそ五分である。それから、傘を扉に立てかけると、ストーブの前に座り、緊張の面持ちで外の音に耳を澄ました。
 九時を少し回ると、足音もしないうちに突然ノックの音が鳴り響いた。おれはびっくりして立ち上がった。

「私よ。お待たせしてごめんなさい」

 外に里都子さんの声がする。おれは、ドアを開けて再び、びっくりした。

「ど、ど、どうしたんですか、その格好? 初詣にでも行くんですか? い、いや。初詣には、ちょっと気が早いか。年末の祭礼にでも出席するつもりですか?」おれは、うろたえた声を出した。
 里都子さんは、どういうわけか和服に着替えていた。それも赤紫の無地の振袖に、藍色の帯、その帯には二羽の鶴の雁行する姿が銀糸で刺繍されている。昼間見たら、さぞ衆目を奪う晴姿であろうことは、おそらく誰も否定できないに違いない。

「やっぱり、そうよね。そう取られても仕方ないわ。でも、野上さん、勘違いしないでね。私は、見栄やお洒落でこんなことをしているわけじゃない。私の止むに止まれぬ気持ちから、本気で、したことなの。
 私なりにちゃんと筋の通った理由はあるし、私なりの覚悟もできているわ。けれど今ここでそれを説明するわけにはいかないの。参拝が済まない限りはね。
 ただし、野上さんには誤解されたくないから、一言だけ弁解させてもらうわね。実は、これ、私の成人式の晴着なの。以前、成人式の当日に母が亡くなったことを話したでしょう? その時に、私は成人式にこの晴着を着る機会を、母は私の晴れ着姿を見る機会を、永久に失くしてしまった。私は、あらゆる意味で、そのことが本当に心残りだった。それで、今回の願を成就するために、この晴着の力を借りることを思いついたの。こんな曖昧な説明で申しわけないけれど、これで少しは事情を察していただけるかしら」
「いえ、おれの方こそ愚かなことを言いました。これまでの事情を思い見れば、直ぐ察しがついていいはずなのに。自分の情けなさに本当に嫌気が差しますよ。本当にすみません」
「いいのよ。誰もが喪に服すべき時に、振袖姿で現れれば、気が触れているとしか思えないでしょう? だって、理由はどうあれ、外見が社会の規範に大きく外れれば、社会性が欠如していると見られるのが人の世の常だもの。
 でも、ここで愚痴を言っていても仕方ないわね。直ぐに出かけましょう。遅くなると、野上さんに申しわけないから」そう言って、里都子さんは戸口から外へ出た。おれも、直ぐその後に続いた。
 外に出ると、里都子さんの足音がしなかった理由がよくわかった。夕方、雨に変わりそうだった雪が、気温が下がったせいか細かな雪片となって小止みなく降っている。すでに地面には、柔らかい粉雪が二、三センチくらい積もっている。これでは足音がしなくなるわけだ。
 しかも四、五メートル先の景色はすでに闇に飲み込まれ、視界に映るのは四方に絶え間なく降っている雪のみである。おれは、あることに気がついて、里都子さんを呼び止めた。

「あの、午後行った時にはもう、参道が雪で滑りやすくなってましたよ。履物は滑りませんか?」

 里都子さんは、立ち止まって振り返ると、右手で右裾を少し持ち上げて足もとを見せた。ちらりとゴム底のスニーカーが見えた。おれは、軽くうなずき、里都子さんと肩を並べて歩き出した。

「傘は差さないんですか? 晴着に雪が染み込みますよ」
「大丈夫。あと一回着られればいいんだから。それより、傘や着物に気を取られて、お参りが疎かになることの方が心配だわ。今夜が念願成就の分かれ道だもの。最後のお参りを終えるまでは、雑念を払って澄んだ気持ちで祈りを捧げる覚悟なの。野上さんの気持ちはありがたいけど、傘や晴着のことは気にしないで、警護のことだけ気遣ってもらえるとうれしいな」
「その意気込みに身が引き締る思いですよ。わかりました、おれも瑣末なことは気にせず、本筋だけを追うことにしましょう。で、どんなふうに警護すればいいですか?」
「私が総門から本堂の前まで三往復するのを、総門の下の、雪がかからない所で見守っていてもらえますか?」
「あの、言葉を返すようですみません。遠目の利く白昼の境内ならいざ知らず、こんなに降り続ける雪の中では、四、五メートル離れるだけで人の姿を見失ってしまいます。そうなると、不審者が出ても、不審者と里都子さんのいる場所がおれからは見えないだろうし、たとえ里都子さんが声を上げたにしても、おれに悲鳴が聞き取れないか、聞き落とす場合だってないとも限りません。
 そこで提案ですが、あくまで念には念を入れて、里都子さんの斜め後ろ三、四メートルのところを、付き添わせてもらえないですか? 里都子さんの視界に入らないよう十二分に気をつけますし、その距離なら晴着の色がおぼろげに見えて、どうにか里都子さんの位置を常時確認できそうですから。もちろん、緊急の場合以外は絶対に声をかけたりしないと約束します。だから、どうか安全のためと思って是非とも「うん」と言ってください」
「まあ、頼もしいのね。野上さんこそ、警護に徹してくれているじゃない。その気持ち、ありがたく受け取らせていただくわ。ぜひ、お願いね。それじゃ、始めましょうか」

 そう言って、里都子さんは総門から歩き出した。幸い、雪は、肩にかけたショールに積もり、一定の量を超えると自然に落ちてゆくので、気温さえ上がらなければ、直ちに着物に染み込むということはなさそうだ。その分、寒気は足もとから容赦無く上がってくる。身体を動かしていなければ、二人とも雪像になってしまいそうである。