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京都七景【第十八章】後編

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 やや! 雪ではないか。そうか、そういうことか。おれは、このとき自分のミッションの困難を悟った。やはり、里都子さんのミッションには一筋縄では行かない運命(さだめ)が絡んでいるのではないか。きっとこれから今夜にかけて吹雪になるに違いない。でもこのミッションは、里都子さんがおれを信頼してくれている以上、意地でも果したい。ならば今から準備できることが何かないだろうか。
 もちろんある、はずだ。それはまず、これから出かけて行く現場の下見であるに違いない。下見をすれば、街路の人通りや雪の積り具合にもある程度の予想がつく。さらに、午後から夜半にかけての天気予報の情報も欠かせない。天気予報はできるだけ直前に知るのがいいだろうから、ひとまず先に下検分を済ませておくのが最善の策ではないか。
 しかし、どこに行けばいいのだろう? 行く先は里都子さんから教えてもらっていない。だが、これまでの里都子さんの行動範囲を思い返してみれば、ある程度予想がつくのではないか。何しろ、よく会うのは真如堂の境内であるし、夜の十時に出かけるくらいだから、それほど遠い距離にある場所ではないだろう。そのうえ人に見られてはいけないし、警護が必要とあれば、夜間に人があまり訪れることのない、おそらくは神社仏閣の類であろう。
 里都子さんは、たぶん、なんらかの目的で、この周辺の神社仏閣のどこかに参拝するつもりなのだ。神社仏閣への礼拝は、本来人に告げて行うべきものではない。告げれば霊験は失われてしまう。だから、おれに目的を告げることができないのだろう。
 まあ、何が目的であるにせよ、おれにとって一番ありがたいのは、もちろんすぐそこにある真如堂詣である。なるほど、それが最もありそうだという気はする。だが、先入見は禁物である。人の判断を間違いに導くものは、情報不足と思い込みである。ここは、この周辺にある神社仏閣ならどこでも対応できるように、一つ、下見をかねて、散策をしてくるに如くはない。
 おれは、そう思い立つと、すぐさま財布と傘を持って周辺調査にひとまわりすべく、下宿を後にした。外に出ると、粉雪が師走の風に吹かれて、斜めに肩に降りかかったり、足もとから顔に吹き上げたりする、ちょっと乙な師走の京景色である。心が、少し浮き浮きとする。
 よし、それじゃあ、ざっと一巡りするか。おれはこんなコースをたどってみた。まず、薄暗く茂った木々の間の細道を吉田神社へと向かう。寂しくて、夜間は物騒な気がする。ここは避けてほしいものだ。次に吉田神社の脇から今出川通へと坂を下り、通りを反対側に渡って銀閣寺の交差点へ到着。途中、よく行くラーメン屋の前を通り過ぎる。本日は都合により休み、翌二十九日は営業とある。残念。腹が空いてくる。
 交差点近く、白川ほとりの、ここも行きつけ(とはいえ、三ヶ月に二回くらい)の蕎麦屋「カギ富」で狸蕎麦(大盛り)を食べる。いつもより地元市民の利用が多いらしく、ローカルな話題が飛び交って大繁盛の様子。いつしか観光客になりすましている自分に気づく。いかん、いかん、何をしに来たのか。
 気を取り直して、白川通りを下り、丸太町通りとの交差点を西に折れてそのまま丸太町通を進む。岡崎神社の前で右に曲がって境内に入る。落ち着いているが、ちょっと狭いか。因縁をつけられたら、助けを呼んでもなかなか気づいてもらえないかもしれない。ここも避けてもらいたいものだ。
 岡崎神社の脇の小道から金戒光明寺に至る。ここは新撰組の最初の屯所があったところらしいが、里都子さんとは関係がなさそうである。
 金戒光明寺の墓地伝いから真如堂墓地を抜けて三重塔前に至る。雪は水気を含んで傘に重く当たり、周りに細かい水沫を跳ね返している。日も陰り、あたりは薄暗く沈んでくる。午後三時。真如堂の境内に観光客や通行人の姿は一人も見かけない。閑散の極みである。
 ただ、すぐ目の前の手水舎の屋根の下に、ジーンズに作務衣を羽織った(いや作務衣の下にジーンズを履いたのか)女性が一人、おれのいるのも気づかず、熱心にひたすら寺の什器を洗っている。両手が真っ赤で、ずいぶんと冷たそうだ。その姿は感動的でさえある。
 おれは、本堂を背にして、総門までを見通す。石畳に水気を含んだ雪がうっすらと積もっている。夜に入って、気温が下がると凍りついて滑りやすくなるだろう。もしここが目的地なら、履物には気をつけるべきだろう。いや、もう一つ。寒さ対策にコートは必須だ。  
 そんなことを考えながら、ふと腕時計に目をやると、三時半近くになっている。里都子さんの来る時刻が近づいている。おれは、急いで下宿にとって返し、ストーブに火を点け、冷めたコーヒーを沸かし返した。そのコーヒーを一口含んだところで、フランス窓に黒い影が差し、扉に二つ、鈍いノック音が響いた。

「野上さん、いる? わたしですけど」里都子さんの声だった。

「ええ、います。いま開けますから」おれは、急いでドアを開けた。開けた戸口から、冷たい雪風とともに、里都子さんが顔を出した。

「寒いでしょう。さあ、早く中へ」
「じゃ、少しだけ、お邪魔します」おれは、里都子さんを先日座ったソファへと案内した。

「ああ、野上さん、いてくれてありがとう。もし、いなかったらどうしようかと思っていたの。とにかくありがとう。これで今夜は安心だわ。それで、この後、準備がいろいろとあって、あまり時間がないものだから、要点だけ伝えさせてもらいますね。
 まず、出発時間に変更があるの。以前、十時と言ったけれど、今夜はこんな吹雪の天気でしょう? 人通りもあまりなさそうだから、一時間繰り上げて九時にしようと思うのだけれどいいかしら」
「もちろんです。里都子さんの都合の良い時間にしてください。で、どこへ行けばいいんですか?」
「あ、そうか。ごめんなさい。まだ、言ってなかったわね。たぶん察しがついてるかもしれないけど、真如堂よ。真如堂は我が家の菩提寺なので、この九月から、私、一つ、願かけをして、本尊の阿弥陀如来像にお参りしていたの(本堂の外からね)。その仕上げのお参りを、今夜のうちに、あと三回すれば念願成就になるというわけ。
 そのためには、家族や関係者に決して知られても見られてもいけないし、私から漏らしてもいけない。だから、この件に黙って協力してくれる、優れて信頼できる、関係者以外の人物が必要だった。そうして、それは野上さんをおいてほかには考えられなかった。だから、無理を言ってでもお願いしたの。聞き入れてもらった時は本当にうれしかった。心から感謝してるわ」
「そういうことでしたか。で、おれは何をすればいいんでしょう?」
「前にもお願いしたように、私を遠目に警護してもらえればそれで十分。特に今夜はきっと雪が降り続いているでしょうから、人目に立つことはなさそうだし」
「ま、雪が降り続いている場合はともかくとして、もし降り止んで月明かりでも出ていたら、どうしますか? 一応、その時の対処法も、考えておいた方がいいですよ」