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京都七景【第十八章】後編

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「暴力沙汰や小競り合いは、ないんですよね?」
「 もちろんよ。うまく行けば、私と野上さんの二人だけだもの」
「まずく行ったら?」
「職務質問は免れないわね」
「うわあ、やっぱり、わけありなんだ?」
「だから、わけは聞かないで、って、お願いしたの。でも、安心して。何かあったら、私が野上さんを必ず守るから」
「依頼人に守られる警護人ってどんなもんですかね? ひどい形容矛盾だけど」
「いいの、いいの。細かいことは気にしないで。今は事情が言えないから仕方ないのよ。全部二十八日の午後に説明させてもらうわ。ね、だからその時まで待ってくれる? 今言ってしまうと、全部がふいになってしまうから、どうしても言えないの」
「わかりました。おれに二言はありません。よろこんで協力させてもらいますよ。で、おれの方で、何か準備しておくことは、ありませんか?」
「いえ、そのままで大丈夫。二十八日は四時頃(!)お邪魔させていただくわね。じゃ、そのときに」
「あ、あ、あの、この件には全く関係ないことですが、いつも気になっていることが一つあるんです。質問してもいいですか?」
「ええ、いいわよ。で、どんな質問?」
「真如堂にいるとき、いつも本を読んでますよね。こんなことを聞くと失礼なのは、重々承知の上ですが、どうも本好きの悪い癖で、つい野次馬根性が出てしまって、いったいどんな本を里都子さんは読むんだろうかと、気になって仕方がないんです。
 おそらく、持ってるのは、いつも同じ本ですよね? 真如堂でお会いしてから、もう三ヶ月は経つので、同じ本とすれば、余程のお気に入りなんでしょうね、詩集かなんかですか? もし、お嫌でなかったら後学のために書名を教えてもらえると、うれしいんですが。駄目でしょうか?」
「いえ、そんなことないわ。全然平気よ。でも、野上さんの読書傾向とは大いに違っていそうだから、聞いたら失望するかもしれないわよ」
「その落差が大切なんです。予想と違えば違うほど驚きは新鮮ですから。その驚きによって、その本が読みたくなることも、おれにはよくありますよ」
「ふふふふ、そううまくいくといいわね」
「まさか薬学の本じゃないんでしょう? それならお手上げです」
「まさか。母が亡くなって、不思議と薬学への興味が薄れてしまったのよ。まるで魔法が解けたみたいに。
 だから、目下、どうすればいいか試行錯誤中。というわけで、今年は、人生を考えさせる本ばかり読んでいるわ。じゃ、書名をおしえましょうか。野上さんなら、きっと知ってるはずよ。ニーチェの『善悪の彼岸』とラ・ロシュフコー公爵の『箴言集』」
「そう来ましたか」
「ええ、そうなんだけど、何か不都合なことでもあるの?」
「いえ、そんなことはありません。どちらも折り紙付きの名著だし。でも、強いて言うなら、ちょっと個性的かな」
「個性的? 個性的でない名著ってあるのかしら?」
「確かに、どんな名著も個性的ではあるでしょうね。でもこの人たちには、それ以上に一種独特の主張がある。そんな感じがしませんか?」
「あまりそんなふうに考えたことはないわね。ただ、寸鉄肌を刺す警句が胸に痛いはずなのに、まるで針治療を受けてるみたいに小気味良く感じられて、ついつい読み耽ってしまうといわけ」
「うーむ。どうも二人の人生観に引き込まれているようですね」
「引き込まれたらまずいのかしら? 私、けっこう気に入っているんだけれど。特にニーチェはね」
「ニーチェには、何か思い入れでもあるんですか?」
「ええ、母が亡くなって目標を見失ったと言ったでしょう? その時、薬学じゃなくて、漠然と、もっと人間らしい学問というか、人間自体のあり方を反省する学問がしたくなったの。心理学とか、哲学とか、それに精神分析学や進化論なんかも。
 でも、あいにく、私の周りには実験科学の人しかいないでしょう? だから、薬学部の友人の伝手をたどって哲学科の院生を紹介してもらったの。そしたら、ちょうどその時、その人が専門に研究していたのがニーチェの哲学だった。それで、ひたすらニーチェを教わることになったわけ。ということだから、私、ニーチェには、ちょっとうるさいわよ」
「うわあ、手強いなあ。もう何も言えないですね」
「そんなことないわ。私、野上さんの経験談のおかげで、少しニーチェと距離を置かなきゃと思うようになったもの」
「それって、どういうことですか?」
「ううーん、私の理解の範囲内で、うまく説明できるか不安だけど。ごく簡単に説明してみるわね。
 ニーチェは、キリスト教の道徳が、強者に対する弱者の恨み(これをルサンチマンというのよね)から生まれてきたと言うの。
 弱者は現世では強者に勝つことができないでしょう? だから、弱者はそれを恨んで、その価値観を転倒することを思いついた。ほら、聖書にもあるでしょう、「貧しきものは幸いなり」とか「富者が天国に入るのは、ラクダが針の穴を通るより難しい」とか、あれよね。
つまりキリスト教によれば、弱者は、犠牲や奉仕、禁欲、克己などを誠実にすればするほど神の意思に叶うので、神の祝福を受けて、来世は天国に住まうことができる。強者は、強さゆえに、神の最後の審判によって断罪され、地獄に落とされることにもなる。
 ニーチェは、そんなのは弱者の奴隷根性が捏造したデタラメに過ぎないと言うのよ。だって、この世の初めには、神も道徳も決まった目的もなく、人はそれぞれ、生きようとする意志のままに生きてたんですって。
 初めてこの考えを聞いたときには、これまで喉につかえていた溜飲が下りて、生き返ったように新鮮な気持ちになった。生きようとする強い意志の力さえあれば何でもできそうな万能感も湧いてきた。自分も生きる意志を強く持って生きて行こうと心から思ったわ。
 でもね、よくよく考えると、ニーチェの言う世界には神も道徳も目的もないんでしょう? ま、神の在・不在はどちらでもいいけど、道徳や倫理がないのは困ることに気がついたの。道徳や倫理のない世界に生きて行くのは、弱肉強食の世界に戻ることと何も変わらないじゃないの。
 それなら、道徳の代わりになるものが何かあるんだろうか? そうか、知恵じゃないかって思ったわ。知恵があれば、まだまだ何とかなるかもしれない。だが、ニーチェは知恵も小賢しいとして排除してしまう。
 そんな孤立無援で目的もない、自分の力にしか頼れない、しかも楽しいのかうれしいのかもよくわからない世界、というのも、力が弱くなれば生きていくのもままならないだろうし、その上、守ってくれる共同体もないような(だって、倫理や掟がないんだから、人間がまとまることもできないでしょう)、そんな荒凉たる世界に生きるのは、残念だけれど、私には恐ろしくてとてもできないと思ったの。そしたら、野上さんの相互性の話がしみじみと思い出されたわ。やはり人間には他者を思いやる心があってほしいと」
「そういう心は、もともと人間にあるものじゃないかな。最近の進化論でも、哺乳類には群れの生活がうまく行くようなルールがあるようだと言ってますし。それから、ちょっと時代は遡りますけど、おれの尊敬する、優れた思想家ルソーも、『人間不平等起源論』の中でこんなふうに言ってるんです。