京都七景【第十八章】後編
里都子さんは自信だけでなく目標をも見失っていた。自信喪失は優男の真実の姿を知ったせいである。では、目標は、まだ達成もせずに目の前にあるというのに、なぜ見失ったのだろうか?
その理由は、おそらく、母が亡くなり、さらに優男までが去ったからである。それはつまり、こういうことではないか。里都子さんが目標を達成した暁に、無条件に喜び合えるのはこの二人しかいないということだ。母親は、自分の代わりに、祖父との約束を果たしてくれた娘に、無上の喜びと感謝を表してくれるだろう。優男は、多少自分の努力を誇りながらも、ここまで優男を信じて援助してくれた里都子さんと、受け継ぐ身分や資産とに、やはり無上の喜びと感謝を示してくれるだろう。
里都子さんとて、やはり自分の努力を認めて無条件に褒め称えてくれる人たちがほしいのだ。しかも里都子さんの目標は、自分自身のためのものではない。だから、そこにはきっと複雑な葛藤もあったに違いない。それも含めて、最も身近で認めてくれるのは、やはりこの母親と優男しかいなかった。
では、祖父は駄目なのか? 一言で言おう。駄目なのだ。もちろん、祖父だって、里津子さんと優男の努力を、やはり無上の喜びと感謝で受け止めてくれるだろう。だが、その喜びと感謝は少し性格の違ったものである。祖父の喜びや感謝は、あくまで母親のピンチヒッターへの感謝と喜びに過ぎない。あくまで二番手扱いなのである。
だから、今までも、これからも機械的な対応に終始する可能性がある。まるで故障した部品を新しいものにかえればそれで平気でいられるように。そのことは、里都子さんや優男に対するこれまでの態度でもわかる。駄目なら、次のものに代えればいい。
優男が、その典型的な例だが、残念ながら里都子さんに対してだって、そう思っている節がある。許嫁1が駄目なら許嫁2にすればいい。里都子さんの気持ちは後から追いつけばいいのだ。
古川医師の行動には、そんな考えが見え隠れしていると、おれは思う。古川医師の最も大事なものは孫娘の行く末ではない。全くそうでないとは言い切れないが、二番目以下であることは間違いない。どうしようと、やはり、家業の存続こそ唯一無二なのだ。
おそらく、今回の事件で、里都子さんもそのことを再認識したのだと思う。私は祖父の最強の持ち駒に過ぎない。私には母が持っていた自由もない。後は、祖父が決めた人と結婚し、祖父が決めた通りに古川家の家系を絶やさぬこと。そんなことのためにだけ、自分は生まれて来たのだろうか? 里都子さんは、そんな深い懐疑の中にあるように、おれには思えた。
もしその推測が事実に近いとすれば、里都子さんも、おれが昔、経験したように、その懐疑の中で堂々巡りを繰り返し、出口も見えずにきっと疲れ果ててしまうに違いない。幸い、おれの場合は文学が救ってくれた。里都子さんに救ってくれるものはあるだろうか? それはかなり疑わしいことのように思われた。
おれは、自分が懐疑や葛藤を抱えたとき、具体的にはどうやって救われたのかを思い浮かべた。それは葛藤や懐疑に名称をつけることだった。おれは、「人間は悲しい」という名称をつけ、自分や周囲の人々を客観的に見られるようになってから、ようやく心が落ち着いた。
ならば、里都子さんを救い出す実効的手段など何一つないおれでも、里都子さんの話を聞き続ければ、その心にある孤独な思いが、いずれ一連の言葉となって、里都子さんの口から現れ出るきっかけくらいには、なれるのではないか。そうして、それらの言葉が、たとえ里都子さんの立場を変えてくれることはなくても、心は和らげてくれるはずだ。
そう確信すると、おれは、平日の午後は必ず真如堂に寄って帰ることにした。幸い(と言っていいかどうか、わからないが)、里都子さんは、いつも三重塔前の椅子に腰かけ、本を読んでいる風だった。
それからは、里都子さんと雑談する平日の昼下がりが、ほぼ毎日続くようになった。話の中身は、硬軟、深浅、軽重の度合いに応じて、種々雑多な事柄に変化した。しかし、話の後ろに見え隠れするのは、いつも決まって里都子さんの、懐疑や葛藤に関することだった。今、ここで、その一々を取り上げていては、話が複雑になるし、時間がいくらあっても足りなくなる。概略だけ知ってもらえれば十分なので、三項目にまとめておく。
では、里都子さんと話した三つのこととは、
一つ。里都子さんは目標を見失って、もう何もしたくなくなっている。母と優男が去って初めて、この二人がいたから頑張れたのだ、そこに自分の存在理由はあったのだ、と自覚した今、自分で選んだはずの薬学さえ、単なる重荷と化してしまった。
さらに、他に何かをやり遂げようとする意欲までが全くなくなっている。かといって、祖父の操り人形になるのは、金輪際、いや。ああ、誰も知らない遠いどこかに、消えてしまいたい、と言っている。
二つ。早世してしまった母に、とにかく何らかの形で一度会い、今どんな気持ちでいるのか、里都子さんのことにどう責任を取ってくれるのか、問い糺し、どんな答えが返って来ようと、思い切り恨み言を言ってやりたい。きっと、気持ちがすっきりすると思うから、と述べている。
三つ。自分が何をしたいのか全くわからない。野上さんはどうやって自分がやりたいことを掘り当てたのか? もちろん、これまでの経緯で、文学を志していることはわかっているが、特にフランス文学を選んだ理由は何か、参考にしたいから聞かせて欲しい、と問うている。
と、まあ、こんな形にまとめられるか。
一番終わりの、おれに関する質問は、あまり深刻とは思えないから、ひとまず除外しておくよ。ただし、見方によっては何かの役に立つかも知れない、いや、後に、その通り役立ったことだけは、先にお知らせしておこう。
問題は、里都子さんが、目標を失い、やる気を失くし、中身は異なるにせよ、母親を恨み、祖父に怒り、したいことは何も思いつかない、という非常に困難な状態にあることだった。これでは、里都子さんが自分の困難な状況に今すぐ名前をつけて、それを客観的に見直すことなどできる段階でないのは明らかだった。
おれは、再び自分の経験に照らして、他の方法を探ってみた。すると、二つのことに思い至った。
① 自分の力で解決のつかないことは、とりあえず保留にして一時的に忘れてしまうこと。
しばらく時間が過ぎるのを待って、気持ちが立ち直ったときに考え直せばいい。簡単に言えば、忘却に身を委ねよ、明日は明日の風が吹く、なのだ。
② では、気持ちを立ち直らせるにはどうしたらいいか?
まずは、心の内側ばかりを見ないで、外界にも目を向けること。だが、心は機械装置ではないから、そう簡単に方向を変えることはできない。できないからこそ、堂々巡りを繰り返すわけだが。
ならば、その堂々巡りを断ち切る方法はあるのか?
作品名:京都七景【第十八章】後編 作家名:折口学