メイド女房アフリカ滞在記
<4.引っ越し>
六月半ばにようやくフラットに引っ越すことになる。通りの名前をとってキャメロン・コートなる名称がついている。午後二時にはホテルをチェックアウトし、会社の現地社員のサグラン氏に手伝ってもらって荷物を運び入れる。夜までかかってどうにか荷物を入れ、荷解きの続きは明日に回し、食品のパックを開けとりあえずレトルトのご飯とみそ汁で夕食にする。
翌日は一日荷解きが続く。サグラン氏も来て片づけを手伝ってくれ、どうにか夜には住める状態にはなった。その間食事はインスタントやレトルトで済ませた。
フラットは中庭にプールとテニスコートを挟んで四棟建っている。この辺りの外国人居住区ではよくある作りらしい。部屋は広めの3LDKという感じか。広い寝室にはキングサイズのベッドと浴室、トイレ、洗面所がある。廊下を隔てた向かい側のゲスト用の部屋にはシングルベッドと引き出しの付いた机が備え付けられてビジネスホテルのようなつくりだ。クローゼットや天袋のような戸棚もあるので当座の美琴の荷物置き場に使うことにし、机には日本から持ち込んだ何冊かの本を並べ、ワープロを置いた。
隣の部屋はテレビが置ける棚とテーブル、ソファがあり、正弘が荷物を置いてテレビを見る部屋として使うことになる。正弘はリビングやダイニングにはテレビを置きたくないようだ。食事中はテレビを見ない主義なのだという。
その時は美琴としてはどうせ英語が聞き取れないからテレビを見たいとも思わなかったし、かつてホームステイしたことのあるオーストラリアのホストファミリー宅もテレビ室は別にあったことを思い出し納得していたのだが、後になってせめてテレビでもあれば食事中の気まずい空気を紛らわす役には立ったであろうに、と思ったのだった。
家具も観葉植物も家電も例のインド人が置いていったので内装はすべて整っておりまるでホテルのようだ。そこへ正弘は持参した絵画の額を飾る。リビングには尾形光琳の鶴のレプリカを、ダイニングには山下清のレプリカ。さらに源右衛門の大きな皿と中ぐらいの皿を棚に飾り、リビングのガラステーブルにはレースのテーブルクロス。お祝いにもらったという江戸切子のグラスセットやらノリタケの大皿や、源右衛門のランチョンマットまで彼チョイスのテーブルウエアが続々と出てくる。荷物が大量だったわけだ。自分たちのごはん茶碗も源右衛門だ。正弘が渡航後「これで源右衛門あたりのいい茶碗を買ってあげて」と母親に金を渡し、美琴は義母と一緒にデパートに赴き、茶碗と湯のみを買ってもらった。美琴は源右衛門が好きなわけでもないが、選択肢は他になかった。
「生活を楽しまなきゃ」
絵や皿を飾り、棚に食器を並べ、後ろに下がって配置を見ながら正弘は言うのだった。
朝はおかゆがいい、と正弘が言っていたので、美琴は職場の人たちからのお祝いにおかゆが炊ける炊飯器をリクエストした。料理は辻クッキングで最低の三か月コースで申し込んだのだが、渡航日の都合で二か月しか受講できなかった。それなりにマスターはしたが講習は面白かったし友達もできたので内心もっと続けたかった。受講料の三分の一を捨てたのは返す返すも惜しいと思っている。料理初心者の美琴としてはレパートリーがないため毎日テキストを見ながら片っ端からトライしていったので、夕食の料理がかぶることがなかった。「ろくに包丁を持ったことがなかったわりには今のところこれといった失敗はなかったね」と後に正弘は言った。
メイドには朝八時半から十時半に朝食の片づけや洗濯、アイロンかけ、掃除などをしてもらい、四時過ぎから夕食の支度と片付け、台所の掃除をしてもらう。
美琴は人を使うような経験がなかったため、初めはかなり戸惑ったが、エリザベスは勝手知ったる家なので、こちらで指示しなくても自発的に洗濯機を回し掃除機をかけなどしてくれるので助かっていた。正直美琴にはこの部屋備え付けの洗濯機も乾燥機も掃除機も使い方がわからない。食事の支度に関しては美琴自身がやらなければならないため、せいぜい米を研いでくれ、ニンニクの皮をむいてくれ、細かく切ってくれ、と頼む程度だった。彼女は本当は料理好きらしく、もっと料理を作ったりしたかったらしいのだが、いかんせん美琴の能力では料理の指示を出すことはもとより、英語で指示する自体ハードルが高かったのだ。米を研ぐ、ということを伝えるのさえ意外と難しい。彼女はウォッシュ・ライス、と言うが、洗うと研ぐは微妙に違う。やって見せたがあまり伝わらなかった。
これも後で知ったところ、他の人のメイドは食事そのものをも作ってくれたりしたらしい。ただ、友人に聞いた話では、朝、その日の一日分の米を炊く仕事をメイドに任せていたら、二合でいいというのに勝手に五合炊き、余剰を持参のタッパーに詰めて自宅に持って帰っていた、ということもあったという。「米の減り方がおかしいと思ったのよ」と友人は語っていた。それがばれて彼女がメイドを叱ったのは言うまでもない。また、会社のゲストハウスの雇人が酒をくすねる件で油性マジックで瓶に印をつけていると勝手に書き換えるので、瓶を逆さにして印をつけるようにして証拠を残し雇人に突きつけた、などという話も聞いた。人を雇うというのもこちらではなかなかに油断がならないらしい。
幸いエリザベスはそういうところはなく、そもそも綾川家では正弘が「朝はおかゆ」と宣言していたので、ごまかしてタッパーに入れるようなご飯もなかった。
メイドが来るようになって二日目にしていきなり朝七時半から断水になった。夕方五時過ぎるまで水が一切でなくなり、洗濯はもちろん無理だがなんといってもトイレが流せなくなる。どうやらフラットの屋上の貯水タンクに水をあげるポンプが故障したらしく、外にある散水用の直圧でくる水道からは水が汲めるようで、メイドがバケツに水を汲んできてトイレを流してくれていた。
その夜、社長宅で改めて歓迎会が行われた。フラットが断水で料理ができない状態だったので助かった。社長宅ではラガ支社社員の面々と出張者二名も参加し、大人数となった。社長宅専属の料理人中島さんが様々な前菜やらラグーンでとれた鯛の刺身の船盛りまで腕を振るってくれた。鯛の蕪蒸し、白身魚とネギのゼリー寄せ、魚の味噌焼き、白身魚の天ぷらに紅葉おろしとポン酢を和えたもの、烏賊と胡瓜、昆布の酢の物、海老の梅肉和え、鯖寿司、豆腐とさやいんげんの吸い物などなど。
豪勢な和食が食べられ美琴はかなり満足した。宴が盛り上がり、ここにはカラオケセットがあったため皆でカラオケ大会になる。正弘は得意げに演歌などを歌っていた。美琴は歌謡曲に興味がなく歌をあまり知らないので遠慮したのだが、周囲の人にあれはどう、これはどう、と本を見せられ、以前友人が歌っていた「いちご白書をもう一度」をリクエストしてみた。ちょっとキーが高かったので声がでず、誰かがキーを操作してくれてとりあえず歌い終える。
これも正弘の不満の種だったことを後に知る美琴だが、この時の場の雰囲気からいってみんな酔っぱらって歌が下手なのもご一興、和気藹々としか思えなかった。
作品名:メイド女房アフリカ滞在記 作家名:ススキノ レイ