メイド女房アフリカ滞在記
まるでダッチワイフか便器扱いではないか。人を一体なんだと思っているのだろう。ふざけるのもいい加減にしろ、といいたいところだったが状況がよくわからないうちに終わって何も言えなかった。普通のペニスを持つ男だったら言ったかもしれないが、なんとなく指摘しずらかったのだ。いや、でも短小だろうと早漏だろうと射精できる以上不能ではないし、障害でもない。相手を思いやることもできない精神のほうが病気なのだ、と後から美琴は思った。
射精後バスルームに駆け込みトイレを流す音が聞こえる。ティッシュを使う気配もなかったし、どうもコンドームをトイレに流したようだ。美琴はただでさえ排水の悪そうなこんなホテルで大丈夫なのだろうか、とそっちが気になってしまった。
昨夜あんなことをした埋め合わせか、翌日午前中正弘は美琴を郊外へドライブに連れ出し、何かと気を遣う風情ではあった。
昼にはホテルに戻りプールサイドで軽食を取り、午後はひたすら部屋でぼーっとしていた。男と女が密室で暇を持て余しているというのに、スキンシップは一切ない。食器オタクの正弘は「ヨーロッパ陶磁器の旅」を読みふけっている。
性欲より食欲、女より陶磁器が好きなんだね、と美琴はざらついた気分で夫を眺め、だったらいっそ浮気でもしてやろうか、とすら思う。もっとも相手を探しようもないけれど。
美琴自身は性的快楽を追求するほうではない。あんなもの痛いだけだ、と思っている。去年別れた元恋人とは、諸事情により肉体関係さえ持っていなかった。空閨には慣れていたが、正式に結婚し同衾していながらセックスレスというのはいくらなんでも変だろう。昨夜のことを考えると男にしか興味がないとか、性的な欲求がないわけでもないらしい。自身の男性器へのコンプレックスが性行為を遠ざけているのかとも思ったが、本人がそういうことをきちんと話さないし、というか、話題にできる雰囲気ですらないので、どう対処していいかがわからない。
美琴が最後の一線を越えぬまま事情により別れた元恋人にはもう未練も何もなかった。いつまでも前のガールフレンドときっちり切れず、埒のあかない彼に業をにやし、美琴は別れを宣言し、婚活に踏み切ったのだ。いっそ外国にでも行って物理的距離をとり新たな人生を歩むつもりだった。体育会系だった正弘は背は低いものの体力はありそうだし、美琴はこの男とそのうちに子供でもできて、子育てに翻弄されていけばいい、とすら思っていたのだが、その根底がくずれた今となってはなすすべがない。ここは日本ではないのだから、ふらっと実家に帰るわけにはいかないのだ。持参した文庫本を読みながら美琴はついついページを繰る手を止めて考えこんでしまう。
夕方正弘は「海がきれいだから写真を撮ったらいい」と美琴を連れ出した。気を使ってくれたらしい。
なるほど夕日に照り映えるギニア湾は確かに荘厳で、美琴は砕ける波に心洗われるようだった。海の匂いのほとんどしない風が吹き付け美琴の髪を躍らせる。
海の色は沈んだものを捉えて離さぬ魔物の住処の如く暗く深く、熱帯のサンゴ礁の明るさはない。波は海岸を侵食し続け、波打ち際の少し先は断崖絶壁で海は底知れぬ深さになっており、砂浜は年々削り取られているそうだ。うっかり落ちればまず助からないだろう。したがってビーチがあってもその危険な海で泳ぐものはいない。かつてはここから奴隷たちがアメリカ大陸に送り出されていたという。海の底に怨念が渦巻いていそうだ。
海から離れた砂浜では海の家のようなよしず張りの掘っ立て小屋やビニールテントの露店がひしめき、コーラやスープやパンなどが、安っぽくかつあまり衛生的には見えないプラスチックの食器で提供され賑わっている。
角倉商事ラガ支社の社屋はここから内陸部に入ったところにあるらしい。この辺りは大きなラグーンを囲む島や半島の一つで、日本大使館や会社がある島と住宅地のある島が橋でつながっている。橋や道にはかつてこの国がイギリス領だったことを思わせる、キングスブリッジだのクイーンズロードだのといった名称がつけられている。
その晩、ラガ支社の社長宅を訪問し、他の社員も集まり食事会となる。専任の料理人がいるので、もろきゅうとオニオンスライス、卵をまいたスモークサーモンの前菜、鶏と里芋といんげんの煮物、海老と白身魚の天ぷら、クロッカーという白身魚のホイル焼き、卵豆腐、タコと蓮根、蛇腹胡瓜の酢の物、松茸ご飯になめこの味噌汁といった本格的な日本料理が味わえた。
社長宅には大人数が集まれるよう、広い部屋に大きなテーブルが備え付けられていた。現在角倉商事ラガ支社で家族を帯同しているものはなく、女性は美琴だけだった。歓迎はされているが自分ひとり部外者であり、言葉を交わす女性もおらず、トイレにもいきにくく気疲れする。新婚さんいいですね、お熱いですね、などと言われるが、とんでもない。こんな倦怠期みたいな新婚がどこにいるというのだろう。
正弘は普段以上に酒を飲み、ウイスキーまで何杯か飲んだためかなり酔っていた。どうにかホテルに戻ると爆睡していた。ちなみにここでは酔っ払い運転など当たり前のようにやっている。まれに取り締まる警官がいたとしても賄賂を渡せばなんとかなってしまう。
次の日は月曜でホテルで朝食後、正弘は出勤した。こちらでは昼休みが長く、いったん帰宅するのが常である。美琴は五時まで会社にいてくれればいいのに、と思う。昼食をとった後昼寝し、午後の勤務のため再度出勤。この日十七時にはフラットの鍵を受け渡してもらえるはずだったのだが、前住人のインド人が留守で鍵が手に入らなかった。職場の人と夕食を共にし、結局ホテル四泊目である。
ようやく翌日午前中に鍵を渡してもらえることになり、約束の時間に夫婦でフラットを訪れた。昔ながらのエレベーターのない団地のような作りで、階段をあがると両側にドアが向かい合う形である。目指す部屋は三階だ。インド人は片付けの真っ最中だが、手に取っていた木の蔓で編んだ鳥の巣のようなカゴを示し、「これは娘がつくった卵入れなんだよ」などとどうでもいいようなおしゃべりをしてくる。午後三時にはこちらの荷物を入れていいという約束だが、大丈夫なのだろうか。
今までそのインド人が雇っていたメイドのエリザベスを紹介された。このフラットに住み込みで働きながら昼間の時間にタイプ学校に通っているという十九歳の娘だ。インド人に相当厳しく躾けられていたようできちんと仕事をしそうだし、この部屋の勝手もわかっており、新たに探す手間も省けるので、同じ給料で引き続き雇うことにした。失業しないですんだのでエリザベスは喜んでいた。
部屋はそのインド人の趣味で改装されており、白い壁のリビングとダイニングの境にはインド風な装飾のついた白い柱があえて取り付けてあったりする。なんでも改装費とそろえた家具一切を買い取れと言っており、会社とインド人で値段の交渉などがあったのようだ。相当額を吹っ掛けられたらしいがこちらもいつまでも引っ張られても困るので、やむなく二百万近くうちが自腹を切ることで手を打ったらしい。日本だったら賃貸はむしろ原状復帰しなければならないと思うが。
作品名:メイド女房アフリカ滞在記 作家名:ススキノ レイ