メイド女房アフリカ滞在記
ホテルに戻ってベッドに入ると正弘はすぐに眠ってしまう。美琴は隣に人がいてガサガサする状態にようやく慣れて、なんとか眠れるようになってきた。正弘と美琴の話が合うのは食べる時だけだ。この夫婦は性欲ではなく食欲だけでどうにかつながっているに過ぎない。逆に、食べるしかないんだと美琴は思いつつ眠りに落ちた。
<3.アフリカへ>
翌朝空港へ向かい、預けた荷物を取りにいくが、場所がわかりにくく、焦った正弘は機嫌が悪い。
そもそも美琴が朝起こしたのに起きなかった本人が悪い、とわかっているのが余計腹立たしく気に食わなかったのだろうか。まるで子供じゃないか。荷物が重いのだって正弘が大量に持ち込むからであり、とばっちりで引き回されて疲れている嫁に謝罪も感謝もなく責めるだけの夫に、美琴は一言釘をさす。ようやくぎこちなくも美琴の機嫌を取ろうとしてきたので、全く見込みがないわけでもないのだろう、と少し期待する。
エールフランスは離陸し、ひたすら南を目指す。機内食のシャンパンに酔い、正弘は眠り続け、美琴は考え続ける。この時点で、とにかく、やるだけのことはやってみて、できるだけ優しくしてあげて、それでだめならそれまでだろう、と美琴は思っていた。今まで誰にも教えてもらえず、学ぶ機会もなかったなら、それはそれで気の毒なのだ、と思うことにしよう。ひどく不器用な人なんだと思おう。
ラガ空港に到着し飛行機を降りると一気に蒸し暑い空気が押し寄せる。日本の夏とは少し異なる、パワフルで退廃的で雑多なものが混じりあう熱帯の国の空気だ。
イミグレーションではカーキ色の制服を着たサイのようにがっちりとした女性係員があれこれ話してきてなかなか入国スタンプを押そうとしない。正弘が強気でどやし、やっと押させる。美琴は英語が全くわかりません、という風に徹底無視することでしぶしぶスタンプを押してもらえた。
後で聞いたところ、スタンプ欲しけりゃ賄賂をよこせ、と要求していたらしい。こういう国なのだ、ここは。
正弘の荷物が多すぎるのもあるが、税関の手続きもややこしい。今度は向こうからサルのような顔つきの小柄な男が手を振りながらこちらに挨拶してきた。会社で雇った税関屋というものだそうだ。
彼は金を握りしめ係員と交渉を始める。この国では賄賂がないと荷物が税関をなかなか通れないらしい。税関屋が何らかの相場に応じて賄賂の値段交渉をするのである。
おかげで美琴たちは長い行列から抜けでることができた。
不正を許せない、金がない、折り合いがつかない、人々は延々と待たされることになる。税関屋を雇うこと自体が不正に加担しているのだが、時間を買うためには馬鹿々々しくとも郷に入っては郷に従え、ということなのだろうか。
建物の外に出るとさらなる蒸し暑さと喧騒が津波のように一気に押し寄せる。湿度の高い風が香辛料やら草いきれやら腐敗臭のような匂いを運んでくる。
空港周辺ではポーターが仕事の取り合いをしていたり、片足の若者が物乞いをしている。路上では車めがけて人々が殺到し、ありとあらゆるものを売りつけている。新聞、ジュース、お菓子、工具、おもちゃ、バッテリー、その他諸々。インドに行った時の印象と似ている、と美琴は思った。
正弘はここで水を得た魚のように張り切りだしたのだが、残念なことに角倉商事が社宅に借り上げていたフラットの、彼らが住むはずだった部屋の前住人がまだ退去しておらず、部屋が空かないという。あと三日間はホテル暮らしを余儀なくされるとのこと。
やむなく大量の荷物を持ってラガ市内の中心部にあるメデリアホテルに落ち着く。部屋中が荷物で一杯になる。
会社の人がホテルに訪ねてきて、挨拶をかわし、詳しい事情説明を受ける。正弘は会社の人相手だとやけに楽しそうに話している。
美琴も本来は社交的なタイプなのと、おしゃべりの欲求が募っていたのとで、初対面の人とでも話ははずむ。
こんなにも楽しそうに喋っている自分たちが二人になるとどうしてあれほどぎこちなくなるのか。これでは他人様にはまるでいかにも仲の良い夫婦に見えてしまうではないか。仮面夫婦もいい所だ。この人は私といる時が一番つまらなさそうじゃないか、と美琴はつくづく思う。どうして一緒にいるんだろう、他の男性がみんないい人に見えてくる。
その夜は飲み過ぎて九時半頃に寝てしまった。朝方正弘が少し美琴に絡まってきたが、それだけ。
部屋の電話は壊れている。シャワーの圧は弱く、風呂の排水はとろく、エレベーターは二基のうち一基がいつも故障中。これでもそこそこの高級ホテルなのだ。
六月十一日、アフリカ大陸での初めての朝を迎える。午前中に車で角倉商事の人たちに挨拶をして回る。左ハンドルの日本車で走るのだが、正弘はアフリカでの運転のほうが慣れているようだった。
美琴は以前正弘に「アフリカではみんな髭生やす決まりなんだよ」と言われた時、イスラム系の国もあるからそういうものなのか、と納得していたのだが、一通り会社の人たちと会ったところ、角倉商事ラガ支社で口ひげを生やしているのは正弘だけだった。もしかして、この男は社内で一番の変わり者なのでは、という気がしてきた。
外を車で回ると目に付くのが高い塀である。レストランも住居も、有刺鉄線や砕いたガラス片が突き出た高い塀に囲まれ、ゲートボーイに頼んでゲートを開けてもらう仕組みである。それだけこの国は治安が悪い。
昼に入ったインド料理レストランはおいしかったが、食事の時以外ほぼ口をきかずお互い関わらず、の一線を越えない。
レストランからの帰り道、正弘は道端の屋台の前で車を止めて窓を開け、日本では吸わなかった煙草を、売り子の少年から一ダース二百五十リアを二百十リアに値切って買う。この時のレートで一リアは約五円である。一箱百円くらいなら日本よりはるかに安い。
夜はホテルのプールサイドテラスのレストランでゼリア料理を食べる。ゆでたヤム芋をペースト状につき、ラップで包んで頭の尖った肉まんのような形に成型し蒸しあげたものが主食で、肉や細かく刻んだオクラなどの入った辛いスープをつけて食べる。味はおいしいが辛すぎるうえ量が多く食べ過ぎである。屋外のレストランでは足元をオレンジ色の三十センチ位ある大きなトカゲがちょろちょろと走り回っていた。食事が終わり席を立とうとすると折しも突風が吹き付け、あっという間にスコールに見舞われた。走って部屋に戻ったがけっこう濡れた。
その夜、珍しく正弘が美琴に求めてきた。といっても、それは全く正弘の都合で、寝ている美琴から下着をはぎ取り、前戯もなにもなくただインサートしてきただけだ。サイズの関係で美琴が全く濡れていなくても挿入でき、痛みもなかったとはいえ、美琴は睡眠を妨害され半分寝ていてわけがわからないままに犯されたようなものだった。
作品名:メイド女房アフリカ滞在記 作家名:ススキノ レイ