メイド女房アフリカ滞在記
そんなやりとりを目の前で見せられて、同行の日本人女性の方が恐縮し、リアならいくらだ?と聞く。四百だ、とオバサンは答える。正弘はないと主張するが、彼女は自分は今五百持ってるから払います、と言う。実はリアの持ち出しは二百リアまでで、それ以上は没収される。彼女は一応何かのために持っておいた方がいい、と言われて持っていたそうだ。これがその「何か」だ、ということで、彼女が四百リアを出して事は丸く収まった。
美琴はたった十ドルをケチる夫にあきれたが、確かに十ドルか千円を払うよりは闇両替した四百リアのほうが安上がりだし、ゼリアを出るとき没収され残りも紙切れになるので今使うしかない。
ラウンジで、正弘は出張者のおじさんたちと喋り、美琴は旅行者の女性と話して出発までの時間を楽しく過ごせたのは幸いだった。
二十二時十五分、ついにサベナ五二一便がテイクオフ。ラガのまばらな灯りがはるか足元に遠ざかる。さらば、ラガの日々。映画のラストシーンのような、エルマーと竜の最後のような、脱出成功の高揚感。万々歳である。
これでやっと離婚のカウントダウンがスタートした。
飛行機は食料の積み込みを行うため一時間くらい隣国デナンのクトゥ空港に留まった。件のケーキのおいしいシェラトンホテルの料理らしい。美琴は眠ってしまいいつ離陸したのかわからなかった。
<25.ブリュッセルにてトランスファー>
翌十一月二十日の朝七時十五分にベルギーのブリュッセルに到着した。なんというか先進国の匂いがする。十一月のヨーロッパはさすがに寒いがそれがむしろ心地よい。乗り換えのためシャトルバスで一旦サベナホテルへ向かった。ホテルに着くと案内の人が
「昼食が付きます」とランチチケットを渡そうとしたのだが、正弘は
「え?朝食は?」とツッこんだ。
「機内で出たでしょう?」
「コーヒーしか出なかったよ!」
「あら、そうですか。では朝食券も」
美琴はこれを聞いていてまた他人のふりをしたくなった。はあ、うまいことごねるものだ。機内食は出たけど、ボクはコーヒーしか飲まなかったもんね、で押し通すのか。
とりあえずホテルの小ぎれいな部屋に落ち着く。清潔な水と窓から見える晩秋の風景だけでも感激だった。少し休んでからおなかは空いていないもののごねてゲットした朝食を食べに行く。外は木枯らしが吹いているが、この寒さが新鮮だ。
部屋に戻ると正弘は「ぼくちん、ねんねする」とベッドにもぐりこんだ。
昼食はシーフードのビュッフェでムール貝やら真っ赤な塩ゆでザリガニなどおいしそうなものが並んでいる。しかしおなかが一杯なのと時間がないのとであまり食べられるものではなかったのが残念だった。(余計な朝食など食べるからだ)
空港に戻り出発までの時間免税店を見て回る。正弘が何か買ってくれるというので美琴はエルメスのスカーフを一枚買ってもらった。もたもた選んでいる暇もないので、新作だ、と店員が出してきたものに決める。
「アクセサリーとかはいいの?」
「私はいらないから妹さんに買ってあげなさいよ」
ここの免税店は商売っ気がなく店員も少ないし時間がかかって面倒くさい。とりあえずお土産用にゴディバのチョコレートをいくつか買ってもらう。
本当は自分一人で自分のクレジットカードで自由に買い物したかった美琴だが、最後だから何か買ってくれようとしたのかもしれない正弘がくっついてくるのでままならず、そのうち搭乗時間が迫ってきた。
リミット間際に正弘は母と妹にベルギーレースのペンダントヘッドを求め、「君のお母さんにもあったほうがいいでしょ。持っておいでよ」と急遽追加した。ありがたく頂いておいたが、後々美琴の母は嫌がって使うことはなかった。
そんなことをしていたので離陸ギリギリの時間に駆け込むことになった。
十四時半発の成田行サベナのビジネスはボーイング七四七の上の部分、コックピットのすぐ後ろの席だった。美琴はこんな場所に座ったのは初めてだった。でもラガ・東京間のビジネスクラスで往復三千五百ドル、片道でも二千ドルちょっとだったのだから、さほど高くはないのだろう。まあ、このバブル残滓時代、どのみち社員の休暇の航空機代は会社の経費だったようだが。
ベルギーと日本の時差は六時間。そろそろ体を日本時間に合わせないといけないのだが、到着までに食事が三回もある。夕食は日本食だと期待したが今ひとつだった。日本時間では二十三時ごろである。ひと眠りして日本時間深夜の二時ごろ軽食がでる。長時間フライトあるあるだが、時間感覚と空腹具合、睡眠時間がかみ合わずわけがわからなくなる。
その後映画が上映され、ついつい見てしまった。「シティ・スリッカーズ?」西部の宝探しもの。正弘は映画の途中から「ぼくちんポンポンいっぱい」とベルトを緩めて寝ていた。なにしろその映画は妻と熱烈にセックスする主人公や離婚でショックを受ける友人などがでてくるのだから見ていられないだろう。
さらに日本時間朝七時頃朝食がでた。それこそポンポンいっぱいだ。窓の外は朝日が眩しい。ランディングまであと二十分、と迫ったところで美琴はようやく切り出す。
「成田着いたら時間がないから今言っとく。半年間お世話になりました。ありがとう」
美琴から握手をしたが、夫は辛うじて握りかえすに留める。すぐ引っ込めようとするので、美琴が左手で包み込むように触れ
「楽しいことも少しはあったでしょう?」
彼を見つめて言った。
正弘も少しは感極まった表情。
美琴も雰囲気で少し涙ぐんだ。
「元気でね」言葉にならなくなるので話すのはやめた。
しばらくして彼が言う。飛行機の音でよく聞こえない。
「楽しいこと、あった?」辛うじて聞き取れた。
「うん、いろんなところへ連れて行ってもらったし、楽しかったよ」
「そう」
機体が前傾しいよいよランディング態勢にはいる。
美琴はエルディオさんに散々言われていたことを思い出す。
「あのさ、言いにくいんだけど、私もこれから仕事見つかるまでしばらくかかるし、引っ越しも考えてるし、貯金もいくらかあるけど当座の生活を少し助けてもらえないかな」
「うん」と正弘は頷き
「五か月とちょっと、だよね」
「そうね」
「今までのところに住まないの?」
「まあ、近所の手前、仕事も前の所が雇ってくれるかどうかわからないし」
「実家には帰らないの?」
「あんな田舎にいったら仕事ないから」
機体は旋回し地上に近づく。窓からは地味な絨毯のような冬枯れた褐色の田畑が見える。やがてナスカの地上絵のように成田の滑走路が見えてくる。
機体がどんどん高度を下げ、ついに滑走路にバウンドし翼のフラップがあげられる。Gがかかり、次第にスピードを落とし無事着陸完了。
シートベルト着用のランプが消え、人々は荷物を取り出し通路に向かう。成田空港に足を踏み入れるとどこもきれいで表示が全部日本語だ、といったことだけでも感動してしまう。美琴は思い切り息を吸いこむ。
「うん、日本の匂いだ」
<26.日本到着、それから>
作品名:メイド女房アフリカ滞在記 作家名:ススキノ レイ