メイド女房アフリカ滞在記
「それで、明日の午後、雑貨とか買っておきたいからお金千から千五百リアくらいもらえます?」と美琴が言うと
「何に使うの?」
「え、だってほら、洗剤とかシャンプーとか少し買っておいた方がいいでしょう」
「メイドに使われちゃうからいいよ」
「それと明日のおかず。二日分だけど」
「在庫がいっぱいあるんだからそれでいいよ。三週間いないんだから冷蔵庫の中からにしておかないと」
「そうよ、だから何もないわよ。明日の分も」
「冷凍庫は何入ってんの」
「肉少しと保存食」
「それでいいよ」
ということで彼がびた一文寄越さないことがわかった。普通お土産でも買いなさい、とか言いませんかね。
荷物の件はどうやら自分たちと同じ飛行機に乗せると安くつく、というようなことがあるらしく、経理の方からそうするよう言われたのだろう。
これで、帰国後美琴が例えば親に説得されてなんとかなるかも、という可能性が完全に断たれ、正弘は再び何も考えたくない状態になって眠りに逃げ込んでしまった。
夜はテニスの後経理の人だかエルディオさんのところだかへ行き、十一時ごろ帰宅して三時ごろまでまた漫画を読んでいた。
脱出まであと二日。木曜日。
この日は婦人会のバザーだ。出品している自分たちもお互いの作品を買ってお金を使うことになっている。美琴は私物の家電などを友人に買い取ってもらって得た五千リアを使って買い物をした。亭主が生活費の千五百リアさえケチるので、美琴はここではものを売って、カジノで稼いだ金をプールして、どうにかリアを手に入れていた。
ちなみにこの国では交通事故に会っても五千リア持っていないと病院に入れてくれないという。そう教えた友人に「だったら、私はケチ亭主のせいで見殺しにされるね」と美琴はジョークを言ったがシャレにならないかもしれない。
夜、エルディオさんから航空券のことで呼び出される。美琴が電話を取り次いだのだが、正弘はエルディオさんのところへ行くことを美琴に隠すように、あえて別の人に「これから本返しに行きます」と電話してからその人のところへ行く、と言って家を出た。
エルディオさんにしてみれば、夫婦それぞれがお互いに内緒で彼女に会っていて、彼女は双方の話を聞いて調停員のようなことになっている。
結局正弘は誰かに本を返し、エルディオさんのところにいってから、また別の誰かのところへいって飲んだらしい。十一時半ごろ、とうとう頭にきたのか歌いながら帰宅。居間で漫画を読み、あげくにトイレで吐いている。美琴がティッシュとタオルを持って「大丈夫?」と声をかけたが無視。「水分飲んどいたら?」とポカリスエットをコップに入れて持っていっても無視。朝まで手付かず。
最後くらいは気持ちよく過ごそう、などという発想は彼にはないのだった。
後でエルディオさんに聞いた話では、例のエルディオ夫妻が強盗に襲われ、彼女が体を張って夫を守ろうとした話を聞いても、美琴の夫は「へー、そんなもんなんですかー」と反応は薄かったらしい。この人には夫婦の絆とか愛とか情とかを理解するような感覚がないのだな、と美琴は痛感した。これじゃあ、事故にでもあった日には五千リアをケチられてそのまま見捨てられるんだろう。命が惜しかったら、この男から逃げるしかない。
<23.最後の晩餐会>
出発の前日、美琴が朝起こして「具合どう?」と声をかけると調子悪いとか言っていたが起きてはきた。
午前中、予定より早く十一時前に引っ越し屋が来る。正弘も帰宅する。「忘れ物ない?これ持ってけば?あれは?」と指さして聞いてくる。美琴にかかわるものを一掃したいらしい。引き出物だった時計を持ってくる。最も見たくないものなんだろう。そこで美琴もあえて
「いらない、あげる。いらなかったら誰かにあげて」と言っておく。さらに
「その代わり、炊飯器もらうわ」
「え、なんで」
「私の職場の人に送別でもらったから。ご飯はレンジでも鍋でも炊けるし」
「いいよ、買うから」
「そうね、売ってるもんね」
書類を書き上げ業者に渡し、美琴の引っ越しは無事完了。荷物は後から取りに来るらしい。
午後は大使館の高橋さんと青山さんが来て最後のお茶会をする。メイドが来たが料理しないから、と帰してしまう。
実は今夜、東京電機の坂田さんと最後だから一緒に食事をしようということになっていた。坂田さんは正弘と以前の駐在でも付き合いがあり、仲が良いらしい。美琴は昨日の婦人会バザーで坂田夫人と会ってその話を聞いていた。だが、正弘は朝からそのことについて一切コメントせず、美琴が「今夜は何を食べたい?」と聞いても「今日は用があるからいらない」としか言わなかった。はてさて、また何を企んでいるやら、と美琴は思ったのだがあえて何も言わないでおいた。
七時頃正弘が帰宅し、着替えてから唐突に
「君のご両親には何かお土産を買ったほうがいいよね」などと言い出す。
「うちより、あなたの職場とか知り合いの人に必要なんじゃない?私は私で何か少しは、箱入りチョコレートくらいは、と思ってはいるけど」
「なんかこっちの布でできたぬいぐるみとかあるらしいよ」
「ああ、友達の家に行くとよくあるあれかな。ワニとかキリンの」
「そんなんでも、買いに行く?」
「どちらでも。妹さんに買ってあげなさいよ」
とたわいない話をした後に、おもむろに
「東京電機のお客とメシだから行くね」
「はい、行ってらっしゃい」
「今更、二人で行くのも変だろ?」ときた。
「そうかしらね。むしろ二人で行かないほうが変だと思うけどね」
「もうみんな知ってんだぜ。社長んとこにも電話がどんどん入ってんだぜ。狭い社会なんだから」
「どうせいずれわかることだわ」
「そうじゃなくて、皆に知れてんだぜ。世間体ってのは大事なんだから」
「そりゃそうよ。でもね、見ればわかるわよ。他人ごとみたいに言わないでよ。そうなる原因はそもそもあなたにだってあるのよ。そりゃ私だって一部の信頼できる友達には話したわ。でも、家でどう過ごすか、みたいな話題になって他の人にお宅は何してるの?と聞かれて、うちは話しないからわからない、と答えざるを得ないでしょう。ほとんど口もきかないし、夫は部屋にこもっているとしか答えられないじゃない。誰だってそれ聞いたら変だと思うわよ。ましてやレスなのよ」
優柔不断な正弘はしばし口ごもり、
「どうする?二人でいくか?」
「そりゃ二人で行かなければ他人は勘繰るでしょうね」
「何を勘繰るんだよ。もうわかってんだって」
「そうかもしれないけど表には出さないはずよ。いいじゃないの、最後まで演技し続ければ」
「みんな知ってて、今更君を連れて行って、そう思われてると思うと恥ずかしくって人前に出らんないよ」
「じゃ、あなたの判断にお任せするわ」
正弘がどれほど優柔不断か、美琴もこれまででよくわかっていたのだが、いつも最後には美琴に決めさせ、美琴に責任を押し付けてきた。今回の件でも、美琴は美琴なりのこうしたほうがいいと思うところはあったが、また美琴のせいにされてはかなわないので、もうあえて答えることを避け、正弘に判断をゆだねることにしたのだ。
作品名:メイド女房アフリカ滞在記 作家名:ススキノ レイ