メイド女房アフリカ滞在記
帰国する前に、シャンプーやトイレットペーパーの補充を買っておいてあげよう、とつい仏心を起こしたが、そんなお金はなかった。あと一週間だ。もう知ったことではない。自分でなんとかすればいいだけのことだ。美琴は自分のへそくりでお土産用にちょっとしたろうけつ染めなどを買って帰った。
帰宅後、最後まで残った最終メンバー数人の友人たちと送別ランチでエコーホテルの中華料理店に行く。美琴が
「どうせ私がいなくなった後、私のことは酒の肴にされるんでしょうね」
と自虐的に言うと、大使館の山口裕美さんが
「そりゃあそうだよね」
となかなか正直だ。確かに人の不幸は蜜の味。蜜をエネルギーとして活動しているのが人間だろう。それでもおっとりした元木静香さんは
「えー?そんなこと言う人いるのかしら?」
とどこまでも人がいい。
どうせ二度とこの地は踏まないから美琴にとってはもうどうでもいい。
帰りにユネスコの青山美紀さんの車に乗せてもらったが、ついでに家に寄ってもらい、いらない服などめぼしいものを持っていってもらった。いらなければメイドにあげる、というとそれは悔しいわ、と色々もらってくれた。こうして日々モノが減っていってすっきりする。本もほとんど人にあげた。
他人の家にいくと大抵本棚の一つくらいはあり、歴代の駐在員が置いていくのか本もたくさんあった。本箱さえないのはうち位のものだった。しかも本はすべて美琴が持参したものばかり。正弘という男はガイドブックと日経新聞とサライしか読まない。最近は友人から釣りバカ日誌を借りてきて面白そうに読んではいるが。
以前美琴が友人からもらってきた食べもの特集の家庭画報を彼はいたく気に入り、定期購読しようかとさえ言っていた。どこの奥様だか。普通男性ならヌードグラビアのあるような雑誌をお気に召しそうなところだが、この家にはそんな雑誌一冊もなければ、当然エロビデオもない。
そういえばかつて隣人田中さんとおしゃべりしていて、AV女優の誰それにはお世話になりましたよ、などという下世話な話題がでたとき、正弘に完全にシカトされ、かなり気まずい空気が流れたことがあった。そう、セックスレスの綾川家では下ネタは一切禁止。厳格な修道院か何かのように触れてはいけないタブーですよ、田中さん、とも言えなかったが。正弘本人は以前、風俗に行くのは「そんなの男だもの、当たり前だろ」と豪語していたのだけれど。
だから性的不能というわけではないようだが、素人相手はダメなのか。それとも、美琴だから嫌なのか。そこまで嫌ならとっとと離婚してくれていいのだが、何を渋っていたんだろう。もはや不思議ちゃん以外の何物でもない。
青山さんの車でさらに元木さんの家に行き、ゆっくりお茶をして帰る。本日はNO COOK、のメモを置いておいたのでメイドはいなかった。
角倉商事のラガ支社の社長が交代する歓送迎会。美琴は気合を入れてきっちり化粧し、シルクのワンピースに着替えて臨んだが、正弘は相変わらずポロシャツとジーパンだった。
美琴には「コンタクトにして」とか「カジノでの服装が」とか「お行儀が」とか散々言うが、本人はいつでもジーパンだ。そういえば美琴の実家に初めて挨拶に来た時でさえジーパンで来ようとして親に言われて履き替えたとかなんとか。そもそも背が低く痩せてもいない彼はあまり似あうとはいえないのだが。これで麦わら帽子を被って腰にタオルをぶら下げてゴルフに行く姿は農作業に行くかのようだった。カジノの件では美琴にダメだしした正弘だが「紳士のスポーツゴルフ」はこれでいいらしい。
正弘の本音は新社長に美琴を見せたくなかったのだろう。一応紹介され、挨拶はしたけれど、来週にはこの地を去り、二度と会わなくなるのだから。ゆえにこのパーティに美琴を連れて行きたくなかったのだろうが、社長の交代時に病気でもないのに妻だけ欠席させるわけにもいかないのが悩ましいところだったのだろうと美琴は踏んでいる。
それは美琴の方を見もしなければ、美琴が声をかけても無視し続ける態度にありありと出ていた。どのみち皆がわいわいしている時に一人で本を読んでいたりするような空気を読まない男だ。妻を無視するなど平気でやってのける。
とうとうお世話になった川瀬前社長にも何も告げていなかったようで、美琴は社長に
「休暇は日本からどこか回るんですか?」
と聞かれたが
「いえ、まだなんとも」
としか答えようがなかった。私は永遠に戻りませんとは言えない。本当は真実を言ってお世話になったお礼をきちんと言いたかったのだが。
帰宅後、正弘は延々と借りてきた「釣りバカ日誌」を読み続けていた。翌日朝はテニス、午後はゴルフをやるらしい、ということを美琴はパーティでの皆の会話から知ったが、当然正弘は何も言わない。美琴も友人と会う予定などいちいち教えるのはやめた。
脱出まであと一週間。
土曜日、昨夜冷ごはんあれば自分で適当に食っていく、と正弘が言ったので、美琴は「お釜の中にご飯入ってるから水入れて三十分タイマーして。おかゆになるから」と指示し起きなかった。もう良い妻をがんばるのはやめた。
昼には昨夜新社長からお土産に頂いたレトルトうなぎでうな丼にしたら、それだけで正弘はご機嫌になり、意気揚々とゴルフに出かけた。先週のような化石化した空気にならなくてだいぶましだった。
妙に機嫌がいいと嫌な予感がする。チケットはとれたのだろうか?行先はちゃんと日本だろうな。大丈夫だと思うが何か企んでるのだろうか?それともチケットがとれて腹を括ってすっきりしたのだろうか。美琴はつい疑心暗鬼になってしまう。
脱出まであと六日。
朝正弘は勝手に起きて漫画を読んでいる。ほっといてもよかったのだが、美琴は落ち着いて眠れないので起きてキッチンへ向かう。おかゆのタイマーは入れてあったのでそれ以外のおかずを用意した。
さて行くか、と十時半ごろに正弘はゴルフに出かけていた。またしても、美琴はここで初めて彼の予定を知る。これでは美琴自身の予定が立たないのだが、もうあと一週間の辛抱と思ってやり過ごす。友達と会うこともできないので昼寝でもするしかない、と寝たら四時間も寝てしまった。変な夢を見て大汗をかいた気がしたが、目覚めると家の中は冷房が効きすぎて寒いくらいだった。
午後四時過ぎに正弘が帰宅し、またクスクス笑いながら漫画を読みふけっている。最近は漫画に逃避らしい。美琴が米を研いでいるとみそ汁は自分が作る、と正弘がキッチンに来て納豆と揚げの味噌汁を作っていた。
作品名:メイド女房アフリカ滞在記 作家名:ススキノ レイ