メイド女房アフリカ滞在記
沈黙の夕食後、即ふて寝する夫を見て、美琴も隣に寝る気になれず、本も読みたいし掛け布団をもってリビングのソファに行った。まずは家庭内別居だ。すると正弘はこれまた拗ねて寝室のドアを閉めていた。
十一月三日が日本人会のゴルフコンペだということを、美琴は友人から聞いて知ってはいたが、口をきかない正弘からは当然何も聞いていない。起こした時はぐずぐずしていたが、ゴルフなので起きてきた。水筒を持ってきてポカリスエットがいいというので、美琴は何も聞かずにご要望に応えてやりながら、知らんぷりしてもいい所をなまじ親切に応えてしまうのはかえって気を持たせてしまうのだろうか、などと考える。
「午前中居る?」正弘が尋ねた。
「居るけど」
「じゃ鍵持ってかなくていいね。今日ゴルフだから」
「あ、そう」
友人情報がなければ、美琴はここで初めて今日がゴルフだということを知ることになる。食事の用意も外出の予定もあったものではない。美琴に何も言わないのは美琴の都合など全く意に介していないか、むしろあえての意地悪かと勘繰りたくなる。
十時過ぎ位に日本の友人に電話していたら正弘が帰宅した。部屋で着替えたりしていたが、また何も言わずに出かけそうになる。そこで出がけに美琴は「日曜発がだめなら火曜発がいいな」と一言伝える。
なぜなら、チケットの手配をするのは毎度御用達のエルディオ京子さんで、婦人会には属さないが日本人女性たちがしばしば彼女の家に集ってお茶会などをやり、美琴も参加していたのでいつだれがどこ行きの航空券を求めているかわかってしまうのだ。で、日曜発はちょっと無理で火曜発のサベナ航空が直近で取れそうだ、という情報を得ていたからだった。
「わかったよ」正弘が答える。これでようやく了承したとみなしていいな。直後帽子を取りに戻った正弘はカートンだらけの部屋に入り、「パッキングは業者に頼んだ方がいいよね、通関とかあるから」
やっと具体的に一歩進んだようだ。
美琴は一安心しこの日は八千代商事の元木さん日本油脂の水倉さんやユネスコの青山さんを招いてランチ、お茶会になる。彼女たちは信頼できる友人で何でも話せるから美琴にとっては心安らぐ時間となる。一日ゴルフで夕食もいらないらしいし、気楽だ。
実はその時点でエルディオさんから二日後の土曜日にパーティをやるから綾川夫妻も来てね、というお誘いを受けていた。彼女は勿論正弘にもその話をしているという。が、例によって正弘の口からは何もでてこない。エルディオさんに返事をしないといけないのだが、美琴は正弘が言い出すまで待ってやろうと思っていた。どのみち日本行の航空券のリミットがあるので今日明日にはエルディオさんに電話しないわけにいかないはずなのだ。その時絶対彼女に参加できるか聞かれるはずだ。正弘はどう答えるのだろうか。
<19.情報合戦>
最近美琴は正弘が黙って勝手に何を企んでいるのか、それを事前に察知するために裏から抜かりなく情報を探り、変なことをされないよう先手を打たなければならない、という緊張感の連続で心休まる暇もない。この情報戦のような水面下の戦いって一体なんなのだろう。早く終わらせたい。美琴は心身ともに疲れて体がだるかった。
ゴルフ翌日の正弘は朝から暗い。昼もいらないし夜も友達と外食だそうだ。美琴も昼ごはんをパスして昼寝していたら金縛りにあってしまった。
金縛りはかつて二回ほど経験があったが、今回のは妙にリアルだった。寝室のベッドで寝ていたのだが、廊下を歩く気配を感じてふと目が覚める。メイドがこんな時間に来てしまったのか、寝てたらまずいか、と起きようとしたが動けない。眼鏡をかけなくても天井の様子がくっきり見え、これはいわゆる金縛りだ、と感じる。ヒタヒタと素足っぽい足音のような気配が徐々に寝室の扉に近づくような気がする。開けられたらどうしよう?アフリカ人の霊って日本語通じないよね、などとしょうもないことを考えるうちに、なんとなく気配が消え、体が動いた。夢なのだろうけど、やけに怖かった。余程ストレスが溜まってるんだろう、と思う。そりゃあ溜まるはずだ。だるいので熱を測ると三十七度を上回っていた。
午後は丸菱の田川美奈子さんのところでお茶会だった。彼女は唾液腺が詰まって喉が痛いという症状で体調がすぐれず、まもなく帰国することになっていた。ということで、みんなに不用品を分けてくれたのだった。
美琴もそろそろ他の人に自分の荷物をもらってもらおうと思い呼びかけたところ、青山さんがキーボードを米ドルで買い取ってくれた。お金のない美琴にとっては大変ありがたいことだった。身の回りのものをどんどんそぎ落とし整理していきながら、美琴は思う。失ったものも大きいが、手に入れたものもあるのだ、と。例えば友人とか。
ところでエルディオさんのパーティは結局参加者の体調不良(おそらく田川さんのことだろう)で中止になってしまった。
美琴が帰宅後、ほどなくして正弘が帰宅する。
「あ、エルディオさんのパーティ中止ですって」
「そう」
「今夕食作るから。ごめんね、私もさっき帰ったばかりで」
「いらないって」
「あ、そう」
ただ拗ねているだけかもしれないと思い美琴は一応食事を作ったが、正弘は
「友達と食べるからいい」
と出かけて行った。最初からそう言えよ、と美琴は腹立たしく思い自分で食べる。
そういえばパーティの件は正弘はそもそも行く気はない、と主張した。逃げるんだろうな、と予測はしていたが、案の定という感じだ。中止になってよかっただろう。
こういう経緯のあとの十一月最初の週末は想像した通り家の中が石のような沈黙に支配され、居こごちが悪いなどというものではなかった。
予定を何も言われなかったので寝ていたが、正弘が起きたので美琴も朝食の支度をするために起きた。相変わらずぶすくれて食卓に着く正弘に、「何も言ってくれないと朝ごはんなかったわよ」と言うと
「いいよ、自分で作るから」
「あ、そう」
いよいよ美琴は必要がないらしい。だったら、私の作ったものを食べなきゃいいだろう、いっそ取り上げてやりたい、と美琴は思う。
正弘はテニスの支度をして出て行った。メイドが来て片づけや掃除をし、十時半ごろに正弘が戻ってくる。美琴はリビングのソファで読書しながらうたたねしてしまう。やがてメイドが去り静寂が訪れる。正弘は勝手にカップ麺か何かを食べている。会社の三浦さんからテニスの誘いの電話がくる。正弘ははっきり返事をしないで、この日の昼もベランダで地面のトカゲに黄金虫の幼虫をまいている。やがてテニスをしに降りて行った。美琴はここに幽閉されている。即刻航空券を手配するか、問題点を話し合うか、二つに一つだ、と言ったのは先週の日曜。結局一週間正弘はなにも言わなかった。話し合う余地はないということだ。
作品名:メイド女房アフリカ滞在記 作家名:ススキノ レイ