メイド女房アフリカ滞在記
すると今度は正弘が朝起きるや美琴に「マッサージしてくれよ」などと言い出してきた。この手で来たか、と思うが美琴は黙って相手をする。もしや『奥さんとのスキンシップは大事だよ』と社長にでも言われたのだろうか。夜も「腰が痛い、ピップエレキバンを貼ってほしい、シップを貼ってくれ」などと身体的接触を図ろうとしてくる。この甘えん坊作戦は翌日も継続していたが、美琴は午前中に友人の一人から、正弘が来月ようやくリーブ休暇をとる申請をしている、と聞いた。初耳だった。美琴に事前説明なしに前回の旅行のように行先を勝手に決めて直前になって「急に休暇が取れたんだよ」などと言われてはかなわない。昼に正弘が帰宅した時に、すかさず「休暇をとるんですって?」と問いただしたのだが、いじけてしまった。
夕食時には立ち直っていたようだが、食後すぐ寝室にこもり夢に逃避してしまった。
そして、朝方、正弘がどういう風の吹き回しか、美琴の体に手を回してきた。今更なんなんだ、と美琴は警戒したが、胸を触ったりしただけでそれ以上のことにはならなかったので安心した。
その日は土曜だったので遅めの朝食後正弘は昼までベランダから地べたを駆け回るトカゲに餌をばらまいて時間をつぶし、午後は同じフラットの会社仲間とテニスをしていた。
翌朝も美琴の体を触ってくる。今度はセックスレスをなかったことにしてごまかす作戦なのか。それは連日深夜や未明に繰り返され、美琴にとっては眠い所を起こされて不愉快以外の何ものでもなかった。六日目、ついにそれ以上のこと、をやりそうになってきたので、さすがに美琴は声をあげた。
「ちょっと待って。今更どうしてこんなことするの?」
「こういうことやりたかったんだろ」
「今更もういいって。こんな状態になったらもうそういうことしたくない」
「嫌ならいいよ」
「あのねえ、嫌とかいいとかいう以前に、今別れる相談してるのになんでこういうことするのよ?万一子供でもできたらまずいじゃない」
「僕だって努力したんだよ。毎週末外食もしたし、デナン旅行にも連れてったじゃないか」
「旅行なんてこんな精神状態で行ったって楽しめないでしょう」
「けっこう楽しんでたじゃないか」
「そりゃあ嫌な顔できないでしょう。もう旅として割り切ったし」
「これから休暇取れるからもっと色々行けるよ」
「あのさ、だいたいセックスしたくないくらい嫌なら夫婦として一緒にいる意味ないでしょう。お互い苦痛でしょうが。何度も言うけど、人生まだ長いんだから、再婚できる可能性のあるうちに別れたほうがお互いのためじゃないの?」
ボディタッチは功を奏しないと判断したようで金曜日を最後にピタリと止んだ。
この間、隣人の田中さんが帰国することになりコリアンパブで送別会があったり、ホテルで航空会社主催のパーティに参加したり、社長宅でも改めて田中さん送別会をやったり、美琴も水中エアロビ講習会に参加したりと忙しかった。なおかつ美琴は着々と荷造りし、部屋は荷物の詰まったカートンでいっぱいになった。
ついに田中さんを送り出し、いつでも愚痴を言いに逃げ込める隣人もいなくなった。夕食後、今夜こそは逃げられないだろうと、美琴はやっと真剣な話をしようとした。
やり直す気があるなら、真剣に考えて欲しい。まず私を妻として認めること。スキンシップを拒否しない、家計を任せる、まずそれが最低限考えて欲しいこと。
答えが出せないなら私は帰国する。
そういったことを美琴はできるだけやんわりと言ったつもりだが、やはり正弘はだんまりを決め込み、口答えさえできない。結論は早すぎるのか。しかし見切りは早くつけた方がいい。美琴はやろうと思えば、表面を取り繕って一生持たせることは可能かもしれない。でも相手も不満なうえ、自分だって限界になって別の相手と恋愛するかもしれない、こんな不毛な結婚生活はさっさと終止符を打つべきだと考えていた。
<17.外側に閉じこもる>
例によって正弘は拗ねて落ち込み、翌日も朝から一日いじいじしていた。美琴が話をすべく引き止め「あのねえ」と声をかけた途端、彼は硬直し、教師の前の不良よろしく、そっぽを向いて煙草をふかし、一度たりとも相手の話に真剣に耳を傾けようとしなかった。そもそも今までも一度として美琴の目をみて真剣に話を聞こうとしたためしがあっただろうか。真摯な気持ちで異性に心ひかれたこともないのだろう。この態度をみればうまくいくはずがないのは一目瞭然なのに、どうしてこの男は私を引き止めもしなければ解放もせず、あくまでも飼おうとするのだろうか、美琴はずっと疑問だ。
美琴が何度話し合おうとしても正弘は返事すらしない。
美琴も食事を作りはしたがストレスフルな日々に食欲不振なのでハンストし、顔を合わせているのも嫌なのでこの日は美琴が先に寝た。落ち込んだりいじけたり拗ねたりする甘ったれた夫を、母親の如く受け止める役目に疲れたのだ。いじけるのはあんたの専売特許じゃない、同じ思いを味わってくれ、大人の役はもう降りた、そもそもそっちの方が年上だろうが。
すると正弘が寝室のドアを閉めこんだ。
今までこの家の中で部屋のドアを閉めることだけはしてこなかった。この広さの家で二人しかいないのだから必要がなかったというか、それとなくお互いの存在はわかるようにしていた。何かしていてもテレビを見ていても、あえて覗きもしないし、廊下を通りすぎるだけだが、どこにいるかはわかる、という程度には開放していた。
美琴を寝室に閉じ込めたというより、外側の空間に自分が引きこもったのだろう。いっそ内側から鍵をかけて餓死するまで籠城してうやろうか、などと不穏なこをと考えてしまう。
例えば、こんな妄想をしてみる。
開けろと騒いでも
「閉じ込めたのはあなた。私はここで暮らすわ。幸いバスルームはあるから水もある。一月くらい持つかもしれない。二か月後には立派な腐乱死体になって三年後には白骨になるでしょう。あなたのせいよ」
「あけろ」
「あけない」
夫がドアに体当たりを繰り返す。やがてドアが軋み蝶番が壊れ、外れて、ドアが内に倒れこみ、取っ手が妻の顔面を直撃する。彼女は床に転がり流れ出る血がじゅうたんを赤く染める。
救急車の中で顔に包帯がまかれた妻は夫に訴える。
「ねえ、私がこんなになったのはあなたのせいよ。どんな顔になっても私を捨てないって約束して頂戴」
「わかってる、大丈夫だ、捨てたりしない。それにたいした怪我じゃない」
病院の手術室で妻はこっそり医師に金を渡すから傷が残り、二目とみられないよう整形してくれと頼み込む。そして夫には「ショックを受けると危険だから奥さんには気取られぬよう、鏡は見せないように」と伝えさせる。
退院の日、日差しを遮るためだ、と夫は妻の頭に深々と帽子をかぶせる。彼は人目から妻を隠しながら明るい陽の中を歩く。すれ違う人々ははっと気づいて目を逸らす。
作品名:メイド女房アフリカ滞在記 作家名:ススキノ レイ