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ススキノ レイ
ススキノ レイ
novelistID. 70663
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メイド女房アフリカ滞在記

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 先日の話を正弘はどう思っているのか、美琴はちゃんとした返事を聞いていない。旅行で目先を逸らされて有耶無耶にされているようにしか思えず、帰国した翌日の晩、声をかけたのだが、正弘はふてくされて寝てしまった。
 美琴はこんな時、ダブルベッドしかないというのが本当に嫌で仕方がなかったが、幸いキングサイズだったのでふて寝する夫となるべく離れて縁ぎりぎりで落ちそうになりながら浅い眠りの夜を過ごした。
 翌朝は月曜で朝食ができた、といつものように美琴が正弘を起こしに行くが、起きない。
 「嫌だ、会社行きたくない」と布団にしがみつく。この子供じみた夫の姿に美琴はあきれた。
 「何すねてんの、大人として仕事はいかなきゃだめでしょうが」
 「別れそうだとかみっともなくて会社行けないよ」
 「何言ってんのよ。行かないほうが不自然に思われるって。逆に何が何でも普通に出勤しないと変に思われるよ。ほら、起きて」
 「やだ」
 「仕事は仕事でしょう、プライベートとは別問題でしょう」
 という問答がしばらく続き、美琴もついに布団を引きはがし、手を引っ張って無理やり起こすはめになった。なんとか支度をさせ辛うじて1時間くらいの遅刻で出勤したが、登校拒否の子供じゃあるまいし、これが大人のやることだろうか。引っ張り起こすとか、そもそも美琴は母親じゃないのだ。情けないやらあきれるやら、もう無理だな、思う。
 それでも正弘は昼には帰宅して食べ、昼寝し、出勤し、夜も食べるだけ食べて寝てしまう。拗ねてふてくされたまま、口もきかずに。
 私は本当に食事を作ってだすだけのメイドだな、と美琴は思った。
 翌日は正弘もごねずに普通に出勤したが、眠りまくって少しは回復したのだろう。午後から少し郊外のバダンに出張しなければならないというのもあったのだろうが。
 
 ここまでくると美琴もどうしていいのかわからなくなり、思わず昼休み前に社長宅に電話し、お話したいことがあるので訪問したい旨伝え、社長の在宅時間に合わせ一人で徒歩で行ってしまった。治安の関係で邦人は車でしか移動しないが、平日の昼前など人もいないし充分歩ける範囲だ。
 こんなことを話して申し訳ないですが、実は日頃から夫婦仲に問題があり、それで昨日は朝起こしても会社に行かないとごねました、会社に迷惑をかけてはいけないので引っ張り起こして行かせましたが…
 「なんだ、子供みたいなやっちゃな」
 そうなんです、今後もこういうことがあると申し訳ないのですが、どうしたらいいのかわかりません。それとなく夫に何か言ってもらえないでしょうか…
 仕事に差し支える状態になったら問題には違いないわけで。
 面倒見の良い川瀬社長は本当にいい人で美琴の話を真剣に聞いてくれアドバイスをしてくれたのだった。
 
 この日は午後三時半からインド大使公邸でインド婦人会と日本婦人会の交流会が行われた。以前総会で話し合われていた件である。
 インド大使公邸に入るとそこには中庭に面して明るい廊下のような広間があり、テーブルには様々なインドのお菓子が並んでいた。甘い揚げ菓子が多く、日本人には甘すぎるのだが、こんな高カロリーなものを食べてもインドのご婦人方はスレンダーな方が多い。
 テーブルを並べてこしらえた即席ステージの上、シタールの奏でる曲に合わせ、色鮮やかなサリーを纏いキラキラした装身具を頭にも耳にも首にも腕にもじゃらじゃらと飾った彼女たちが、美しく体をくねらせてインド舞踊を披露。
 対する我々日本人婦人会では風呂敷包みの実演という渋い演出。それでも一枚の布で丸いスイカや二本の瓶を持ち運べるように結んでみせると歓声が沸いた。それなりに気に入っていただけたようだった。甘いお菓子も食傷気味になって解散したが、これはこれで楽しく交流できた。
 この国にきて他国の人と交流したのはこれが初めてで、美琴はちょっと面白い経験ができたと思う。
 
 インターネットのない時代、電話もまともに通じない、地図もなければ地理もわからず、あるのは自分の経験値から手帳に書いた手書きの地図だけ。かといって一人で出歩ける治安ではなく、車での外出もいちいち電話して運転手を呼ばなければならず、そもそも自由にできるお金を持ち合わせていない美琴は、この国において夫に完全に生殺与奪の権を握られて軟禁されているも同様だった。パスポートさえ質に取られている。夫は何を言ってもまとも答えず話は通じない。美琴を対等の人間扱いさえしていないのだからもはや餌だけ与えられて飼われているといっても過言ではない。
 情報を得るには人と話す以外にない。したがって美琴は連日のように友人たちと会い、相談させてもらっていた。中には冗談としか受け取ってもらえなかったり、娯楽の少ないこの地で面白い週刊誌ネタだとあからさまに面白がられているとわかるような人もいた。それでも美琴の話をまじめに聞いて考えてくれる何人かの友人には心から慰められ、ありがたく思った。
 
 十月も半ばを過ぎ、次回会社に提出する日本食のリストの申し込み締め切りが来るので、美琴が記入した。自分が使うなら米酢とかみりんなどこちらでは手に入らない調味料が必要だが、今後自分がいなくなるとするとインスタント食品や缶詰にしたほうがいいだろう、などと三か月後は自分がいない前提で考える。
 そんな折、大使館の通産省の山口さん宅で角倉商事と他の企業の人も交えてのパーティがあった。ゼリア人と結婚しこの地で旅行会社を営んでいるエルディオ京子さんも来ていた。婦人会仲間ではしばしばお茶をしに行ったりするので皆顔見知りである。美琴も友人たちとお茶に招かれた時、何かで夫婦の話題になり、家でほとんど喋らないし車の助手席に乗せてもらったことがない、といった話をしていた。大恋愛で結婚したエルディオさんにとっては論外な状況だったようだ。
 そこでエルディオさんは帰り際、正弘が運転する車に乗ろうとした美琴を、「ほら、奥さんなんだから、助手席に座りなさい」と助手席のドアを開け美琴を押し込んだ。正弘は
 「いや、危険だから」と抵抗したが、
 「いいの、何があっても夫婦は一心同体なの!」
と美琴に目配せをしたのだった。
 正弘もしぶしぶ車を出したが、以後助手席に乗っても文句を言わなくなった。
 
 この後も正弘は脳天気なことを言ったかと思えば、例の話題になると拗ねる、美琴を無視して昼には勝手に蕎麦を茹でて食べたり、一日ベランダで読書していたり、を繰り返していた。そしてこのところしばしば職場の友人宅へふらっと訪問している。どうもバツイチの先輩三浦さんのところに相談しにいっているようだった。
 
 美琴はもう行動を起こすことにした。差しあたって荷造りに必要なカートンをゲストハウスに取りに行くため運転手を呼んだ。引っ越しの時の大量のカートンがどうなったのか美琴は知らなかったのだが、誰かにさりげなく聞き出し、会社のゲストハウスに置いてあるという情報を得ていた。
 それを美琴の私物を置いている余剰の客室に運び込み、組みたて、使わないものからどんどん荷造りを開始した。
 
 
 
 <16.姑息な手段>