メイド女房アフリカ滞在記
十人きょうだいの長女だという正弘の母の弟の一人が「昨日釣った鯛を昆布締めにしてきたよ」と発泡スチロールの箱を抱えてやってきた。彼女のきょうだいやその子供たちが何人も集まり座敷に長いテーブルを出しての祝賀会となる。正弘の母がキッチンで腕を振るい大量の料理が並べられる。正弘が営業で行った店のおいしい食事を母親に詳しく説明すれば、ほぼ再現してくれるらしかった。彼女は料理だけでなく裁縫も得意で「これ作ったの、使ってちょうだい。エプロンなんかあげると働けっていってるみたいであれだけど」と美琴にデザインの違うエプロンを十枚くらいくれた。きれいな花柄やらフリルのついたメイド風やらバラエティに富んでおり、確かに仕事はプロ並みに上手だと思い美琴はありがたく頂戴する。帰りは母に言われた正弘が一緒に電車に乗り都内まで送ってくれた。
美琴が気になったのは結婚を決めても正弘が身体的距離を一向に縮めてこなかったことだ。手をつなぐことさえなかった。見合いってこういうものなのか、とも思え、自分から接触するのもはばかられた。
正弘が出発する三月の某日、美琴は義母、義妹とともに成田空港に見送りにいった。美琴はありきたりの紺のスーツを着て行ったが、義妹は袖口にファーのあしらわれたペールピンクのツイードのスーツにふわふわのクリーム色のベレー帽を被り、白い手袋の上からイエローパールの指輪をしていた。手袋を外すたびに指輪を外さなければならなくて大変そうだな、と美琴は思い、珍しい色だったので妙に印象に残った。
「じゃあ、行ってくるよ」
と出国ゲートに向かう正弘に手を振り、美琴たちはその足で成田山新勝寺へ向かう。正弘の無事を祈り、参道のうなぎ屋で食事を摂ることになった。
「正弘を見送りに来るといつもこの店に寄るのよ」
と義母が言った。いつものルーティーンに今回は嫁の美琴が加わったわけだ。なにかとりとめのない話をしながらうな重と肝吸いをごちそうになり、成田駅で別れた。
成田で正弘を見送ってから、美琴は職場を退職し、角倉商事から支給された支度金で料理学校と英会話学校に通い始めた。
美琴は今まで料理などまともにできなかったのだが、「あっちではレストランもろくなものがないからお客さんは家で接待するのが常だよ。家庭料理が一番いいんだ」と言われて、料理を勉強せざるを得ないと思ったからだ。
仕事はやめたものの、学校に通いながらの引っ越し準備や健康診断や黄熱病の予防接種などがあり、スケジュールはぎっしりだった。
その上正弘の実家からは「何か役に立てば持っていって、いらなければ捨てて」と段ボール箱が十四個送られてきて、美琴の部屋を埋め尽くした。これを整理するのに何日かを要した。中身は様々で、食器類など使えるものもあるが、まるで売れ残った不用品回収バザーの収集品のようだった。
正弘とはファックスで連絡を取りあっていたので、そんな苦労話を少し面白おかしくイラストを入れて送信したら、やめてくれ、と拒絶された。業務連絡のような文面で「取り纏め」をわざわざ漢字で書いてよこす正弘に、通じない相手だと悟り、以後ワープロで打った書面での事務連絡にとどめた。
このことを境に、美琴の中で不穏な予感が水中で拡がる墨のように広がり身の内を黒く染めていった。かつての職場の同僚に、結婚式の招待状も送り準備も整いカウントダウン状態になってから、どうしても嫌になってドタキャンをした、というツワモノがいたが、すでに入籍してしまった美琴には今更打つ手はなかった。というか、嫌な予感、というだけで、具体的な不具合を主張できる根拠がない以上、たとえ婚姻届けを出していなくても今更周囲を説得できるとも思えなかったのだが。
実は美琴は「忙しすぎて体調を崩し胃に穴が開くことはないだろうか」とか「ここで交通事故にあって全治3か月くらいにならないだろうか」と思わずにいられなかった。病気や事故にあえばそれを理由に破談にできるかもしれない。しかし幸か不幸か体調は良好で、横断歩道に暴走して突っ込んでくる車にも出会えなかった。一か八か、踏み出してみるしかないだろう、と腹をくくっては見たものの、嫌な予感はいつの間にか溜まっていく埃のように美琴の中に積もって膨れていくばかりだった。
そんな中、義母と義妹からは「今日は正弘の誕生日だから一緒に食事をしましょう」と地元のレストランに誘われた。美琴は忙しくて寝る間もないくらいだったが、義理家族からの誘いを断るわけにもいかない。「外国にいる時はいつもこうして家族でランチしてお祝いしているのよ」とのことだった。義妹は小型のカメラ持参で料理の写真を何枚も撮っていた。デジカメさえまだ普及していない時代だったが、もしも当時スマホがあれば彼女は映える料理写真をインスタに投稿しまくったことだろう。
忙しいのにさらに「歌舞伎を見に行きましょうよ」とも誘われ、これも断れずにつきあった。「歌舞伎そのものはよくわからないのよ。でもあの華やかな感じが好きなのよね」と義母は浮き浮きと語った。デパ地下で義妹が散々迷ってお弁当を選び、お昼をごちそうしてもらったので、美琴は帰りに銀座の甘味処・鹿の子でのお茶代を持ったのだが、弁当よりはるかに高額だった。
結婚式は義母が予約した都心の有名な式場で行われた。
赴任前に一度打ち合わせに行ったが、正弘が日本を離れる日が迫り時間がとれないため一度で済ませようと、休憩もせず数時間ぶっ通しだった。こっちも疲れたが、式場の担当者もここで一気に契約できるとはいえ大変だったことだろう。
美琴は料理以外は手間暇費用を極力省略し、テーブルを飾る花も松竹梅とあれば梅にし、新郎新婦の自己満足にすぎない余計な演出も一切なしで推し進めた。
式場の担当は花嫁の意見を尊重するものなので美琴主導で推し進め、正弘には口を挟ませないようにした。それというのも、正弘という男が服装を見ただけでも相当見栄っ張りで派手なことが好きらしいと分かってきたからだ。唯一夫と意見が一致したのが料理のグレードで、お客様にだすのだからとこれだけは最上級にした。
とにかく正弘は派手好きだった。見合いの後デートの時の服装は仕事帰りだったからスーツなのだが、ネクタイがブルーの地にランの葉が描かれそこに黄色い豹が歩いてくる、とか、黒地に一面のヒマワリの花、とか、なかなかその辺では見かけないデザインである。ビジネスバッグと財布はルイヴィトン。ちなみに旅行トランクもヴィトン。ブランド好きの女性はよく見るが、ここまでヴィトン好きの男性は見たことがなかった。
招待客の三分の二は正弘の親戚、友人、職場関係者である。仲人は正弘の職場の本部長で二人は招待され目黒の高級マンションに伺ったことがある。
作品名:メイド女房アフリカ滞在記 作家名:ススキノ レイ