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ススキノ レイ
ススキノ レイ
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メイド女房アフリカ滞在記

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メイド女房アフリカ滞在記 
       ―結婚してアフリカ赴任したらレスなうえ女中扱いでした


<1.旅立ち・予兆>

 体が傾き眩しさと寒さで綾川美琴は目が覚めた。うとうとしていたらしい。
 窓の外は白く輝く雲海だ。反射光が目を射る。
 高度が上がるにつれ機内は冷え窓には霜がついてくる。美琴は陽光に輝く白い大海原に目を細める。今はロシアの上空あたりだろうか。日本を発つときは六月の初めで薄着だったためけっこう寒い。機内はエアコンが効き乾燥して喉も痛いし、それ以上に昨日から生理が始まり体調は最悪だ。旅行好きの美琴にとって飛行機は嫌いではないのだが、今は旅の高揚感もなくうるさい地下鉄に閉じ込められているのと同じだった。
 美琴はこれから先を思い長い溜息をつく。隣で夫の正弘はイヤホンを耳に押し込んで雑誌の食べ物特集を読みふけっている。
 「あー、干物食いてえ」という正弘に、美琴は
 「食べ物しか興味ないの?」と聞いてみる。
 「あっちじゃ食べ物しか興味ないよ」と言い切る夫。
 少しは私にも興味を持ったらどうなのよ、と美琴は内心思う。
 
 エールフランスは昼の定刻で成田を発ち、今パリに向かっている。
 美琴と正弘はこれからアフリカ大陸のゼリア共和国、角倉商事のラガ支社に赴任する。
 ゼリア共和国は日本から直行便がないためヨーロッパ経由となり、まずパリでトランスファーのため三泊し、ゼリア最大の都市ラガに向かう便に乗ることになっている。パリでの三泊が新婚旅行となる。
 
 水平飛行に移ってほどなく機内食が出た。トレーには白ワインの小瓶とチーズ、サラダ、カニのコキール、ヒラメのソテーと付け合わせの温野菜などがそれぞれ陶器の器に盛り付けられ、乗せられている。さらにエールフランスのビジネスでは小さな瓶入りのキャビアもついていた。
 座席がゆったりとしているのでテーブル面も広い。美琴はエコノミーしか乗ったことがなかったが、トレーは大きく、食器も上等になっていて、機内食とはいえそれなりにまともな食事ではある。ただ、今は体調のせいで味覚が鈍磨し食欲もなかった。
 
 うたた寝から目覚めた美琴はトイレに行きたくなり、成田のビジネス専用ラウンジで余計な飲み物をとるからだ、と恨みがましく思い返した。
 夫はビジネスクラス専用のラウンジを使えるステイタスを美琴に見せつけたかったに相違ない。
 これから長い間日本を離れねばならないのだから、特に妻は結婚という形で戸籍上も別れるのだから、地方から見送りに来た美琴の両親や親族が別れを惜しむのは当然だった。しかし頻繁に海外に行く正弘に慣れている彼の家族はちょっと旅行にでも行くようなノリだった。正弘は嫁の家族の心情を察することなく、早くラウンジを使わないと損だと思うのか、かなりへこんでいる美琴の家族に別れの挨拶もそこそこに、美琴を連れ去った。日焼けし口ひげを生やし派手なアロハシャツにサングラスといういでたちの夫は、まさに外国に女を売り飛ばしに行くやくざみたいだ、と美琴は思った。

 正弘とは見合い結婚だった。商社マンで前回もアフリカ大陸の別の国に駐在したという。髭のせいで老けて見えるが美琴の四歳年上なだけだ。何度か会い、アフリカでの話、リーブと呼ぶ長い休暇で旅行した各地の話を聞いて海外旅行好きな美琴が興味を持ったのは事実である。一月余の休暇で旅行し放題、という話は魅力的だった。正弘も今回のラガ駐在は昇進なのだが妻を帯同することが条件だったらしい。
 会って三度目くらいに、美琴は「実は来月ゼリア共和国に赴任することになりました。一緒に行ってほしい」と正弘に言われた。「絶対幸せにします、結婚してください」とプロポーズされたのだ。
 付き合いが短すぎる、と断ってもよかったが、三十路を越えた美琴としては人生何もやらないで悔いるより、何かして悔いる方がまだいい、と判断し承諾した。美琴も日本から脱して心機一転したい事情も少なからずあったので、まあ互いに利害が一致して結婚したともいえる。
 旅立つまでに何度か食事を共にした。商社の営業マンゆえ色々な店を知っており、食事しながら今まで旅してきた土地の話をする正弘は生き生きとして見えた。
 気になると言えば、とあるデートで食事をしながら美琴が
 「あなたにとって一番大切なものは何ですか?」
と尋ねたとき、正弘は
 「家族だよ」
と即答した。どの家族のことだかわからないので美琴がさらに
 「それは今までの?それともこれからの?」
と聞いてみたのだが、「はあ?」という感じで意味が通じないようだった。
 彼にとって家族とは、自分が生まれ育ってきた血族を意味している、と解釈するしかなかった。これから自分たちは結婚し新しい家族を作ろうとしているはずなのだが、「両方とも」でもなく、迷うでもなく、考えるまでもないでしょうが、と言わんばかりだった。
 私は家族にカウントされていないのか、と美琴はこの男に違和感を抱いたのだが、今更こだわるのもどうかと、その場はなんとなくスルーしてしまった。
 後から思えば、この時に重大な亀裂を見逃してしまったのだったが。
 デートはいつも食事を終えればその辺を散歩するでもなしに駅まで行って解散し、それぞれ逆方向に帰るだけだった。最初に会った時から正弘は後ろを行く美琴を気遣うこともなく自分のペースでさっさと歩くので、デートだからと普段はかないヒールの高い靴をはいていた美琴はついていくのに必死だった。この気遣いのなさは女性と付き合ったことがあまりないのだろう、とついいいほうに解釈したものだった。
 
 美琴はどうでもよかったが、結婚披露宴にこだわった正弘の家族は、ぎりぎりで式場をみつけだし三か月後に予約を入れてきた。正弘は来月には着任するが、慶弔休暇で三か月後に帰国することになった。
 正弘が出発するまでの間に正弘の職場のラガ支社の前任者や学生時代からの友人に紹介された。正弘を取り巻く人は皆いい人たちで正弘への評価もまずまずだった。美琴は感じの良い友人がいるということで彼を信用できるような気がした。
 正弘の家族は大柄で世話好きの母親と人の良さそうな小柄な父親、正弘の二歳下の独身の妹だった。美琴より二歳年上になる妹はいわゆるワンレン・ボディコン風な当時の流行最先端女子という感じで、「私ぃ、ポテチに目がないのぉ」とちょっと語尾を引っ張る話し方をした。   
 正弘が出発する数日前、隣県にある彼の家に招待された。その場で婚姻届けを書き、正弘の父が役場に出しにいき、もはや後戻りができなくなった。