メイド女房アフリカ滞在記
美琴はキッチンでお湯を沸かしながら、テーブルにおもむろに伯母からもらった抹茶茶碗を取り出し、袱紗や抹茶と茶筅、茶杓を出し並べていった。もらいもののお菓子があったのでそれも添える。
お湯が沸騰したので抹茶を茶杓で掬って茶碗に入れ、やかんから湯を注ぎ、うろ覚えの作法で茶を点て正弘の前に茶碗を置き、ついで自分の分も点てた。「さあどうぞ」
正弘はこれから言われることを恐れてか、視線が定まらないでいる。美琴は目を逸らすことなくまっすぐ見て言った。
「ねえ、私たち、これから一生やっていける自信ある?」
「ないね」
即答された。
「だったら、別れたほうがいいと思わない?」
「でも、せっかく結婚したんだしさ」
「せっかくも何も、一生やっていける自信ないってあなた今言ったでしょう。ただ気に入らないって拗ねられても話してくれなきゃわからないじゃない。話もろくにしないんだから夫婦として無理でしょうに。」
「夫婦なんてさ、何も言わなくたってわかるものだろ。空気みたいにさ」
「ちょっと待って。それ何年夫婦やった人のことだと思ってるの?私たちは半年もたってないのにわかるわけないでしょう!」
「僕は君に気を使って色々やってんだよ。週末は外食もしてるしさ、旅行も連れて行ったじゃないか」
「気を遣う?日頃口もきかないのに?お互いに話し合うことを避けまくってていきなり旅行とか言われてもむしろ迷惑だから。それにお金のこともある。夫の給与総額も知らないで買い物のたびにお金もらわなきゃならないなんてまるでメイドじゃないの。あなたは私を妻と思ってないとしか言いようがない」
「金に困らない生活はできてるじゃないか。それに必要だと言われればその都度渡してるだろう」
「まとめて渡さないそのやり方がやりにくいって言ってるのよ。それにセックスの問題もあるわよ。セックスしたくないくらいの夫婦なら、別れたほうがお互いのためじゃないの?」
「…」
「とにかく次の休暇の行先は日本にしてね」
「わかった」
それきり正弘は自室に引きこもって昼寝してしまった。
美琴は友達へファックスの返事を書くため夕食の支度をする時間までひたすらキーボードを打ち続けた。
夕食時になると昼寝から目覚めて黙って食事をとる。食欲はあるらしい。
それから連日美琴は誰かしら友人を呼んだり訪問したり、手紙を書いたりファックスを送信したり、自分の問題を相談していたが、そんな折、正弘は唐突に、美琴になんの相談もなく、今度はピーターに運転させて夫婦だけの旅行を計画した。
<14.隣国デナンへの旅>
十月に入ってほどなく、美琴は来週旅行に行く、と告げられる。
これは例の話し合いの結果思いついた正弘のご機嫌取り作戦としか思えず、美琴にとって今更この夫との旅行など楽しめる気はしないのだが、沈黙が支配する家での息苦しさからは一時的にでも気を逸らすことができる、と割り切った。
当日は午後から車で隣国のデナンへ向けて出発した。今回も運転手はピーターだった。隣国なので国境を越えるだけだが、今回は夫婦だけだったからか、要領よくダッシュを使ったからなのか、あまり時間をかけずにボーダーを通過できた。夕方には以前の旅でお茶をしたクトゥのシェラトンホテルに到着する。この国はギアナムと違いフランスの植民地だったので公用語はフランス語、通貨単位もシェーファーフランだ。
チェックイン後、近くにある水郷の村とでもいうのか、ザンビエという湖と水路でできた地域を観光する。アフリカ最大の水上都市だそうだ。ベネツィアというよりもチチカカ湖のような雰囲気である。人々は丸木舟のような渡し船に荷物を積んで行き来している。気づけば櫂を操るのは女性ばかりだった。夕食は当然フランス料理で、特にスープドポワッソン(魚のスープ)は魚のアラを煮込んで裏ごししたとろみのあるスープにニンニクがきいており、トーストしたフランスパンの薄切りにチーズをのせてスープに浮かべ、ふやけたところでスープと一緒に食べるのがとてもおいしい。他にイカのトマト煮やフレンチフライ、デザートに半割にしたパイナップルがでた。これで一人前らしい。日本人にはカロリーオーバーである。一人前二千五百円くらいになるのだろうか。
翌日、デナン内陸部にあるかつてのダホメ王国の首都に立ち向かう。昔の王国をしのぶ小さな王宮博物館があった。王様だか酋長だかのスツールは打ち取った敵の頭蓋骨の上に脚がのっている。安定が悪そうだが、そうやって敵には威嚇し、国民には権威を示したのだろう。背後の壁には彩色された素朴な粘土のレリーフがならぶ。どうみても餅つきの臼のようなものに人の頭がのっていて、杵だか人の足の形をしたものでついている風に見える。一体なんなのだろう。絵柄は素朴だがやってることがグロすぎる。解説もないのでよくわからなかった。
このあたりではアップリケを作る風習があるようで、ミュージアムショップやお土産屋ではさまざまなデザインのアップリケが売られていた。アフリカ大陸の地図を国ごとにカラフルなアップリケにしたものもあったがいくつか国が抜けているようだった。美琴も鳥のデザインのものを一枚買ってみた。尾羽がカラフルで孔雀か鳳凰みたいな感じだ。
パレス見学は午前中で終わったので食事をし、クトゥのホテルに戻る途中、ピーターは停車するたびに群がってくる売り子の一人からバナナをひと房買っていた。おやつにするかお土産にするのだろう。ホテルに戻り美琴はホテル内の美容室で髪を切った。拙い英語でうまく説明できないので雑誌の写真の切り抜きを持参し、「こんな風に」と美容師に渡したので理解してもらえた。結婚前にロングヘアを切ってアフリカに来て正弘に非難された美琴だが、そんなことで文句をつける自体が腹立たしく今更もうどうでもよくなった。思い切りショートにしてイメチェンすると、なんだか気分がすっきりした。もちろんホテルのプールで日課の水泳もこなす。ここ一か月ばかりの水泳とカロリー計算した食事の成果で、美琴はこのところほぼ元の体形に戻り、着られなかった服も着られるようになっていた。
夕食を摂るために出かける。ガイドブックによるとデナン料理が一番おいしい店という触れ込みなのだが、レストランと思いきや露天で、木の板の上にどう見ても大きなアルミの洗面器にしか見えないボウルに盛り付けた料理が並んでいる。これまた薄汚れたアルミの皿が置いてあり、欲しいものを盛り付けてもらってそこのベンチで食べるらしい。おいしいのかもしれないが、さすがに衛生状態が気になり別の店を探す。結局またスープドポワッソンを食べる。この辺りではメジャーな料理らしい。他に手長海老のニンニクソテーやフルーツポンチなどを注文した。
朝食ビュッフェを食べてチェックアウトする。一時間で国境に達し、午前中に帰宅。こってりしたフランス料理を食べ飽き、昼食はそうめんにした。
夕方友人と食事会の予定だったが友人の体調不良で中止となり、夕食はシェラトンホテルのインド料理屋に行ってそれなりに食べてしまった。
<15.「会社行きたくない」>
作品名:メイド女房アフリカ滞在記 作家名:ススキノ レイ