メイド女房アフリカ滞在記
レッセパッセは必要、だが役所はすでに閉まっている、国境のゲートは十八時に閉まる、結局は仕方ないから金で解決、ということになり、仕切り屋のお兄さんが現れた。なんとか出国カードを手に入れ、やっと国境ゲートを通過したのだが、ギアナム側でも仕切り屋に引き回され、国境通過に一時間半かかった。が、ギアナムとは時差があるのでまだ十七時半だ。
時速百キロで二時間くらいとばしたのだが、検問に引っかかる。十八時以降、外国の車は首都のアトラ市に入れないという。どうしても入りたいなら警官を二人乗せてアトラ市に行け、と言われる。が、運転手のピーターはライトを消し、気配を消してすーっと逃亡した。警官なぞ連れて行こうものならどんな面倒に巻き込まれるか想像に難くないということだったのだろう。
それからは真っ暗闇の中、でこぼこの道を猛ダッシュでひた走り、ようようアトラに隣接したテマの町の灯りが見え、そこからは高速にのってアトラ市に降りた。ところが降りたところでまた警官が待ち構えていた。十八時以降外国の車はアトラ市に入れない、通りたければ四十ドル寄越せ、ときた。こんな時間こんな場所で張ってるこの警官はどう考えても公の仕事ではなさそうだ。だからこちらも値切って二十ドルに負けさせる。ゼリアよりはるかにましとはいえ、やはりこの国も英国領だっただけのことはある。以後、賄賂目的の警官がどれだけ現れるかわからないので、警官がいないであろう裏道をびくびくしながら通り、やっとのことでホテルにたどり着いた時、すでに二十一時になっていた。トータル十三時間のドライブだ。彼らの到着を待つギアナム駐在員の佐竹氏が待ちくたびれていた。当然だろう。申し訳ないことだが、携帯電話の普及していなかった当時、途中で連絡を入れることもできなかったのである。
アトラのチューリップホテルにチェックイン後、シャワーを浴びてから近場のインド料理レストランに行く。混んでいてしばらく待たされてから食事をし十二時の閉店まで店にいてホテルに戻った。こんな時間にたっぷり食べ、さらにホテルのアネックスの一室に住む佐竹氏の部屋に行って飲み会になり、やっと寝たのが二時過ぎだった。こんなことをしていたら太らないほうがおかしい。
翌朝はゆっくり起きるつもりが体内時計で八時ごろには目が覚めた。朝食ビュッフェがけっこうおいしかったのでまた食べ過ぎてしまう。部屋でダラダラし、昼食はタイ料理を食べた。
午後、正弘と田中さんがゴルフに行くので、その間、美琴はいくばくかの小遣いを渡され佐竹氏に車で買い物に連れて行ってもらうことになっていた。アフリカに来て以来、美琴にとっては夫以外の男性は全員いい人に見える点を差し引いても、佐竹氏はいい人だった。年齢は知らないが正弘よりは若く、独身だが落ち着いた優しい物腰でそれでいて気さくに話ができ、先輩の妻である美琴を申し分なくエスコートしてくれた。美琴同様アートに関心があるという彼はアトラ市内の民芸品アートギャラリーのようなところをめぐってくれた。
「この人の作品が結構好きなんですよ」と佐竹氏はあるギアナム作家の水彩画を指して言う。
楽器を演奏する黒人が明るい色彩の背景にシンプルなシルエットで描かれた何点かのイラストだった。美琴も気に入り、日本円で二、三千円で販売している作品を二点、購入した。アフリカらしい太鼓をたたく人物と、車の隣に立つ人物の作品。車の絵は以前勤めていた小さな広告会社の車好きの社長のお土産にしよう、と思う。
その他にも、織物、彫刻、酋長の椅子、テキスタイル、香水、アクセサリー、オールドビーズなど美琴の興味を持ちそうな店を巡ってくれながら、佐竹氏は
「でも本物のオールドビーズというのは気味が悪いですね」と語る。
「ですよね、奴隷と交換したっていいますものね。呪われてそう」
「そうなんですよ。女性に人気らしいですがあれを欲しがるというのはわからないです」
「私もそう思います」
夫以外の人とは話が合うものだ。
途中村祭りで道が通れず遠回りしてゴルフ場へ向かう。渋滞する街中、女装している男性グループを見かける。どこの国でもいるのだろうが、美琴はこちらに来て初めてこういう人たちを見た。人でごった返す道に突然ヤギが飛び出してきたりする。
ゴルフ場に着いたが、正弘たちはまだプレイ中だったので佐竹氏と美琴はやきとりをつまみにビールを飲んで休憩しながら彼らを待つ。日頃夫と口もきかない日々を過ごしている美琴は思わず夢中になってあれやこれやお喋りしてしまったが、佐竹氏は嫌な顔もせず聞いてくれた。いっそのこと、仮面夫婦の実情をも訴えたくなってしまう。
そもそも正弘は自分たちがゴルフをしたいがため、自分の妻を一日他の男に託すことに全く頓着しない男なのだ。
美琴は勝手に妄想を膨らませてみる。普通の夫であれば自分の妻を、いくら信頼している会社の人とは言え、独身の男と二人きりで一日過ごさせることに多少抵抗があるのではないだろうか。駐在員は社宅代わりにこのホテルの別棟に長期滞在している。部屋に出入りするのも不自然ではなく、もし誘惑したらどうなったんだろう、と美琴はひそかに想像する。夫は万が一のロマンスなどあり得ないと思っているのか、あっても構わないと思っているのか、どちらなんだろう。それともこれは罠か。何のための?美琴の不貞を糾弾し離婚したがるなら願ってもないが、逆に強気にでていびられるとか逃げ出せないようにするとかか。ふん、そんなものに引っかかってたまるか。
合流し夕食をとりにベッラ・ナポリというイタリアンレストランに行った。海老とアボカドの前菜、パスタ三種、ロブスター、コーヒー。ホテルに戻ってからさらにアルコール。美琴はこのところ食欲全開である。正弘も以前よりだいぶ太ってきている。仕方ない、この仮面夫婦は食欲だけでつなぎ留められているのだから。
翌朝は霧雨が降っていて朝食後も止まず、正弘は再度寝ている。手持無沙汰の美琴はホテル内を散歩してみた。特に見るものもなく、外は雨なので日程を聞いてみようと佐竹氏の部屋を訪ねた。彼もちょうど起きてきたところらしく、ドアを開けて話をしていたところ、正弘もやってきた。小雨になったから、と田中さんをそこに呼び出し、皆で佐竹氏の車に乗ってゴルフ場へ向かう。正弘と田中さんはゴルフをやりに行き、美琴の処遇など眼中にないようだ。十時半から十三時半くらいまでの間、佐竹氏に面倒をみてもらえ、ということらしい。
美琴たちはホテルに戻り、リンゴを食べてテレビを見て、佐竹氏がシャワーを浴びてから、外に出かけることになった。展示場のようなところでコンピューターのショーがあるとのこと。佐竹氏が電子機器を見たい、ということで行ってみる。
作品名:メイド女房アフリカ滞在記 作家名:ススキノ レイ