メイド女房アフリカ滞在記
美琴の三十二歳の誕生日が来たので、週末正弘がプレゼントにオールドビーズを買ってくれる、と海沿いにあるレイキビーチというマーケットに行った。数キロメートルにわたりテントや小屋のような狭い店舗がひしめき合っており、規模は大きい。八百屋も雑貨屋も服屋も装飾品屋もそろっている。オールドビーズを専門に扱う店もありビーズが藁のような紐で連になって吊り下げられていた。
実は美琴としてはいくら高価であれ本物のオールドビーズというものにさして関心はないし気味悪さがぬぐえない。同じ高価ならいっそブランドものでも頂けたほうが余程ありがたいのだが、ブランド物には興味がない、と言ってしまっている手前そうも言えない。正弘に好きなものを選べと言われ適当に色の明るいものを選んだ。マットな黄色に赤や緑、黒、茶の筋や点が入ったものだった。正弘がせっかくプレゼントしてくれようとしたのだからありがたく頂いておいたのだが、一体何に使えばいいものやら。九百から千リアだったと思うので日本円にして五千円くらいか。こちらの物価を考えれば庶民にとっては高価なものだ。まあルイヴィトンの財布が欲しいと言われるより安上がりなので正弘の懐は痛まないだろう。正弘にとっては高価すなわち価値がある、と思っている節があり、婦人会のマダムたちもオールドビーズコレクターが多く、そういった情報から「女性へのプレゼントに最適」と結論づけたのだろうと思われた。
その夜はゼリア料理レストランへ行き、魚のソース煮、カニやストックフィッシュの入った辛味のある野菜のサラダ、揚げバナナを添えパーム油で炒めたごはん、デザートにアイスクリームを食べた。魚のソースが激辛で、翌日まで胃腸の具合が悪くなった。
停電はしないが電話は朝通じても午後から使えなくなった。その夜は職場の人の誕生日なのでその人と他社の友人を招くという。美琴は朝からデザート用の水ようかんを仕込んだり魚屋が持ってきた魚をさばいたりしつつ、午後には婦人会仲間のお茶会もあり、忙しく過ごした。
この頃にはオーダー食料で米酢が届いていたのと、人数が四人なので夕食は手巻きずしにし、具材にはアボカドのスライス、ツナのマヨネーズ和え、刻んだオクラの醤油和え、烏賊明太、イクラなどを用意した。他に海老、烏賊、ピーマン、なす、オクラ、サツマイモの天ぷら、筑前煮、烏賊と胡瓜の梅肉和え、ホタテと桜の吸い物、などを用意しデザートに水ようかんをだした。
この日停電がなく本当に助かったと思う。というのは、翌日は朝九時から夕方まで停電したからだ。正弘は首都アボラに出張のため朝早く出勤したので影響はなかったが、美琴は何もできず午前中寝ているしかなかった。
次の日も停電。かぼちゃのスフレを作ってみる。その次の日、いつもは七時頃帰宅する正弘が八時過ぎに帰り、飲んできたから夕食はいらないというので、美琴はストレス解消にバナナスフレを作ってみる。翌日は一日ゴルフに出ていた。美琴はケーキを作り、クレープのパテを作り、焼いて食べた。
こうして七月が過ぎストレス食いで美琴は太り続け、持ってきていたジーンズが入らなくなった。
八月に入りゼネストが始まりますます停電が激しくなる。電話も相変わらず繋がったり切れたり、番号がまた変わったり、とまともに使えない。この国はとうとう日本の観光自粛対象国に指定されたという。会社からロンドンに避難しては、という話も出ているらしい。日本の新聞にはウガンダよりひどいありさまだと書かれているようで、この都市の治安はアフリカ最悪級だといわれているそうだ。
ただ、美琴は知らなかったのだが、当時はアフリカ中央部東よりのルワンダで民族間の対立からジェノサイドが起こり性暴力が横行、反対勢力が政府を転覆させ、7月にはウガンダやコンゴなど近隣国へ大量の難民が流入。武装勢力が難民キャンプを利用し支援物資を資金源にしたり兵士を調達したり、と、後の第一次コンゴ紛争へと発展する火種が広がりつつあり、近隣諸国にも政情不安が続いていた。
ゼリア共和国が直接関与していなくとも当時のアフリカ大陸は危険度が高く、もともと悪評高いゼリアの首都ラガも相当ひどかったのだろう。
婦人会仲間の噂話では某大使館が強盗に襲われ、車で戻った大使夫人たちが強盗と鉢合わせし、連れ去られレイプされるという事件もあったそうだ。
「怖いわね、二十人もにレイプされたんですってよ。被害女性は即本国へ帰ってしまったって」友人の一人が語っていた。
ルワンダやウガンダ、コンゴよりましかもしれないが、治安状況が相当悪かったのは事実なのだろう。
停電はこのところ一週間ほど続いている。
夫婦間のすれ違いは相変わらずで正弘は職場の人の家に行ったり、社長宅で皆と飲むか、職場の人とテニスをするか、で家にいないことが多い。それは構わないのだが、食事の有無をあらかじめ連絡しないので、美琴としては停電で炊飯器もレンジも使えない状況では非常に困ることになる。
八月に入って十日ほどたったころ、当日朝突然来客を告げられた。
夫婦間の接触も会話も極力避けるのはわかるが、こういう大事なことを事前に話さない正弘に、さすがに美琴も内心キレた。朝から停電しているのだ。正弘はなんとかしろという態度で出勤してしまう。かなり立腹している美琴は意地になってありものの材料での料理の仕込みにかかった。
冷凍の鯖だか鯵のストックがあったはずだ。こちらではサバmackerelもアジhorse mackerelもほぼ同じもの扱いで確かに見た目もサバのようなアジのような魚である。あと烏賊、鶏肉の冷凍などがあったはずだ。中華にしようか。魚を丸ごと揚げるとか蒸すのはどうだろう。社長宅のコック中島さんに電話して相談してみる。「蒸し物ってけっこう難しいと思いますよ」と言われたのでカットして揚げる方向にした。蒸したら確かに身が崩れてしまいそうだった。今日は昼休みに帰らないというので昼食を作らないで済む。一日料理に取り掛かれる。
停電は十八時半まで続いた。正弘は十九時過ぎに日本から出張してきた平氏を連れて帰宅した。
食卓には、源右衛門のランチョンマットを敷き、源右衛門の取り皿を置いて、これまた正弘ご自慢のお祝いでもらったという江戸切子のグラスを並べ、ご飯と干し貝柱と白菜のスープ、烏賊と胡瓜と錦糸卵の酢の物、鶏の檸檬炒め、揚げた鯖の香味煮白髪ねぎ添え、春雨の炒め物、の大皿を並べた。
満足した平氏が帰った後、美琴は正弘を捕まえ、席につかせた。
「あのね、今は毎日停電してるの。お客さんあるときは事前に教えてもらわないと困るのよね。今日はたまたま食材のストックがあったからなんとかしたけど、当日の朝言われても間に合わない場合があるんだからね。いくら口ききたくなくても、こういう他人が関わる大事なことはちゃんと言ってもらわないと」
「ぎりぎりまで来るかどうかわからなかったんだよ」
「それでも前の夜からはわかっていたでしょう?」
「まあね」
「だったらなんで言わないの?」
「昨夜はエアポートに迎えにいって遅くなったから」
「夜遅くでも朝言われるよりはいいわよ」
「じゃ今言うよ、明日の晩飯も平さんくるから」
作品名:メイド女房アフリカ滞在記 作家名:ススキノ レイ